沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊

南南西に進路をとれ 1976与那国島サトウキビ刈り援農報告記 その18



新聞への投書と援農舎への手紙から

農業への県民の参加を              玉城正一さん(那覇市若狭・労務)

 東京の「援農舎」が「沖縄の離島に砂糖キビ刈りに行きませんか」と募集したら、たちまち希望者が殺到し、定員の3倍以上の申し込みがあった−という本紙12月3日の記事を読んで久方ぶりに爽快な気分を味わった。と同時にこのニュースは私たち県民に沖縄農業のありようを改めて考えさせる契機となるのではないかと思う。
 消費生活と陳情政治にどっぷりつかった精神構造からは、新しい沖縄の農業は浮かんでこないようである。砂糖とパインの危機が叫ばれて久しくなるが、一向に前進しない。いよいよ基幹産業の危機は深まるばかりだ。百万の人口を擁していながら果たして県民の独自の力で追いつめられた砂糖、パインの危機を押しとどめ解決できないことだろうか。
 危機の原因は農地の改良、技術の向上などいろいろあろうが、最大の要因は農業人口の減少、とりわけ若いエネルギーや若い創造性の農業からの離脱である。農業では食っていけないという国の農業政策の軽視からくる社会的現実はある。しかし農業を笑う者はいつか必ず農業に泣くのである。県民の何らかの形を通しての農業への全員参加の方法が模索されてしかるべきである。(1975年12月16日・琉球新報)

「援農舎」運動               大嶺忠男さん(那覇市・会社員・38歳)

 12月3日の本紙に興味ある記事があった。東京に事務所をおく任意グループ援農舎の諸氏が「沖縄の離島に砂糖キビ刈りに行きませんか」と呼びかけたところ、3日間で定員の3倍強の申し込みが殺到した−という記事である。過疎化した与那国町の農協が人手不足を補う手段として着想したアイデアだという。
 このことは私たちに過去のあることを想起させないか。台湾と韓国人労働者の導入のことである。現に今も韓国人労働者は導入されている。そのことについて労働界の諸氏は何と言っただろう。今でも頭にこびりついている。それは略するが、今回の与那国の農協の処置は外国人労働者の導入ではなく、わが国内にそれを求めたが、失業率日本一という本県にしてみれば、結局は外部労働力という点で大差はないと思う。
 全国平均の失業率をはるかに上回るわが沖縄県だ。私は与那国を非難しているのではない。失業率日本一という現実を踏まえて、仮に農協が労働力援助を県内で訴えたとしたら「はたして県内失業者諸君が殺到しただろうか−という点に大きな疑問が残る」ということを言いたいのである。労働界のオエラ方はその点いかにお考えだろうか。
 労働運動の大宗はつまるところ、都市型労働者諸君の"自慰行為"でしかないように思える。昨年展開した各職労諸君の援農運動はどうなったのだろう。一時的なアダ花でしかなかったのか。実りある運動たらしめるためには粘っこい"持続"の精神が必要ではないか。街のドブさらいなども市民とのふれあいの場である。(1976年1月6日・琉球新報)

キビ刈り援農の中止に思う          坂口竜一郎さん(東京・会社員・24歳)

 私は与那国島のキビ刈りで援農舎へ申し込みましたが、希望者殺到のため期待を裏切られ除外された者の一人である。私が援農隊に希望した理由は、日本の最西南端であり、景色もよく、晴れた日には台湾が見える小さい島で、また小さい頃からそこで育ち、昨年吉川英治文化賞を受賞された与那覇シズさんや島民のため自分の財産を投入されている善良な方々の存在を知人などから聞き、すばらしい自然と人間とのふれあいを目的に申し込んだのであるが、採用不可能となったため、3日の日程で目下沖縄を観光中ですが、与那国島のキビ刈り旅行の中止をマスコミで聞かされ、それ以上にがっかりしている。
 いまごろ、援農隊員となった人々はどういう心境でいるだろうか。なかには仕事をやめた人もあり、遠方から来て東京の知人宅で待機している人や、すでに沖縄に着いた人もあると聞いている。過疎化に悩む与那国町農協の実情を知り、善意で与那国島のキビ刈り援農を企画された代表宮尾邦興氏をはじめとする企画部員たちは、すでに決定されている援農隊委員たちからの電話などでの問い合わせや責めで頭を抱え悩んでいることと思う。
 これに対し与那国町農協ではどのような対策を講じているのか。私が考えるに与那国町農協は援農依頼をしたにもかかわらず、それらに関しての善後策を綿密に考慮せず、まるで援農隊をバカな子供扱いにしたとしかみえない。今度の問題が両方納得のいかないやり方で終わった場合、与那国島町民はもとより、沖縄全島県民への不信はますますつのるばかりである。今後の沖縄観光振興をはじめあらゆる面での悪影響が出る可能性が強くなり、困窮に悩む沖縄県民をいまより以上に生活危機に陥れることだろう。沖縄県民よ、小島であっても本土に負けないような意欲高進と思考力を養い、本土との一体化へと忍耐強く急がす勇進されんことを望む。(1976年1月30日・沖縄タイムス)

与那国町農協の事件に思う            和田春雄さん(沖縄市・商業・55歳)

 農協本来の使命を逸脱した行為である員外貸付金の回収が不能に陥ったため、与那国町農民は大変困窮し、資金交渉のめどがつかず、工場操作ができず、せっかく真ごころこめて栽培したキビが現在まで畑に放置されてあるのは、農政上重大問題である。県議会がこの問題を放置しているのも疑問である。特に問題の早期解決が要求されるのにもかかわらず無理難題を押しつける三連(県中央会、経済連、県信連)の態度は農民に対する冷酷な態度として改めて浮き彫りにされた。また、この事件処理はもはや三連に依頼せず、県と国が直接当たるべきである。特に問題とすべき点は、三連の示した条件は担保代わりに町を入れようとすることである。
 これでは農民の結合組織で成り立っている農協本来のあり方に逆行するもので、系統機関としての存在意義は全くなく、金銭面だけの存在しかないので、沖縄農業を将来振興させるためにも農協機構を相互扶助的に改革しないと、農民は不祥事件のたびに路頭に迷う結果となる。また、この事件を契機として注目されることは、農協系統機関に農民を愛する観念がないということである。与那国町農協の不祥事は沖縄県全体の農協の不祥事として受け止め、対策に積極的に取り組む姿勢が求められるべきなのに、一般企業が倒産したと同様に扱うのは、農民が相手だけに慎重を期すべきである。
 さらに農協の今後の課題として、まず民主化を挙げるべきで、昨年十億円の赤字を出した系統機関の下におかれている単協の存在をより安定させるためには、一流企業のスタッフを系統農協に導入することである。例えば第一勧銀から人材を導入するとかして、組合員自体がもっと真剣に組合と系統機関を見直すことである。系統機関に罪もない農民が頭を下げねばならないような組合員でなく、系統機関の人材は組合員の声で選ぶ新農協へ再出発されるよう切望するとともに、特にこの問題処理に当たり三連の冷酷な態度を組合員自体が永久に肝に銘じて、たとえ全国組織から離れても系統機関を改変して、有為の人材を導入して民主化のもとに躍進されるよう心から祈る次第である。

これは何と不可解                  吉村勝敏さん(東京都小平市)

 海洋博後の失業問題については、深い関心を持っている者の一人として、1月31日の、東京朝日新聞の記事、「都会の若者ら41人沖縄・与那国島へ"援農旅行"」を読んで少なからず驚き、かつ奇異の感に打たれたのである。現地でも問題になっているというから、私が今更声を高くするには及ばないと思うのだが、ちょっと理解に苦しむので一言訴える次第である。
 条件は、往復渡航費(空路)は農協持ち、日当は三千五百円、食費は自分持ち、定員八十人、キビ刈りの「助っ人」だという。従来、本土から来てくれっこないので、援農者の大半が韓国からの季節労働者であるという。
 沖縄の労務者は海洋博工事の高賃金に魅せられて、ここに掲げたような条件には振り向きもしなかったのかもしれないが、そのような夢をいつまでも見ているのであれば、失業率全国一と言われている失業問題は、いつまでたっても解消されないだろう。(1976年2月10日・朝日新聞)

いく度も読み返しました               阿波根昌鴻さん(伊江村・手紙)

 前略 五月一日タイムス紙、「与那国のキビ刈り援農から」を心をこめて拝読いたし、敬意を表するものであります。「都会人の人間性回復の場に」、農民は労力を儲かる、都市の若者は心を豊かにする。これが欠けているために、犯罪がおき、不幸がおきる。日本を犯罪から不幸から救うには、日本の王様以下支配者権力者をはじめ、人間回復が大事であると考えます。お若い藤野さんの心の深さに沖縄の心ある人々は強く反省し、教えられたこととありがたくいく度も繰り返し読みました。
 今後も日本のため沖縄のためにお願い致します。

よくぞ実行されました    大峰林一さん(東京都府中市・沖縄史を記録する会・手紙)

 前略 沖縄タイムス(五月一日)で貴殿らの与那国におけるキビ刈り援農ことを知り、ペンを取りました。沖縄出身として援農の気持ちがあっても、仕事や生活問題などで実現できないことを、よくぞ実行されました。その行動力と問題意識の高さに感動しました。
 ぼくらも現在、戦前戦後、沖縄にかかわった在京関係者からの聞き書き活動を行なっています。ぜひ一度お話をうかがいたいと存じます。

県内の世論に刺激に            暗中模索さん(那覇市・20代・女性・手紙)

 「援農舎」結成の報を新聞で知り、出発延期その他の経緯について、当時非常に関心をもって、那覇市内の職場で注目していた者ですが、「話の特集」8月号のレポートを拝読し筆をとりました。遠い与那国島のキビ刈り作業は、これまでまるで他人事でしたけれど、多くの点で確かに県内の世論に刺激になったと思います。
 キビ刈り作業は部外者には、想像もつかないような重労働だと聞いています。本当にご苦労さまでした。

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Last Update:2004/01/30
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