沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊

南南西に進路をとれ 1976与那国島サトウキビ刈り援農報告記 その22



与那国島さとうキビ刈り援農についてのアピール
 今回私たち援農舎が与那国島さとうキビ刈り援農の運動を進めていることについて、沖縄でさまざまな反響が出ていることを伝え聞き、このさい援農舎の考え方を明らかにしたいと思います。

 私たちは、沖縄県内の特に離島に置いて近年農業労働人口が極端に不足していることを知り、また本土には、沖縄の風土と文化について、生活と労働を共にしながら学び、現地の人々と交流したいという希望があることから、今回の与那国島援農を企画しました。沖縄では海洋博景気の変動によって、失業率が増えていることも知らないではありません。しかし、今回の援農が与那国島現地にとっても、また沖縄での生活体験を望む人々にとっても共に有意義な結果をもたらすと考えて実行に踏み切りました。

 1昨年、私たちから与那国農協に以上の主旨で申し入れましたが、その時は実現せず、昨年与那国農協の方から、私たちに同様の申し入れがあり、今回の援農に発展したわけです。定員八十人、日当、往復旅費、滞在費などの支給は、与那国農協の提示した条件でほぼ話し合いがつき、その条件を公表して本土で募集したところ、定員の六倍を超える応募者がありました。そして、援農舎の主旨を理解していただいた人の中から抽選により八十人を選考し、渡航準備を進めてきました。参加者は青森から九州まで全国にわたり、しかも中には、この援農のために会社を退職した人もいます。

 ところが、出発予定日(一月十一日)の三日前になって、電報で与那国農協より出発延期の申し入れがありました。製糖工場の操業開始が大幅に遅れる見通しになったからです。沖縄の新聞報道によれば、与那国農協が、与那国製糖会社から製糖工場を買い取る代金の調達の目途がたたなくなり、その事態に関して、県当局、県農協中央会の指示のもとに県経済連が農協経営肩代わりに乗り出す方針のようです。今期の製糖事業運営は、農協から経済連に移るわけです。このような事態に関して、援農舎はほとんど詳しい事態を知ることなく、出発延期をとりあえず決め、参加者に通知しました。

 一方、沖縄の異常に高い失業率という現実を前にして、県外労働力の移入が沖縄県で問題になっているようです。私たちの援農があるいは県内失業者の働く場を奪うことになるかもしれないとは私たちも認識しています。しかし、本島の失業者が遠い離島の、しかも農業労働に出かけていくことを嫌うという傾向への反省をこめた新聞投書も読みました。また同時に韓国人労働者の移入という現実があります。いずれにしても、さとうキビ農業の季節労働力問題は、今や沖縄県内だけの問題ではなくなりつつあるのではないでしょうか。

 私たちは、今沖縄の人々が抱えているさまざまな問題を少しでも共有したいと思います。私たちは単なるキビ刈り労働力としてだけ与那国島に出かけて行くのではありません。援農舎の主旨は、単なる観光旅行ではうかがい知ることのできない沖縄の現実を、生活と労働を共にすることで共有するということです。今回の与那国援農がそのきわめて有効な試みであると信じています。そして、さまざまな困難な問題を乗り越えて、今回の援農を成功させることが、沖縄と本土の新しいつながりの一歩となることを私たちは期待しています。県当局、県農協中央会、県経済連、与那国町当局、そして沖縄の皆さんに私たちの主旨を理解していただければ幸いです。

        一九七六年一月二十一日
                                       援農舎

(注)沖縄県農協中央会の当時の常務理事と沖縄県当局が沖縄の新聞を通じて援農隊の中止を求めたことに対して、藤野が同人と協議して執筆し、沖縄タイムス、琉球新報両社の東京支社を通じて発表したものです。

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Last Update:2004/01/30
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