沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊
台湾・花蓮への旅(1)
10月3日から8日まで、初めて台湾に行ってきた。サトウキビ刈り援農隊を32年にわたって送り続けてきた沖縄・与那国町が台湾・花蓮市と姉妹都市提携してこの10月8日で25周年を迎えた。その記念式典を花蓮市で行なうために、与那国島から外間町長以下町民総勢130人の訪問団が組織されたのに参加したのである。
与那国町が台湾の航空機をチャーターし、与那国空港から台北空港に直行するという与那国の歴史上初めての試みであった。与那国空港はこの春、2000mの滑走路が完成したが、国内線の空港である。与那国島から花蓮市までは110キロと、石垣島までの130キロより近い。終戦後の一時期や戦前には、与那国島と花蓮との間は自由に往来ができた。だが、その後、行き来はできなくなり、現在に至っている。
与那国町は花蓮市との姉妹提携を、より実のあるものにしたいと直接往来の実現を求めて政府に働きかけてきたが、いまだに実現していない。島の過疎化が急激に進み、この現状をどうにかして打開したいという島民の期待は熱いものがあるが、日本政府は辺境の小さな島に対して冷ややかな態度である。そこで、国内空港であるから定期便を開設することはできないが、チャーター便なら可能というところに着目して、今回の計画が実現したのである。全国でも珍しいこの企画に、沖縄タイムス、琉球新報、公明新聞沖縄支局、石垣島の八重山毎日新聞の各記者が同行した。
与那国からのチャーター便は4日朝に与那国島を発ち、飛行時間1時間10分で台北空港に着く。私は一晩早く3日午後、中華航空で成田を発ち、夕刻に台北入りした。翌朝、蔡啓塔花蓮市長や花蓮駐在与那国連絡事務所長の田里千代基さんらとともに空港で与那国からの人たちを出迎えた。顔見知りの与那国町民もたくさんいる。与那国の人たちは、本当に与那国空港から国際便が飛び立つのかと心配だったそうで、「それが実現した離陸のときは涙が出るほどうれしく感動した」と口々に語っていた。
空港では日本と台湾のマスコミの記者会見があり、ここで私は訪問団と合流し、あとは行動を共にした。バス4台で台北駅に行き、14:30発の列車「自強号」で16:30過ぎに花蓮に着いた。駅にはアミ族などの少数民族の少女や少年たちが民族衣装で歌や踊りの出迎えをしてくれた。沖縄とも共通する獅子舞もあった。この熱烈な歓迎には感動した。歓迎式が終わると、またバスでホテル中信大飯店へ。荷物を解いてシャワーを浴びると、夕刻からは美侖飯店の宴会場で、蔡市長主催の歓迎晩餐会。正面ステージには、両脇に両首長の写真とそれぞれの町の風景写真が大きく飾られている。
市長の歓迎挨拶、町長のお礼の挨拶に続いて、やはり少数民族の人たちの歌や踊りが披露され、にぎやかな会食となった。アミ族の伝統文化や習慣には与那国のそれと共通するものが多いといわれる。それだけに両者はすぐに打ち解ける。花蓮市は漢民族が大多数だが、少数民族の文化の継承にも力を入れている。その各少数民族の長老たちもこの会に招かれていた。
晩餐会は10時ごろ終わったが、元気のよい若い人たちはそれから夜の町探訪に出かけて行ったようだ。私は同室の小嶺長典さんと部屋でビールを飲んで過ごした。小嶺さんはかつてJAおきなわ与那国出張所長を務め、今は町役場に勤めている。所長時代に援農隊募集で札幌にも来たことがあり、よく知った仲である。
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Last Update:2005/3/30
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