沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊

そうだったのか、与那国援農隊!   高津章子(織人・与那国在住)



 今年も、キビ刈りの季節を迎えた。製糖工場が動き始め、キビを満載したトラックが、畑と工場の間を何度も往復している。沖縄県内では、おなじみの光景だ。
 昨年の11月ごろ、新聞の書評欄で『与那国島サトウキビ刈り援農隊−私的回想の30年』(藤野雅之著・ニライ社・1890円)というタイトルの本が紹介されていた。与那国の援農隊で一冊の本ができる、ということがどうも理解できなくて、早速取り寄せて読んでみた。

 読みながら、一体何度「そうだったんだぁ」と唸っただろう。確かに私は、援農隊に全く関心がなく、島の人間だったら当然知っているべき基礎的知識も持ち合わせてはいなかった。それにしても、それにしても、よくここまで頑張ってくださいましたね、という驚きと感謝の連続だった。
 もともとは、人手不足の農家を助けようという企画ではなく、与那国島のキビ刈りを体験させてもらい、農業や生き方などについて考えようという、体験型ツアーのつもりだったのだ(へぇ〜でしょう)が、島・県・国内外の情勢が刻一刻と変わる中(ここだけで八回位へぇ〜って言えます)、与那国町農協の方が、逆に援農隊を必要とするようになっていくのである。

 私が一番驚いたのは、「キビ刈り援農隊」が、与那国独自の援農システムだということだ。
 私は、県内にはサトウキビを栽培している離島はたくさんあるから、沖縄県が取りまとめて募集し、あちこちの島に派遣しているのだろうと何の根拠もなく思い込んでいた。しかし実際は、農業体験与那国島ツアーが形を変えて与那国島キビ刈り援農隊となり、その後、著者・藤野さんをはじめとする送り出す側と、援農隊員として働く人たちと、それを受け入れる与那国農協側の、三者の粘り強い努力によって、現在まで途切れることなく継続されてきたのだ。
 また、実態を知らない沖縄県は、協力するどころか、援農隊の受け入れをやめるよう再三にわたって行政指導をしていた時期もあり、これに対して与那国の人々は、何度も始末書を書かされながらも援農隊を要請し受け入れ続けたのだ。すごい!

 そういえば、島外で「与那国は援農隊がいるから、ナイチャーも住みやすいでしょう」とか「大和の言葉も通じるでしょう」とか言われたことがある。そのときは深く考えもしなかったが、30年間ずっと内地の若者を受け入れ続けてきたなかで、島の人たちは、言葉はもちろん内地の食事や生活習慣について、たくさん勉強してこられたのだろう。そういう歴史の上に、今の私の生活があるんだなあと、感謝の気持ちが湧いてくる。
 援農隊の歴史が30年ということは、若い島人の援農隊に関する知識も、私とたいして変わらないだろう。ぜひ、与那国の若い人たちに読んでもらいたい、そう強く思う一冊だ。

 冒頭に「早速取り寄せて読んでみた」とさらりと書いたが、実は書きながら一人感動していた。1500円以上全国送料無料のネット書店が現れたのだ。本屋のない離島での生活には本当にありがたい。このことにも感謝しつつ。
(新沖縄フォーラム・季刊「けーし風」第46号 2005/3)


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Last Update:2005/3/30
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