沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊
サトウキビ刈り援農隊の思い出 友寄英正(フリージャーナリスト)
このほど、元共同通信の藤野雅之記者によって、与那国島援農隊の三十年を記念した本が出版された。三十年前の沖縄は社会的に混乱していた。復帰してまもない沖縄は本土資本が入り込み、土地買い占め、土地ころがしが横行していて沖縄の自立への道は遠のいており、とりわけ農業をとりまく環境はきびしく、与那国でも稲作とキビ刈りがかち合い、人手不足は深刻であった。
筆者も東京からUターンし、農業に取り組む一方で、本土企業に買い占められた農地を取り返す運動にかかわっていた。
この運動の中で、与那国のキビ刈りの人手不足には心をいためていた。
与那国ではサトウキビ刈りの人手不足のほかに、海を埋め立て大型石油コンビナートのCTS誘致問題もクローズアップされ、辺境の与那国島はいろいろな問題が起きていた。
そんな中でキビ刈りの助っ人に援農隊がやって来るというのである。
その仕掛け人が共同通信の記者である藤野雅之氏らである。当時、与那国農協は那覇の職安に人手募集を行ったが、うまくいっていなかった。
はっきり言って貧しい農家にとって、キビ刈りの人夫に高い賃金を払うことはできず、この援農隊の助っ人はまさにすばらしいニュースであった。
筆者もさっそく藤野さんらに会い、その計画に賛同協力することになった。
日本全国から多くの希望者を集め、いよいよスタートしようとしていた矢先、与那国農協のサトウキビ操業ができなくなり、計画はスタート時点でつまづいた。しかし経済連の応援でなんとかスタートにこぎつけた。
援農隊側は本土からの交通費を安くするため、東京から船で来るよう努め、農家の負担を軽くするよう配慮をしていた。筆者も東京まで行き、船の中で沖縄の歴史、与那国の状況を説明した。
集まった人たちは日本全国から来ているだけにいろいろな人がいた。中には那覇や石垣から合流する人もいたが、結局キビ刈りを最後までやらない人が相次ぎ、ちゃんとした心構えで参加する人とのちがいが現れた。
さて援農隊は農家に分宿して慣れないキビ刈りに取り組むことになった。中には農家にしかられたりしながら頑張っていった。ある女性参加者は「農家のお母さんは自分たちのことをほんとうの親みたいにしかってくれた」と本音での付き合いに感動していた。
また、農村の花嫁不足のなかで援農隊との付き合いの中から、石垣島や波照間島にも農村花嫁が二人誕生した。
今はやりのグリーンツーリズムは、この援農隊が元祖であった。単なる安い賃金ではキビ刈りは出来ない。このキビ刈りを通して文化など得られることが多い。今では主に北海道から来る人が中心だが、三十年も続けるその重みは大きい。(八重山毎日新聞 2004/12/24)
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Last Update:2004/12/24
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