沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊

援農隊30周年(上)延べ2000人 農協も評価     藤野雅之



    沖縄タイムス2005年4月18日付朝刊・文化面

 与那国島サトウキビ刈り援農隊が始まって今年で三十年を迎えた。沖縄が日本に復帰して三年目の一九七五年、友人とともに過疎化で苦しむ離島の与那国島に「サトウキビ刈り援農に行こう」と全国の若者に呼びかけて援農隊は始まった。翌年の第一回から三十年年間、援農隊は毎年、キビ刈りの季節になると与那国島へ出かけた。この三十年間の援農隊参加者は延べ二千人を越える。

 当時の沖縄は基地労働者の解雇により失業率が他県に比べて高かったことから、沖縄県は与那国町農協に他県からの援農隊受け入れをやめるように行政指導した。援農隊に対しては、職安法違反だとして排除しようとした。

 しかし、それに代わる労働力を県は送ることはできなかった。私たちは労働力斡旋を業としているのではなかった。ボランティアで援農隊を呼びかけていたのである。キビ刈りは二ヵ月から三ヵ月にわたるので、島で働く若者たちは日当をもらうが、呼びかける私たちはあくまでボランティアで援農隊を呼びかけていたのである。

 島の農家は私たちの活動に理解を示してくれて、援農隊はいつか与那国島の春の風物詩となった。援農隊に参加したことがきっかけとなって島の人と結婚し、島で家庭を営む人もいるし、泡盛工場で杜氏となって働く青年も現れた。この援農隊三十周年を記念して、この三月二十六、二十七日の二日間にわたり、JA沖縄与那国営業所や与那国町によって「援農隊三十周年記念式典・祝賀会」が島を挙げて開かれた。

 ちょうど今期の製糖が終わったところで、今年の援農隊員に加えて、かつて参加したOBやOGが北海道や秋田県、東京から、それに援農隊として農家に住み込んだことのある作家の立松和平さんも駆けつけて、楽しくにぎやかに島の人たちと交流した。JA沖縄本店もこれを全面的に支援して、島民・援農隊がいっしょになってかつてないほどに盛り上がった。記念の闘牛大会に加え、島の人たちの演じる伝統芸能は見事なものであったし、島の子供たちが自発的に参加して「よさこいソーラン節」を歌ってくれたのもうれしかった。

 この会のために各地区が「旗頭」まで出して三十周年を祝っていただいたのには、感激で胸が熱くなった。そして、私は自分が島の人たちと一体感を持てたと強く感じたのだった。

 与那国島に入る前日には、石垣島で援農隊を支援してくれた友人たちと一夜、交流することもできた。

 記念式では、農家に住み込みを始めたから一九七九年から今年まで毎年、隊員を住み込ませていただいている農家三戸と、十回以上参加した隊員三人が世話人の私たちとともにJAから感謝状を贈られた。

 このことに私は深い感慨を覚えた。過疎化でキビ刈りや農業収穫の人手不足に困っているのは、与那国島だけではない。沖縄の他の離島も同じ状況がある。だが、私たち二人の世話人は個人で活動をしてきた。他の離島からも援農隊を派遣してほしいという要望があるのは承知しているが、そこまでの余裕はない。

 三十年の私たちの援農隊活動をJA沖縄がこのようなかたちで評価してくれたことで、JAがこの援農隊方式を組織として取り上げ、他の離島にも広げてもらえるのではないかという可能性が出てきたのである。与那国島援農隊は冬場で雪のために農閑期となる北海道を中心に全国から援農隊が集まってくる。JA沖縄がJA北海道中央会と提携して、北海道の農家との相互交流が可能になれば素晴らしいのではないか。
 そのために私ができることがあれば協力したいと考えている。(下へ続く)

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Last Update:2005/04/19
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