南の島与那国に今年も60羽の渡り鳥。……学名"キビ刈りトリ"。今年の調査で、そのうち約半数が北海道より飛来とか? 4年鳥2羽、3年鳥4羽、2年鳥10羽、幼鳥44羽。幼鳥だって負けないぞ!? はばたけ鳥よ、南の島に!!
読者へ
「ゆうな通信」を出すことになりました。1976年の第1回から今年で5回目の援農隊です。第1回の時には、隊員の有志で与那国島滞在中に「与那国新聞フリープレス」が3回にわたって出されました。ガリ版刷りの小さなものでしたが、あのきびしいキビ刈り労働のなかで、よくもあれだけやれたものだと、今さらながら思います。その後の3回の援農で「フリープレス」を出すことができなかったのは、キビ刈り労働のなかで労働いがいのことをすることがどんなに大変なことであるかを物語っていると言えます。いつか「フリープレス」に続くものを出したいと思ってきました。そして今度やっとこの通信を出すことができました。
それは援農隊の運動のなかから生まれた通信です。援農隊がこの4年間、与那国島をはじめとする沖縄の離島にキビ刈り援農をしてきたことが、いったいどんな意味を沖縄に対して投げかけたか、また参加した人たちにとってどんな体験となったか、そして、それらのことから今後の沖縄に、また文化も風土も異なる日本列島で生活している人びとになにをもたらすことができるのか、それらのことを具体的な体験を通して考えてみることは、決して無意味なことではないと思います。
それを私たちは、自分だけで考えるのではなくて、援農隊の参加者も、与那国など八重山や沖縄の人びととも一緒になって考えてみたいのです。「ゆうな通信」は、そういう人びとの交流の場であり、考える場にしていきたいと思います。
そこで皆さんにお願いします。この通信を読者すべてのものにするために、皆さんに投稿してほしいのです。仲間の消息でも、援農の感想でも、この通信の目的にかかわることならなんでも結構です。期待しています。
援農隊について思うこと 金城朝夫
援農舎の援農隊が与那国島のキビ刈りに参加して4年になるが、わたしがこの石垣島に帰郷して農業にかかわり出したのも4年余である。ちょうどその頃は、本土の土地ブローカーや観光資本などに農用地を買い占められ、その農用地を農地にするのか、観光資本に開発させるのかと世論が沸騰していた。沖縄の農業は、長いアメリカ軍統治下にあって、本土の農業とは比べものにならないぐらいきびしい条件下に置かれており、農家自身が農業に見切りをつけていたのが実状であった。
そんな中でも、与那国島は最西南端に位置し、国境の島という行政的には辺境にあり、きびしい条件の中で本土資本に土地を売り渡さず、農地を守り抜いためずらしい島である。しかし、農地が少ないことから、農業といっても、サトウキビと稲作、畜産に限られていたが、人口2千余のなかで島の経済はきびしかった。そんな時に民間製糖工場が島から引き揚げ、このあとを受けたのが与那国町農協であったが、その農協が全国でも例を見ない倒産に追い込まれたのである。その年が援農舎が援農隊を送り込んだ年であったのである。
肝心の受け入れ母体が倒産したため、大変な困難にぶつかったのである。わたしもたまたま農民組合の書記長という立場にあって、援農舎についてあまり知らなく、またわが農民組合も石垣島のみしか組織されていなかったことから、どうかかわっていいのかわからなかった。またその当時は、あまりにも本土からの悪い面のみが島に入り込み、本土から来るものには少々うんざりしていたことも確かであった。良きにつけ悪しきにつけ、本土とはこの島にとって、これまでうまいこと利用されてきたことが多く、素直に本土に対して対応ができなくなっていた。
また、その頃から沖縄の失業が目立ち、どうして失業者が多い沖縄で本土からの援農隊を必要とするのか、という素朴な疑問があったのも確かである。たしかにマスコミをその問題を指摘しはじめた。しかし、こうして4年もの付き合いのなかで、果たしてこのキビ刈りが失業問題の解決につながるのか、また現在の政府が打ち出すキビ代で都市の労働者なみに賃金を払う能力が農民にあるのか、さらに失業保険が短期のものは竹富町や与那国町などに適用されないことなど、これらの問題を知り出して、これはキビ刈りと失業問題を短絡させて結びつけてはまずいということに気づいたのである。
だからといって、いつまでも援農というかたちでしか農業が成り立たないのも問題である。が、しかし、現実に労働者がいなくて困っている農民が、とくに離島にいるという現状は見過ごすわけにはいかない。こうしてみると、理論的なことは別にしても、こうして4年もかかわってきた援農隊の人びとと与那国島の農家との触れ合いが、なにか新しいものを生み出してきたということは否定できないと思うのである。(ルポライター)
【金城氏の紹介】石垣島で農業のかたわら、島の八重山農民組合副会長として、離島の農業の発展をめざして活動している。今回の援農では、わざわざ上京してもらい、東京・那覇間の船に同乗して船内学習の講師をしていただいた。これも5回の援農で初めての試みであった。沖縄の農業、とくに八重山のそれがどんな現状にあり、島の農家や農業青年たちが過疎化と本土化の嵐のなかで農業を守り発展させていこうとしている姿を話していただいた。本名・友寄英正。著書「沖縄処分」。石垣市石垣312−1
★4回の援農隊の参加者数★
1975年 援農舎の呼びかけで女性2人が与那国島へ。うち1人は1年半滞在。
1976年 第1回援農隊86人与那国島へ。うち10人がはじめの1ヵ月石垣島、小浜島へ。一部はのち
に与那国に合流。
1977年 第2回援農隊36人が宮古島下地町へ。一部が終了後、与那国に合流。
第3回援農隊60人が与那国島へ。
1978年 第4回援農隊56人が与那国島へ。これとは別に5人が請負チームを組む。ほかに石垣島へ
6人、小浜島へ2人。
東崎(あがりざち)から陽は昇る(1) 藤野雅之
私たちサトウキビ刈り援農隊が初めて、沖縄の与那国島へ渡ったのは1976年1月です。ちょうど海洋博が本部半島で開かれていた時でした。72年に日本復帰した沖縄は、激しい世替わりのなかで、さまざまな矛盾と問題が渦巻いていました。本土資本の流入、土地買い占め、開発の激しい波。観光客がどっと押しかけるように本土化の嵐が吹き荒れていたのでした。それは与那国島にとっても例外ではありません。
ことし2月3日、第5回援農隊60人が島に着く数日前、与那国町農協は臨時再建総会を開き、農協再建6ヶ年計画を満場一致で可決しました。会場の公民館には入りきれないほどの農民が集まったそうです。このことを那覇まで私たち援農隊を出迎えに来てくれた農協の下地さんから聞いた時、私は「やっとここまで来たか」という感慨を抱かないわけにはいきませんでした。というのは、第1回援農隊は、この与那国長農協の"破産"問題と深くかかわって行なわれたのだったからです。
75年の夏、当時の組合長から援農隊の応援を要請され、それに応えるかたちで私たちは「援農舎」を作りました。そして、過疎化で苦しむ与那国島への援農を新聞、雑誌、ラジオで訴え、2千人を超える応募者が全国から殺到しました。これには私たちも驚きました。そして、1月11日の東京出発を直前にして、あの悲しむべき「与那国町農協不正融資事件」が起きてしまったのです。この事件については、私たちは一定の見解を援農隊派遣が困難になった段階で、「沖縄県のみなさんに訴える」というアピールとして示しました。その経過は、第1回援農隊の記録「南南西へ針路をとれ! 76与那国島キビ刈り援農報告記」にくわしく報告されています。与那国町農協の事件もまた、復帰と世替わりの渦に巻き込まれた沖縄の悲劇のひとつであったのです。
海洋博関連事業に投資したところ、その会社が倒産したために、農協が2億5千万円もの負債を抱えてしまったわけですが、当時の沖縄の状況から考えると、決して偶発的な事件ではありません。当時の組合長は、最果ての過疎化で苦しむ島を発展させるには、農業の近代化しかないと考えていました。
「農業さえ安定すれば島民は立派に生きていける」という組合長の考えは、ひとつの見識であったと思います。それはまた与那国島民の一致した期待でもありました。復帰直前、本土資本が与那国島に土地買い占めに来たおり、前島民が一致してこれに反対した経験があったわけですから。そういう島で、農業の安定を求めて近代化しようと考えたのですが、島に財政的な力がない。そこでおりから政府や県が鳴り物入りで宣伝していた海洋博に投資して資金を作ろうと考えたとしてもなんら不思議はありません。そして、その結果があの事件だったのです。
昨年12月21日、福岡高裁那覇支部で、ひとつの判決が出されました。仲里元組合長ら3被告に対し、一審の2年6月という実刑判決が執行猶予つきに減刑され、刑事的には解決しました。たまたま私は那覇で中里氏に会いました。「私が有罪なのは確かです。しかし、私利私欲のためではないことが認められてうれしい」と語った仲里さんの顔を私は忘れることができません。仲里さんもまた沖縄の世替わりの渦に巻き込まれた犠牲者だったのです。
それにしても、島の農民たちにとっては辛く苦しい4年間でした。そして、その苦しみは農協が再建を達成するまで続くでしょう。農協といえば、私たちは本土の商社なみの営業優先の農協を思い浮かべます。しかし、日本の最西端の孤島には、本来の農協が苦しみながらも生きていることを私は思わずにはいられません。この農協本来の精神を再建に向けて持ち続け、発展させてほしいと思うのは私だけではないでしょう。
農業にしか未来を託しえない離島の現実には、ほかにも解決すべきさまざまな問題があるでしょう。それらを私たち援農隊も現実の与那国島の人びとの生活から学んでいきたいものです。
とくに今年は60人の援農隊が初めて各農家に分宿して、農家の人と寝起きを共にして仕事をしています。今の援農隊に問題がないわけではありません。しかし、辛くきびしい労働に耐えて最後までがんばることが、援農隊はもちろん、与那国の農家にとっても単にキビ収穫だけではないものを残してくれるのではないでしょうか。
「どなん」の語源
与那国島のことを地元の人は「どなん」あるいは「どなんつぃま」と呼んでいる。その語源について池間栄三著「与那国の歴史」は、いろいろの説があるとしながらも、もっとも有力なものとして次のように書いている。
今日、最も有力な説は、「ゆうな」の木にヒントを得たものである。「ゆうな」は琉球諸島の至る所の海岸に自生している喬木である(学名オオハマボウ)。琉球の地名の与那原、与那嶺、与那城は「ゆうな」に関連して名付けられたものと思われる。与那国島にも与那原、与那元などの姓があるが、地元ではこれを「どなんばら」「どうなむた」と言っている。ことに与那国島の旧邑であった「どうなんばら」邑の根所は、現に「どうなんばら」家の拝所になっている。この「どうなんばら」も与那原と書く。
近くの石垣島では、与那国を「ゆのおん」と言っている。その「ゆのおん」は「ゆうな・ふん」の転訛であるといわれ、「ふん」は組を意味する言葉であるから、「ゆのおん」は「ゆうな」の群生を意味するものであると言われている。与那国島の方言には濁音が多いから、「ゆ」が「どう」の発音となって、「ゆうな」が「どうな」になった訳である。要するに「どうなん」の語源は「ゆうな」に因ったものと思わざるを得ない。
【ど な ん】
★ 世話人の松井孝夫さんは本職がカメラマン。今回は与那国で忙しい合間をぬってカメラをまわしているのを見かけた人も多いと思います。16ミリで記録映画を撮っているのです。なにしろ資金なしで作ろうというわけですから、今年一回では無理かもしれません。でもなんとか完成にこぎつけたいという松井さんの執念はたいへんなものです。
★ RBC琉球放送が、離島のキビ農業をテーマに30分番組を制作するそうです。自力更生でがんばる波照間島と援農隊受け入れで乗り切る与那国島を対比して、キビ農業を考えるというテーマだそうです。放映は3月下旬。NHKしか映らない与那国島では見ることができませんが、援農舎でビデオをとっておきますので、帰ったら東京で見てください。
★ 今年は、援農隊の60人以外にも、援農している私たちの仲間が与那国島にいます。与那国では民宿「ふなこし」に泊まっている片岡正夫さん。西表島大原では栗田武司さんが1月下旬から3月10日まで。栗田さんはキューバのキビ刈りにも参加したことがあり、第1回援農隊では小浜島で援農しました。西表島大富では岡本幸一さんと伊藤隆司さんの二人。
★ 2月11日に祖納の食堂「のれん」のおじさんとおばさんが交通事故に遭ったと聞き、驚きました。援農隊員は「のれん」で与那国のコーヒーを飲んだり、マンガを読んだりしてお世話になった店。幸いケガはたいしたことでなかったそうですが、与那国島でも交通事故とは、辺境の島もノンビリしていられないのがカナシイ。
★ みんな毎日がんばっているけれど、なかでもスゴ腕なのが祖納元博正さん宅に住み込んでいる佐々木すみ子おばさん。41歳。札幌に住む主婦。娘さんが高校生で「家のことは私がやるので安心して参加してきたら」と送り出してくれたそうです。佐々木さんのがんばりはモーレツで、島の人もビックリ。
★ 今年、与那国で援農隊とともに活躍しているのが、初めて導入された中型ハーベスタ。キビ刈りの重労働を解消するという農家の期待をになって登場した。大型に比べ、その性能が問題視されていたが、与那国では今のところその威力を大いに発揮、労働量では10Rの畑を2時間で刈ってしまうほど。雨の時には使えないのと、畑の基盤整備が必要なのだが、試験の段階で好評だったので導入した。農家では1台しかないこの機械を引っぱりだこ。
編集後記
今年私は個人的事情で援農に参加できなくなった。私にとってかかわりの深い北海道の人が多数参加しているのでよけいに残念である。3年ほど援農舎にかかわってきたが、今年は農家が援農隊を数人ずつ受け入れてくれるなど画期的な年である。援農舎と援農隊と農家と、切磋琢磨でがんばりましょう。(津葉本正憲)
この通信は、援農期間中2号まで出し、終了後年内に4号まで出す予定です。送料込みで1部100円で、なるべくまとめて申し込んでください。援農隊員には、援農期間中は無償配布しますが、制作費が赤字であり、カンパいただければ幸いです。
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Last Update:2004/04/07
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