音楽夜話
バイロイト音楽祭2003 その1
バイロイトまで
バイロイト祝祭劇場の正面
バイロイト音楽祭とザルツブルク音楽祭に行きたいと思ったのはずいぶん前のことだ。
バイロイト音楽祭については、もう40年近く前のことになるが、1967年春の大阪国際フェスティバルにヴィーラント・ワーグナー演出、ピエール・ブーレーズ指揮で「トリスタンとイゾルデ」「ワルキューレ」がバイロイトから引越し公演し、それを見たのである。
「トリスタンとイゾルデ」は当時20世紀最高のワーグナー歌手といわれたソプラノのビルギット・ニルソン、テノールのヴォルフガンク・ヴィントガッセン、マルケ王にハンス・ホッターという当時最高の顔ぶれだった。
ヴィーラント・ワーグナーはリヒャルトの孫で、現在の音楽祭を仕切っているヴォルフガンクの兄である。ヴィーラントの演出は舞台を暗くして、装置は装飾がまったくなく、舞台の上に一回り小さな円形の舞台を客席の方を低くして、そこで演じる。地味だがすっきりしたセンスのよい色彩の照明だけで進行するのに驚いたものだった。
私はまだ20代で会社に入って3年目だった。チケットは妻と二人だと私の1か月分の給料では足りなかった。無理して買ったのだが、大阪に転勤していたのが幸いだった。東京だととても行けるものではなかった。終わってグランドホテルのロビーで待っていると、ブーレーズら出演者らがやってきて、プログラムにサインをしてくれた。それは今も大事にとってある。
それからワーグナーのオペラは何度か見ているが、あの時の感激はいまも忘れられない。しかし、あのころ、自分がバイロイトに将来行くことがあるだろうとは思ってもみなかった。毎年FM放送で年末に放送する録音をエアチェックしたりもした。テレビでの録画もして見た。
音楽には関心がなく歌舞伎好きだった妻は10数年前から何を思ったかクラシック音楽を聴くようになり、コンサートやオペラに通うようになって間もなく、仲間ができてバイロイトに行くようになった。既に7回も行き、数年前からはドイツの在住日本人向けの新聞にその見聞記などを書いたりしている。私は仕事の関係で長い休暇を取ることができず、妻がいそいそと出かけて行くのを指をくわえて眺めていたのだった。
2年前の夏にチケットが手に入り、二人で行こうということになったのだが、夏が近づいて不況のせいから担当している出版部門の雑誌の業績が思わしくなくなり、夏休みどころではなくなって、結局私は行けず、せっかく手に入れたチケットだったので姉に代わって行ってもらった。
ザルツブルクはともかく、バイロイト音楽祭のチケットは入手がなかなか難しいことでも知られる。米国では正規料金の10倍以上という値段で売られているのをインターネットで見たことがある。日本ではそこまではいかないが、ある旅行社が正規の料金の2−3倍で入手してくれる。だが、それにはその旅行社のツアーに参加しなければならない。そのツアーがまたかなり高価だともいわれるから簡単に乗るわけにはいかない。
妻のチケットは彼女がバイロイトのフェスティピーレ友の会の直接会員になっているので、席さえ選ばなければ自分のチケットは手に入る。ただ「ニーベルングの指環」4作と、ほかにワーグナーのオペラ3作の計7作が毎年上演されるのだが、両方確保できるということは滅多になく、「指環」か他の3作かどちらかということが多い。今年は「指環」だけが手に入った。
2年前のときはベルリン在住の知人のご主人がバイロイト音楽祭への協力者でかなりの寄付もしているということから、その人がチケットを融通してくれたのだった。だが、せっかくのチケットなのに私が行かなかったので、今回また頼むわけにはいかない。それで最初はバイロイトは諦めて、インターネットでチケットを確保できるザルツブルク音楽祭に行こうと決めて、今年1月に申し込み、3月に確保できた。そうしたら、私も会員になっている日本ワーグナー協会事務局長で音楽評論家の三宅幸夫さんの夫人から、「指環のチケットがあるけれどいかがですか」と誘いがあったのだ。それでこれに飛びついたのである。
その時、ザルツブルクの日程はすでに決まっていた。8月11日にドミンゴの「サムソンとデリラ」のチケットを買っていたのだが、11日が「指環」の最後の「神々の黄昏」の上演日だった。はるばるバイロイトまで行って「指環」を観るのに、最後の「神々の黄昏」だけ見ないでザルツブルクへ行くのは残念だ。そうしたら、先に紹介したベルリンの知人が「サムソンとデリラ」のチケットを欲しいと言ってきた。これ幸いと譲ったのである。
(続きへ)
感想などをメールでいただければうれしいです。メールは
こちら
まで。
Last Update:2003/10/01
©2003 Masayuki Fujino. All rights reserved.