音楽夜話

ザルツブルグ音楽祭2003 その1



2003/8/12 バイロイトからザルツブルグへ 「イェーダーマン」     大聖堂前広場
 バイロイトの朝は8月も中旬に入ると、シャツ1枚だと寒いくらいだったが、次第に暑くなる。1週間前、ニュルンベルク空港から乗ったときに頼んでおいたタクシーが、ラマダホテルに8時15分に迎えに来てくれた。バイロイトからニュルンベルグ空港までは70キロぐらいの距離だから、不況のドイツでは、われわれは「よいお客さん」なのだ。

 朝のアウトバーンが混むかと早めに出たのだが、道路はすいていて40分でニュルンベルク空港に着いた。朝のアウトバーンは快適で、運転手は120キロから160キロぐらいで走った。ラジオのおしゃべりを聴きながらしきりに笑うので「何を放送しているのか」と訊くと「サッカーをネタにした駄洒落だよ」という。「ハンブルガーの高原選手を知っているか」と訊くと「うん、よく知っている。いい選手だね」と言っていた。当たり前のことだがドイツではタクシーもベンツである。エンジン音が低く、これも快適な要素だ。

 早く着いたのでニュルンベルク空港では2時間近く待った。空港は小さく、空港周辺にはこれと言ったものは何もない。チェックインを済ませてカフェテリアでピルツを飲む。ニュルンベルク空港は荷物の重量制限に厳しく、家人がそれをしきりに心配して、とにかく預けるトランクはできるだけ軽くしたのがよかったのか、黙って通してくれた。トランクはそれぞれ25キロ強だった。おかげで音楽祭のカタログなど重いものは私がザックに背負う羽目になった。手荷物検査をして、デューティーフリーショップで煙草を買おうとしたが、国内便なので売ってくれない。ザルツブルグ行きの切符を見せるとフランクフルトで買えという。

 フランクフルト行きは11時発。50分で着いた。ターミナル1のA38ゲートに着いたが、これは5日に到着したA42のすぐそばだ。ザルツブルク行きのチロリアン航空は同じターミナル1なのはよいが、B9ゲートで、これがまた遠い。動く歩道などを使うのだが1キロ以上はありそうだ。  12時40分発のザルツ行き便は13時離陸。機内ではサンドイッチとオレンジジュース、コーヒーのサービスがあった。ザルツブルクに近づくと、窓からは遠くに山並みが望めた。オーストリア・アルプスだろうか。4年前にウィーンからベルリン、ハンブルクへと北ドイツの上空を飛んだときには、眼下に発電用風車があちこちに点在していたが、南ドイツではまったく見えない。

 14時10分、ザルツブルク着。ここもニュルンベルクと同規模の空港だ。入国審査もトランク検査もなかった。EUになったことでこういう点が簡略化されたのだ。ワゴンタクシーをつかまえると、若い運転手だった。メーターのところに34度Cと出ているので、訊くと10日以上これぐらいの気温が続いているという。

 ザルツブルクの道路は狭い。かなりの車ラッシュである。メンヒスベルクの岩山をくりぬいたトンネルを抜けると、馬の噴水の池があるカラヤン広場で、すぐ横が祝祭劇場だ。ゲトライデガッセの横を通って、ザルツァッハ川を渡り、モーツァルト生家のあるマカルト広場を抜けると、ミラベル宮殿の近くに宿舎のホテル・アウストロテルがあった。
 350年ほど前に建った古い欧州スタイルのホテルで、ここも冷房はなかった。ザルツブルク大主教のレジデンツ宮殿が建てられる前は、この建物が大主教館だったそうだ。チェックインして315号の部屋に入ると、ツインベッドのほかにエキストラベッドが置かれていた。バイロイトのラマダ・レジデンツシュロスよりやや広いが、窓は一つ。インターネットで予約するときに頼んでおいたミラベル宮殿には面していなかったが、宮殿側だと西日が入るので、夜いつまでも暑いことを考えると、これでよかったのかもしれない。机の上で扇風機が回り、ベッドにはウェルカムギフトが置かれていた。テレビの画面にWELCOME MASAYUKI FAMILY FUJINO と出ているのは、やはり海外の観光客の多い古都らしい気遣いといえよう。

 早速荷物を解いて、一段落すると、フェスティバルの会場の確認をしに町へ出た。ザルツァッハ川を渡ったところのスーパーマーケットをのぞいてみた。食料品専門だが、肉、ハム、ワイン、ビール、パン、野菜、菓子などそれぞれの品数はものすごく多い。町の中心部なので客も多く混雑している。日本のようにサラダや果物を小さなパックにしたのもある。帰りに買うことにして、ゲトライデ通りなどを歩き、ザルツブルク大聖堂ドーム広場へ行くと、今夜の「イェーダーマン」公演の当日券売り場に100人ぐらいが並んでいた。シートや簡易いすを持ってきて座り込んでいる人もいる。

 ザルツブルクの旧市街はミラベル宮殿やマカルト広場の辺りは別にして、ザルツァッハ川を渡った方の旧市街は、6、7階建ての建物が狭い道路を挟んで建て込んでおり迷路のようだ。そのためか、数十メートルあるいは100メートルぐらい行くと、必ず広場がある。そのひとつであるドーム広場の入口に臨時にトタン板で仕切り壁が立てられていた。入口で警備をしているらしい男性に「今夜の出し物のイェーダーマンの会場はここか」と訊くと「そうだ。開演は8時半だよ」と教えてくれた。

 街の小路の奥に早苗が以前訪れたときに行ったという安いテラスレストランがあり、そこへ行った。中庭のようなところで、その一角の建物の中でセルフサービスで小皿に好みの食べ物をとり、飲み物を注文して、レジで支払う方式だ。ポテトと豆、ザワークラウトとハム、ローストポーク、ピルツ2つで14オイロ。ローストポークは味が濃すぎなくておいしかった。ザワークラウトもバイロイトの店で買ったものより酢が薄味で、こちらの方が私には合う。中庭のテラスのテーブルで食べた。
 旧市街の入り組んだ迷路のような路地や小路、抜け道としてのパッサージュも狭く、そんな小路の小さな庭にはテラスカフェがいくつもある。路地の両側はブティック、みやげ物店、レストラン、コーヒー店など観光客相手の店がほとんどだ。ゲトライデガッセはなかでも一番の繁華街で、有名ブランド店が軒を連ねる。店のショーウィンドウもバイロイトの田舎よりはずっとデザインが洗練されている。やはり観光客が異常に多い。見てわかるのはイタリア人とアメリカ人だ。東洋人では中国人が多い。

 6時半にいったんホテルに戻って、ドーム広場の野外劇「イェーダーマン」を見に行く。暑いので半そでシャツにジャケットと綿パン。家人もジーンズにTシャツ。8時ごろにドーム広場の入口に行くと、多くの人がすでに集まっていたが、東洋人はまったく見かけない。8時の開場で着いた席は木製のベンチだった。会場はすべて同じ木のベンチなのだ。28列69、70という席は後ろの方だった。ほとんどの観客は普段着だが、地元の女性はロングドレスやイブニングも結構多い。男性はダークスーツやタキシード姿もいる。芝居を見るというのは非日常的な行為というか、祝祭的な行為なのだろう。

 ホフマンスタール作のこの演劇は、祝祭的な民衆劇といった感じで、1920年からザルツブルグ音楽祭で上演されている。1938年から45年までのヒトラー時代を除いてほぼ毎年上演されているそうだ。この音楽祭のシンボル的な芝居なのである。8時半になり、2000人ぐらいは入るだろう客席が埋まると、ストリートキッズともいえるようななりの子供たちが舞台へ駆け上がり、にぎやかに音楽を奏でて芝居は始まった。この時間でもまだ辺りは明るかったが、芝居の進行とともに夕闇が迫ってきて、空には星がまたたき始めた。すると、昼の暑さが嘘のように涼しくなってきた。自然の涼風に吹かれて芝居を見るというのは快いものだ。
 そのうち、こういう情景のなかに自分がいるということに対する一種の既視感(デジャビュ)が湧いてきた。どこかで何時だったか、これと同じような場に居合わせたことがあるという根拠のない感情である。それを思い出そうとするのだが、どうしても思い出せない。十数年前にイタリアに旅行した際のシエナだったか、あるいは北イタリアのどこかの町で、こんな状景に出合ったことがあったような気がしてくるのだが、そんなことがあるはずがない。舞台がドイツ語なのでセリフがわからず、それだけに人の動きだけで物語を想像しているので、ついそんな心の動きにとらわれてしまうことにもなったのだった。それもまたそれで楽しい心の動きではあった。

 芝居が跳ね、ドーム広場から、トマセリ広場のカフェ・トマセリの前を通り、ゲトライデガッセを経てホテルへ戻ったら11時を過ぎていた。疲れからすぐに眠ってしまった。(続きへ)


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Last Update:2003/10/01
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