旅は道連れ

甲州塩山の桃源郷      2007/04/13



 去年は与那国島に関係する人たちと笛吹市で桃の花見を楽しんだが、今年は甲州市塩山の桃源郷を豊高12期会の13人で歩いた。今年の冬は暖かく、地球温暖化のせいだろうなどと取りざたされた。先日、ドイツ・ハンブルグにいる姪が一時帰国したので話していると、ハンブルグでは冬は寒い日は氷点下20度ぐらいまで気温が下がるのは普通のことだが、この冬はそんな日は数えるぐらいしかなく、氷点下3,4度という日も数回だったという。ドイツワインにアイスワインというのがある。畑で熟した葡萄の実を急激な気温の低下で凍らせたのを採取して作るワインである。ドイツワインの最上級品とされる。暖冬のせいで、今年はアイスワインはほとんどできなかったそうだ。

 日本の冬も今年は暖かかった。桜は3月20日ごろに咲き始めたし、我が家のあるマンションの庭には、例年なら少しずつ時期をずらせて咲く花が一度に咲いてしまったりした。パッと咲いて、パッと散るはずの桜も今年は咲いている期間が例年より長かったような気がする。

 桃が栽培されている山梨県は東京より標高が高いから、いろんな花が咲いているだろうと楽しみでもあった。新宿9:30発の特急「かいじ101号」で塩山に着いたのは10:59。薄曇りだが、暖かく春たけなわといった天候だ。塩山市は先の市町村合併で甲州市となった。

 塩山駅北口のすぐそばに「甘草屋敷」がある。この屋敷は高野家の住宅で重要文化財に指定されている。甘草(かんぞう)は、古くは甘味料、調味料として使われたようだが、生薬としての効用が注目され、江戸時代にこれを栽培して幕府に納め、年貢や諸役を免除されていたという。建物も興味深い。大きな屋根は切妻造りであるが、中央が一段高く3層になっており、そこにそれぞれ窓が付けられている。内部を上階に上がって見ることはできなかったが、外から見ると平屋のようでも内部は3階建てというのは、白川村の合掌造りなど各地にあるが、こういう造りは珍しいと思った。

 一般公開されていて、玄関を入ると、座敷にたくさんの豪華な雛飾りが展示されていた。女性が説明してくれる。古くは享保雛から新しくは昭和40年ごろのものまである。これを見ていると、雛飾りが時代によって変わってきていることがわかる。吊るし雛もたくさん飾られていた。子供のころ、お雛様には草餅や甘酒をお供えした。夜になって誰もいなくなると、雛人形たちがお供えした物を食べて宴会をするのだといわれたことを思い出した。雛人形が人が誰もいない部屋で踊るのを見てみたいと、襖を少し開けてのぞいて待ったが、お雛様が踊り出すことはなかった。昔の雛人形の顔は子供には異様に見え、可愛らしいというのではなく、なんとなく気味が悪い感じがしたものだ。

 別室に樋口一葉展示室があった。特別なものはほとんどないが、塩山市はこの辺りを「一葉の里」として町おこしをしている。ところで明治の夭折の作家・樋口一葉はこの地へ来たことは一度もない。それなのに「一葉の里」というのは、両親がこの近くの出身だったからだ。両親は中萩村の農家で、慈雲寺の寺子屋で学んでいた。相思相愛だったが、母方の親から2人の結婚に反対され、2人は駆け落ちした。追っ手をまくために青梅街道ではなく、御坂峠を越えて小田原に出、さらに江戸へ出たそうだ。一葉は甲州を訪れたことはないが、両親から話に聞いていたのだろう、この地のことを文章に書いている。明治28年に発表した短編小説「ゆく雲」に次のような一節がある。

 「我が養家は大藤村の中萩原とて、見わたす限りは天目山、大菩薩峠の山々峯々垣をつくりて、西南にそびゆる白妙の富士の嶺は、をしみて面かげを示めさねども冬の雪おろしは遠慮なく身をきる寒さ、魚といひては甲府まで五里の道を取りにやりて、やう/\(まぐろ)の刺身が口に入る位、あなたは御存じなけれどお親父さんに聞て見給へ、それは隨分不便利にて不潔にて…」

 一葉はこの文章で「甲府まで五里の道を歩いてまぐろを手に入れ、刺身が口に入る」と書いているが、はたしてこれはどうだったか、疑問がある。私は日本海に近い山陰に育ったから新鮮な魚を食べて育ったが、山国の甲州で明治という時代に「マグロの刺身」を食べることができただろうか。話は変わるが、映画監督の小栗康平さんは群馬県前橋の人である。彼は昭和20年生まれだが、子供のころ生の魚は川魚以外に食べたことはないと言っていた。海の魚はたいてい干物だったそうだ。昭和20年代の前橋でこのような状況だったのだから、甲州の、しかも山に囲まれた中萩村で、甲府から持ってきたとはいえ、マグロの刺身を食べられるとは到底思えないのだ。一葉がこう書いたのは、やはり彼女が中萩村を訪れたことがないからだろう。

 甘草屋敷の庭で昼食にした。この先にはゆっくりと食事をできるところはないからだという。女性たちがそれぞれ手製の玉子焼きやおひたしなどを持ってきてくれる。それらを少しずつご馳走になるのも、このグループのハイキングの楽しみである。そんな中で宮崎さんがズイキの煮物を作ってきてくれたのを味わった。私たちの子供のころはこのズイキ芋の煮物はよく食卓に出た。里芋の茎を干したもので、この煮物は懐かしい味であった。

 12:10、食事を終えて歩き出す。舗装された緩やかな登りだ。重川を渡るころになると、北東に大菩薩嶺が望まれる。桜や桃の花が菜の花の黄色と重なって鮮やか彩りが目にしみる。慈雲寺の手前に草餅などを売っている休憩所を兼ねた店があった。草餅1個100円とある。見るとじつに自然で鮮やかな色だ。それを求めて口にすると、お茶を淹れてくれて沢庵を添えてくれた。この草餅とお茶もおいしかった。何人かがお土産に購っていた。1時ごろに慈雲寺に着いたが、本堂前の樹齢300年以上という枝垂桜はすでに散っていた。樹容は見事だ。わきに樋口一葉の立派な顕彰碑が建っていた。樹齢300年以上ということは、一葉の両親もこの桜を眺めたわけだ。この桜の下で駆け落ちしようと相談したのかもしれない。

 この辺りから一面の桃畑になる。10分ほどのところに日向薬師がある。石段を上がると、眼下に桃畑が広がって眺めがよい。心地よい春風が吹いてきた。春霞のせいで南アルプスは望めないが、遠くの畑で耕運機の音もして、なんとものどかな風情である。日向薬師からは桃畑のほかにさくらんぼ、プラム、スモモなどの畑が広がっている。さくらんぼの花は白い。プラムは淡い緑色がかかっている。桃の摘花をしていたり、さくらんぼに人工授粉をしている姿も見られた。木下にはオトギリソウが一面に広がっている畑もある。そんな中にタンポポの黄色が映えていた。滝本院は、甲斐国守武田信春がここに祀られていた不動明王を武田辰巳不動として厚く敬い、祈願所とした寺である。ここの茶店の桃ジュースでのどを潤した。生の果汁が気持ちをさわやかにしてくれ、塩山駅に戻ったのは14:50。

 15:09の各駅停車で、1駅戻り、勝沼ぶどう郷で下車。タクシー5分でぶどうの丘公園へ。ここのレストランで勝沼産のワインを楽しんだ。食事時間ではないので、スパゲッティとカレーしかできなという。チーズとワインで話に花が咲く。レストランからは勝沼の盆地が一望できて眺めはすこぶるよい。来年、箱根で開く高校同窓会の準備状況などを報告した。

 17時、頼んでいたタクシーで塩山駅に戻り、17:40発の特急で帰京した。天候に恵まれ、春のさわやかさを楽しむことができた。実は、この企画は尾形文夫さんの提案によるもので、尾形さんは3月23日に田中嘉津明さんと下見をしてくれていた。ところが、25日に尾形さんは中学の同窓会に出席するために、郷里の豊岡に着いた時に、気分が悪くなり、自分で救急車を呼んで入院した。狭心症だという。11日間入院して、無事退院したのだが、このハイキングには参加を見合わせた。代わって田中さんが幹事役で世話をしてくれた。尾形さんがまた元気を取り戻していっしょに歩けるようになってほしいと願う。代わって幹事を務めてくれた田中さんにもお礼を申し上げたい。

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Last Update:2007/04/13
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