ハワイ悠遊

ハワイ悠遊      2003/02/04−13 (その1)



東京−ホノルル−ハワイ島コナ−同ヒロ−ホノルル−東京

2003/2/4  第1日

 成田19:30分発のユナイテッド航空でホノルルへ。B737-400機は95%の乗客。機内で志鳥栄八郎「人間フルトヴェングラー」を読む。約6時間でホノルル4日午前6時過ぎ着。タクシーでALAWAI2355へ。姉のコンドミニアムである。昨年退職したので姉から来ないかと誘われ、急きょ思い立ってのハワイ旅行。別の二人の姉も既に1月から来ている。往復58000円と安いチケットも手に入った。

 旅装を解いて一眠り。7階のベランダからオアフ島の切り立った脊梁山脈のコーラル山脈が一望だ。眼下はALAWAI運河を挟んで世界で最も混雑するAKAWAIゴルフ場である。
 午後、歩いて5分もかからないワイキキの浜を散歩。米国人の老人夫婦があちこちで寝そべったり、木陰で本を読んだりしている。ああ、この風景だなと思う。
 夜は、東京にもあるレストランTony's Roma で姉夫婦、二人の姉と歓迎の会食。ステーキやチキンはともかく、玉葱リングのフライが巨大で、しかも旨いのには驚いた。食後はカラカウア通り、クヒオ通りを散歩して腹ごなし。

2003/2/5  第2日

 義兄によると、ハワイの経済は米国本土より日本の影響の方が大きいそうだ。バブル時代は日本からの観光客はこの時期、毎日7、8千人がホノルル空港に降り立ったそうだが、今は1日4千人前後と半分だそうだ。朝の日本語ラジオ放送でその日の人数を伝えている。
 今日はハワイ大学からアカデミー美術館を経てダウンタウン、チャイナタウンを歩いたが、店や事務所などで閉店したり売りに出しているのが多いのが目立った。チャイナタウンは半数以上が閉まっていた。

 帰りにアラモアナ・ショッピングセンターの中の書店でオアフ島とハワイ島の地図を買う。登山用の地図がないかと探したが、詳しいトレッキングルートを書いた地図はみつからなかった。

2003/2/6  第3日

 オアフ島北部のライエにあるポリネシアン文化センターへ。ワイキキからツアーバスが出ており、予約して姉のコンドミニアムの隣りのホテルで待っていると、迎えに来てくれた。フリーウェーH1からヌアヌウェーでトンネルを抜け海兵隊のあるカネオヘを過ぎて東海岸を北上、1時間半で文化センター着。
 東京ドームの数十倍という広大な敷地にポリネシア各島の村を再現、水路ではカヌーでそれらの島から来た人たちが踊りなどを見せてくれる。ポリネシア文化の研究・保存とともに、それをショービジネスにしたものだ。踊りなどの芸能をするのは各島から人たちと隣りにあるブリガム・ヤング大学の学生たちである。各国語別の案内も留学生がアルバイトとして付いてくれる。私たちの案内係は沖縄の宜野湾市から留学している女子大生だった。

 トンガとニュージーランドの村を訪ねた。その後、映画鑑賞が予定されていたが、私は隣りのブリガム・ヤング大学のキャンパスとモルモン教の神殿を見る方を選んだ。一面の広い芝生のキャンパスのあちこちに図書館や教室、学生寮、教授の宿舎などが建っている。文化センターは大学が運営し、大学はモルモン教のミッションスクールでもある。
 大学はホノルルから遠く離れているので、学生たちはアルバイトがない。そのために文化センターをつくり、ここで学生たちにアルバイトさせることで、学費や生活費を稼ぐのである。だからブリガム・ヤング大学は授業料が安くなっているそうだ。日本からも数十人留学しているという。

 文化センターに戻ってレストランの前にいたら、日本人の学生がみやげ物の見本をもってアンケートに来た。マーケティングの訓練なのである。そういう風に学生の実習の場にもなっているのだ。
 食事をした後、ホールでショーを見た。座席数5千ともいう大ホールは半円形で、舞台を囲み、ステージの後ろは崖とジャングル風になっている。そこでポリネシアの7つの島の踊りが繰り広げられる。
 ショーが終わったら9時を過ぎていた。バスでホノルルに戻ったら深夜だった。

2003/2/7  第4日

 朝方、曇っていたが、いつものことなので、そのうち晴れるだろうと、おにぎりを作って二人の姉とダイヤモンドヘッドへ。
 1万年前に爆発した火山の跡で、直径3千メートルほどのクレーターになっている。登山口でバスを降り、クレーターの壁を通るトンネルをくぐると事務所があり、ここで入山料1ドルを払う。数年前までは無料で、1ドル払うと登山証明書をくれたという。クレーターのお碗の中を歩くと、まもなく壁を登っていくことになる。頂上は標高230メートルほどで、登山道もちゃんとしており、楽に登れる。

 だが、途中で小雨もようになり、真っ暗なトンネルを懐中電灯便りに登って、頂上へ着いたら土砂降りの雨だった。頂上は第2次大戦中の軍のトーチカだったらしく、天井の下に幅50センチぐらいの隙間しかなく、そこから海やワイキキがのぞき見える。トーチカを出て屋根の上の展望台に上がったら、横殴りの強烈な雨で写真を撮る余裕もなく降りることに。トーチカの中でしばらく待ったが、雨のやむ様子もない。しかたなく濡れるのを覚悟で下山。下着までびっしょりだ。
 下山したら、日系人運転のタクシーが来て乗った。彼が言うには「私は頭がよい」。ここへくれば必ずお客がいる。

2003/2/8  第5日

 昨日、町で手に入れた無料の日本語新聞に「週末トレッカーズクラブ」主催のオアフ島の山歩きの案内が出ていたので電話で参加を申し込んでおいた。朝8時にアラモアナセンターのUpper 3 lebel、H1に集合、メーシーズ百貨店のそばだというので、7時半に家を出てバスで行き、メーシーズ百貨店の3階入り口に行ったが、だれもいない。慌てて辺りをぐるぐる回ったが、わからない。

 ちょうど朝の散歩中の日系人老夫婦が通りかかって、聞いたら日本語は少ししかわからないがと言い、それでもUpper 3 lebelというのは3階のも一つ上だという。しかし、行ったらそこでもない。はたと気がついて3階の屋上の駐車場だとわかり、教えてくれた。礼を言って別れ、行ってみると果たして登山スタイルの十数人が集まっていた。

 リーダーの柳瀬さんはダイエーの子会社であるホノルルの建築会社に勤めているという。見るからに頑丈そうで、明るい感じの40代と見た。
 参加者は、日本企業のホノルル駐在員の男性と小学生の息子、日本食の食材販売の男性、60代の事業者と日本から来た大学時代の友人、犬を連れた人、中年の女性3人、ホノルル大学の女子学生とその友人の米国人女性など15人。4台の車に分譲して15分ほどでダイヤモンドヘッドに近い山の手の高級住宅街の上にある登山口に着く。高級住宅街に入る道路の中央にガードマン事務所があって、入る車はすべて目的を聞かれ、ナンバーが控えられる。

 道路脇の駐車場に車を停め、歩き出す。広い緩やかな山道を行くと、次第に狭くなる。土留めをした急な階段を上ると、本格的な登山道になり、道は狭く、幅1メートルほどの尾根道を行く。両側は急峻な崖になっているが、潅木が茂る。振り返ると眼下にダイヤモンドヘッドのクレーターが望まれる。コーラル山脈の峰から幾筋もの谷を挟んで尾根が海に向かって流れている。

 道は次第に急な登りになる。登り始めて1時間ほどで電柱のある高台に出た。そこから少し下って、それからが急な登りになるが、この高台でほとんどの人がリタイアした。900メートルぐらいの頂上付近はかなり急な崖になっているようで、私は自信はなかったが、行ける所まで行ってみようと思った。柳瀬さん、駐在員親子、日米の女子大生、それに中年の女性1人と男性1人、それに私が登っていったが、赤土の道は次第に急になり、前日の雨で滑りやすくなっている。

 ロープのある鎖場を二個所こなしたが、3本目は高さ10メートルほどの90度近い斜面で、足場がないので男性と私は、ここでギブアップ、頂上へ登った人が戻ってくるのを待った。下を見ると、谷の奥、遠くにALAWAIゴルフ場が眺められる。その向こう側から毎日、この山並みを眺めていたわけだ。

 頂上から戻ってきた小学生は地面に座り込んでお尻でずり落ちるようにしてロープ伝いに降りてきた。柳瀬さんのリードで、一人ずつロープで降りてくる。
 みんなが待っている高台に戻って昼食。20分ほど休んで下山した。家に戻ったのは昼過ぎ。柳瀬さんは、午後は別の登山グループで走って山に登る会に参加するのだという。そして夕方はボードサーフィンへ、という何とも鉄人のような人だ。
 頂上は極められなかったが、こんな山登りは初めてで楽しい登山だった。 (続きへ)

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Last Update:2004/09/24
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