ハワイ悠遊

ハワイ悠遊      2003/02/04−13 (その2)



東京−ホノルル−ハワイ島コナ−同ヒロ−ホノルル−東京

2003/2/9  第6日

 ハワイへ来たら、やはり1度はパールハーバーへ行かなくてはと思い、3人の姉とリムジンをチャーターして行った。
 その前にワイオリの谷のロバート・ルイス・スチーブンソンの家を訪ねた。今は教会とティールームが有名で、日本人がハワイで結婚式をした最初がこのワイオリ教会だそうだ。ティールームの建物の裏の茂みの中に草葺きの粗末なあばら家があり、これが「宝島」の作家スチーブンソンが1889年から93年までの4年間住んだ家だという。10畳ほどの一間だけの家だ。姉が前に来たときは、茂みの入り口でロープが張られ、入れなかったという。今は敷石の歩道もつけられ、建物のそばには「ロバート・ルイス・スチーブンソン・メモリアル・ハウス」と表示もある。

 彼はここに滞在中、ハワイ王朝最後のリリオカラニ女王のいるイオラニ宮殿に通い、女王と親しく話し込んだりしたのだ。今年はそのハワイ王朝が倒れて110年になる。記念の1月17日には王朝を偲ぶ催しがあったそうだ。姉たちはふだん神戸に暮らしており、奇しくもその日は阪神大震災の日でもあり、また別の感慨があったようだ。

 次いでタンタラスの丘に上がったが、ダックスフンドのような長いリムジンは、頂上へは上がれず、途中の眺めのよいところまでしか行けなかった。フリーウェーを走っていると、パンチボウルという標識があるので、何かと思ったが、まさにパンチボウル状のお碗形の地形のところが国立墓地になっているそうだが、これも工事中とかで行けなかった。その墓地の中央にスペースシャトル・チャレンジャー事故で死亡したハワイ出身のオニヅカ大佐の墓があり、彼はハワイ日系人の誇りで、いつも花が絶えないという。

 ヌアヌウェーを左にそれて、上って行くとヌアヌパリに出る。コーラル山脈の切れ目の肩のところで、両脇に切り立った山がそびえ、その間の広場を進むと、前はケネオヘを望む北東海岸の展望が拓ける。目の下は数百メートルの絶壁だ。ここはカメハメハ1世がハワイを統一した決戦の行われた古戦場。カメハメハ軍は敵をここに追い詰め、崖から追い落として勝利した。
 北東の海から吹きつける風が強いことで知られるそうだが、この時は風はあったものの、それほど強くはなかった。

 ヌアヌパリから下りて、フリーウェーをさらに西に進んで行くと、TVCMで有名になった「この木何の木」がある。個人所有の広大な庭に、モンキーポッドの木が幾本も立っていて、木陰で家族連れがお弁当を摂ったりしている。所有者は日本人がたくさん見に来るので、この庭園を開放しているのだそうだ。芝生の手入れもよく、1日ゆったりと過ごせそうな気分になる。

 パールハーバーに着くと、戦艦アリゾナ記念館は今は米海軍から移管されて国立公園となっており、入場は無料で開放されていた。まず映写室で記録映画を見せられた。かなり激しい日本批判の映画で、日本人はいたたまれなくなると聞いたことがあるが、その後、文章が変えられたのか、私には想像していていたより公平なように思えた。映画の最後に前のブッシュ大統領の「パールハーバーは歴史上のこと。今は日本に対して恨みはない。日米が協力して世界の平和を守っていくべきである」という言葉が紹介されたが、その息子によるイラク問題でゆれる今、妙に胸に響くものがあった。

 映画が終わると、船で湾の対岸近くにあるメモリアルホールへ。両端が高くなり、横から見ると映画のシネマスコープ状の白亜の建物が沈没したアリゾナの上に建っている。中に入ると周辺がよく見えるように窓がなく、開放されている。目の下に沈んだアリゾナが見える。周辺には連合艦隊の攻撃で沈んだ他の戦艦が係留されていた位置を示す標識があちこちにある。

 建物の奥の壁にアリゾナに乗り組んで死亡した米兵の名が刻まれている。その前に花が供えられ、日本人からの供花もあった。
 美しい青い海面を眺めていると、沈んだアリゾナから出てくると思われる油の固まりが時々水面に浮き上ってきて、輪になって散っていった。

 船で陸に戻り、今度はバスで9月2日に重光葵外相が降伏文書に調印した戦艦ミズーリを訪ねた。ミズーリは米海軍最後の戦艦だが、今は退役して博物館として係留されている。降伏文書を調印したデッキには、記念のプレートが床にはめ込まれ、降伏文書のコピーがガラス箱に納められて見学者に供されていた。乗員2700人、58000トンの大鑑は第2次大戦で終わり、その後は空母の時代になった。作戦室の鉄の壁は厚さ30センチはあるだろうか。まさに鉄の塊といった感じで往時をしのばせた。

2003/2/10  第7日

 朝7時半、SIDAタクシーで姉たちと空港へ。このタクシーはWAIKIKIから空港まで12ドル、チップを加えて15ドルと安い。帰りに別の客を確実に取れるからだ。9:15発のALOHA航空でハワイ島のコナヘ9:50着。
 ALAMOというレンタカーを借りて19号線を北へ。運転は左ハンドルに慣れている姉。車種はPONTIACのセダン。ふあっと滑るようでなかなか快適な走りである。道路の両脇は一面溶岩が固まった真っ黒の瓦礫の平原だ。それでも草が生えだしている。あちこちに白い石を並べて名前や何か言葉が書かれているのが見える。なかにHAPPY NEW YEAR というのがあった。

 ハワイ最高峰、4200メートルのマウナケアのなだらかな稜線を見ながら進み、WAIMEAのパーカー牧場のレストランで昼食。牧場だけに肉が旨いだろうとステーキを頼んだ。パーカー牧場はマエウナケアの北麓一帯に広がり、個人所有の牧場では全米一の広さだそうだ。標高は1500メートルぐらいで高原の秋といった感じの風が心地よい。近くの店で皮革製のカウボーイハットを買った。
 民家をそのまま利用したアンティークショップに姉たちが入った。リビングにはアクセサリー、キッチンには焼き物、ベッドルームには洋服や子ども用品と民家を旨く利用したディスプレーだ。姉がコーヒーカップなどを買い、4人は姉弟だというと、女主人はソファに坐りなさい、記念写真を摂ってあげるといった。
 WAIMEAの町は桜が多い。沖縄に多いヒカンザクラのようで、赤みが強い。

 さらに19号線を東海岸沿いに走ると、こちらは緑も多く車も少なく、快適なドライブだ。ハワイ島の中心地HILOに近くなってAKAKA州立公園に立ち寄った。高い滝があり、周辺が自然の熱帯植物園になっている。黄色い肌の竹林やさまざまの熱帯植物がここでは異様に巨大な姿である。
 HILOの町は落ち着いたたたずまいである。HILO湾に面したカメハメハ通りは広々として気持ちがよい。湾の南側の岬の突端にあるHILO HAWAIIAN HOTEL がこの日の宿。ホテルの前は巨大なガジュマルの並木で、バニヤン・ドライブと名づけられている。リリオカラニの名がついた日本庭園もあった。7階の部屋は目の下がHILO湾で、ヤシの木立ちの島が絵に描いたような南洋の風景だ。湾の向こうには頂上が雲に隠れたマウナケアが望まれる。

 ホテルからキラウエア火山の赤い溶岩流を眺めるツアーがあると聞いて交渉したが、今は通行止めになっていて見える所までは行けないというので諦めた。ホテルの近くの小島を散策していたら、港から出航する11階はあろうかと思われる巨大な観光船がしずしずと出て行くのを目の前にした。
 HILOは日本人の入植者が多い町であるという。そういえば、湾のそばにSUISANという市場があった。水産物を扱っていたのだろう。 (続きへ)

 感想などをメールでいただければうれしいです。メールはこちらまで。

Last Update:2004/09/24
©2003 Masayuki Fujino. All rights reserved.