旅は道連れ

甲府郊外に友人を訪ねる      2005/06/17−18 (その1)



2005/06/17  第1日

 大学時代に4年間を過ごしたキリスト教の団体、早稲田奉仕園の友愛学舎の後輩の斎藤善久さんが、榎戸隆さんの山梨のお宅へ行こうと誘ってくれた。榎戸さんは早稲田の政経学部で斎藤さんの1年先輩らしいが、同じゼミだった。榎戸さんは朝日新聞に入り、記者として活躍し、仙台、盛岡、山形の支局長などを務めて退職した。斎藤さんは電通に入り、2年前に定年を前にして退職した。

 斎藤さんが拙著「与那国島サトウキビ刈り援農隊」を読んで、榎戸さんにそのことを話した。与那国島を訪れたことのある榎戸さんは大いに関心を示してくれて、斎藤さんの紹介で3人でこの1月に会った。荻窪の与那国島出身の女性が開いている沖縄料理店でご馳走になった。楽しい1夜だった。榎戸さんは甲府郊外の山村に古い農家と畑、田圃を購入して、東京と山梨を行き来しながら、リタイア後を農作業で過ごしているという。その時に、一度山梨のお宅を訪ねようということになったのである。

 斎藤さんと新宿駅ホームで待ち合わせ、13時新宿発の特急に乗った。国立駅で人身事故があり、予定の電車が遅れるので、一つ早い特急にした。甲府で身延線に乗り継ぎ、市川大門駅に着くと、榎戸さんが車で迎えに来てくれていた。市川大門駅の駅舎の屋根は中国風の反身の色瓦である。市内に碑林公園があり、中国と交流があるらしい。まず舂米(つきよね)のお宅へ。

 甲府盆地の南端の丘陵地帯で、眼下に盆地が見渡せる。山際でゆるやかな棚田や畑が広がっている。榎戸さん宅は見晴らしのよい郊外農村地帯の一郭にあった。今日はわれわれが来るというので奥さんも東京から来てくれているようである。冷たいお茶と西瓜をいただく。家のすぐ前は田植えが終わったばかりの水田である。梅雨の合間のさわやかな風が家の中を通っていく。心地よい。子供のころのいなかの家を思い出させてくれる。

 建物は相当お金をかけて修理したらしく、梁などは古いものを生かし、古い農家の情趣を残しながら、きれいに修復されている。玄関の広い土間には平たい石が貼られているし、土間から上がった部屋には床が板張りで、真ん中に囲炉裏が切られている。今は暖かい季節なので、囲炉裏には板が被せられている。元は畳敷きだったそうだが、古い農家の雰囲気を出そうと榎戸さんが板張りにし、囲炉裏も新たに切ったのだそうだ。そういう主人の趣味が各所に感じられる。

 ひと休みすると、早速畑に案内された。歩いて数分のところである。小さな棚田、棚畑が3段になっており、1段と半分が水田で、田植えが終わったばかりで、豊かな水を張った水田には早苗が風にそよいでいる。田植えは手植えで、何人かに手伝ってもらったという。なれない田植えの準備もたいへんだったろう。畦の内側には板が張り巡らされている。畑の1段はまだ使われておらず、残りの半分にさまざまな野菜が少しずつ植えられている。キウリ、トマト、パセリなどを食べる分だけ収穫した。もちろん農薬は使っていない。榎戸さんは農薬を「毒」と呼び、「毒は使っていない」と言った。春菊が伸びきって、花を付けているのを見て、斎藤さんは「春菊の花は初めて見た」といたく感心している。

 畑から戻ると、町営の温泉「まほらの湯」に入りに行った。最近は各地にこういう日帰り温泉ができていて、山歩きの帰りに私たちもよく利用する。駐車場も完備した立派な施設が多い。ここも夜9時半まで利用できる。露天風呂もあって、晴れ上がった明るい時間にこうしてゆっくりとお湯に浸かるのは働いている若い人には申し訳ないが、心身をリフレッシュさせてくれる。

 榎戸さんは注文してある寿司を取りに車で出かけていった。斎藤さんと2人で庭で夕涼みする。道路から庭への入口に築山があり、そこに手製の表札がかかっている。郵便受けも手製のようだ。それぞれ巧みな作りで、榎戸さんはこういう工作が得意のようだ。そういえば、囲炉裏の覆い板もニスを塗ってあったが、これも手製だったし、部屋の隅の行灯などは素人は思えないつくりである。

 夕涼みをしていると、備仲さんがやってきた。てっきり自転車かバイクで来ると思っていたら歩いてきた。私も彼に会うのは10年ぶりぐらいである。彼のホームページ「月刊新山梨」を時々見るので、いつも会っているような錯覚をしてしまう。斎藤さんや榎戸夫人に紹介していると、まもなく榎戸さんが戻ってきた。

 囲炉裏の部屋で、榎戸夫人の手作りの料理を味わいながら歓談した。備仲さんはかつては山梨で地元紙の記者をしていたが、今は郷土史を調べたり、エッセーなどを書いている。私が彼と知り合ったのは、京都の高麗美術館の創始者、故鄭詔文さんに紹介されてのことである。備仲さんは、在日朝鮮人作家の金達寿氏が、雑誌に連載していた歴史紀行「日本のなかの朝鮮文化」の取材で鄭さんとともに山梨に訪れたときに知り合ったのだそうだ。その後、金さん、鄭さんに京都大学の上田正昭教授らと再び山梨を訪れたときに私も同行して、知り合ったのである。1979年代末のことだったと思う。その後、備仲さんは鄭さんの評伝「蘇る朝鮮文化」を出版した。1989年に鄭さんが亡くなり、5年後に私は上田さん、岡部伊都子さん、林屋辰三郎さん、金時鐘さんらと鄭さんをしのぶ会を京都で開いた。このときも備仲さんは駆けつけてくれた。

 榎戸さんは山梨に別宅をつくって3年になる。備仲さん宅と近いこともあって、声をかけたのである。備仲さんはこのあたりの歴史や風土についていろいろと教えてくれた。与謝野晶子が命名したという地酒「春鴬囀」や与那国島の花酒を飲みながら、夜更けまで愉快な語らいのときを過ごした。

2005/06/18  第2日

 朝7時前に、水田に流れ込む水路の水の音で目が覚めた。子供のころ、母の実家の山あいの家のそばを谷川が流れており、やはりその流れの音で目を覚ましたことを思い出した。私の山村のイメージには、この水の音が核になっているらしい。同室の斎藤さんはまだ眠っている。起きだして庭に出た。薄曇である。近所を散歩した。利根川沿いまで歩いた。この川に沿って上流へ登っていけば、櫛形山(2051m)の登山口へ至る。平林という地区が登山口だろうか。昨日は曇っていて櫛形山は見えなかったが、今朝は薄曇だが山頂が眺められる。この分では今日は晴れるだろう。

 散歩から戻ってくると、朝食の仕度ができていた。斎藤さんも起きていた。朝の風が心地よい。朝食を済ませると、身延山久遠寺へドライブに出発した。国道52号線を富士川沿いに走る。JR身延線も初めてなら、この方面をドライブするのも初めてだ。増穂町の隣りは鰍沢である。同行の二人は落語好きで、落語の「鰍沢」の話などしている。私は落語はあまり聞いていないで、話に加われない。

 笛吹川と釜無川が市川大門あたりで合流して富士川になる。川幅の広いゆったりした流れだ。何の根拠もないが、私は身延山へ至るこの街道は山深い所だと思い込んでいたのだが、たしかに両岸には山が迫ってきてはいるのだが、印象はむしろ開けた感じである。富士川はゆったりと流れて静岡県で太平洋に注ぐわけだし、川下に向かっているのだからこれは当然かもしれない。

 身延山も国道から右折してしばらく進んだところである。総門を車でくぐると、門前町らしい雰囲気になった。ロープウェー乗り場の近くの駐車場に車を停め、ロープウェーで山頂の奥ノ院へあがった。山頂駅のそばの展望台からは、東側の山並みが眺められる。眼下は身延の町である。晴れていると、伊豆半島や駿河湾から富士山までが望めると案内パンフレットにあるが、今日は雲がかかって見ることはできない。北側展望台へと歩いた。鬱蒼とした杉木立のなかは空気が冷気を帯びていて、ひんやりとしている。目の前に富士見山が迫っている。ここも晴れていれば、その向こうに南アルプスの白峰三山や荒川三山、さらに八ヶ岳連峰まで眺められるのだそうだが、これらも雲がかかっていて見えなかった。富士見山のふもとには早川渓谷があり、ここにはフォッサ・マグナが走っているというのは初めて知った。

 北展望台から奥ノ院へ出た。わきの大きな杉木立のなかに注連縄を貼った杉の巨大な古木があり、日蓮上人手植えの杉だという。その杉は天然記念物に指定されているとも表示にある。手植えの杉が天然記念物だというのには苦笑してしまった。奥ノ院の山門に仁王像は、焼き物で造られていた。赤茶色の彩色がされていて、焼き物の仁王像というのも初めて見る。

 再びロープウェーで下った。奥ノ院へは本堂に近いロープウェーの山麓駅から歩いて登る表参道5キロと、御廟所から登る裏参道7キロがある。機会があれば、春か秋にこのどちらかを登ってみるのもよいかもしれない。榎戸さんは三門の前に車をまわして待っていてくれるというので、私たちは本堂へ向かい、甘露門から女坂を下った。本堂前には名木として知られる大きな枝垂桜があった。これも相当な古木である。ゆっくり歩いて30分ほどで三門に出た。こちらの仁王像は木造で巨大な風格のあるものだ。

 再び車に乗り、今度は中富町の和紙の里へ。中富町は西島和紙の産地として戦国時代から続いているという。瀟洒な建物の中には全国各地から取り寄せた和紙が売られていた。隣りには美術館もある。生蕎麦の店があって入った。昼食にした。蕎麦は旨かったが、蕎麦湯はないという。

 一路、榎戸さん宅をめざし、ひと休みして市川大門駅まで送ってもらった。鈍行で甲府に出て、特急に乗り換えて新宿に着いたのは午後4時半過ぎだった。久しぶりにゆったりとした2日間を過ごすことができた。

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Last Update:2005/06/22
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