寥川亭随筆

荒川静香の表現



 トリノ五輪女子フィギュアスケートで、荒川静香が金メダルを獲得した。彼女の演技を見ていて、その素晴らしさに感動した。そして、その感動はどこから来るのだろうかと考えた。

 荒川の素晴らしさは、彼女が氷の上を滑るその姿がかもしだす独特の気品と優雅さにあるように思えた。それがあのスピード感とマッチして出てくるのではないかとも思った。この気品と優雅さは、他の誰にもなかったように思う。それがパラヴェーラの観客を魅了して、スタンディング・オベーションに駆り立てたのではなかったか。テレビの中継や日本の新聞の報道で、この優雅さに触れたものは見かけなかった。フランスの新聞が触れていたという。

 近年のフィギュアスケートの評価について、あまりにも技術至上主義が蔓延しているように思ってきた。難度レベル4以上を繰り出さなければメダルは取れないといったことにも、それは表れている。技術はたしかに重要だが、それだけにとらわれ過ぎると、安藤美姫のような悲劇を招くことにもなる。4回転ジャンプに挑戦したことだけで評価するのはよいが、彼女はそれにとらわれる過ぎてしまったと私は思う。安藤が4回転に成功したのは14歳の時だそうだ。それ以来、本番では成功していない。いま18歳になって体も重くなり、成功の可能性は低いことは、トリノ五輪の前からわかっていたことだ。だが、マスコミは彼女に4回転への挑戦を強いられてしまった。マスコミの技術至上主義の犠牲である。

 その点、荒川はマスコミや周囲の声にとらわれず、自分を貫いた。長野いらいの苦難の中で、自分自信の演技をすればすればよい、するしかないという境地に到達したのである。メダル獲得とか、競争という意識を超えて、自分の最高の演技、自分ができる最高の表現をすること場刈りを考えていたと、荒川は言う。だから、イナバウアーのような、メダル獲得を考えれば誰もやらないようなこの演技をあえて取り入れるというのは、それが彼女の表現にとって必要だったからであろう。そして、そこに観客は魅せられたのである。これは技術をマスターした上で、さらに技術を超えて表現することをめざした荒川のスケート観を象徴しているように、私には見えた。

 その点で、やはり他の選手とは根本的に異なっていたのである。だから、エキシビションでも、荒川が何もせずにただ氷上を滑るだけで感動させられたのである。そこまでのものを獲得したスケート選手は、今大会でほかにはいなかったように思う。男子フィギュアやペア、アイスダンスを見ていると、完璧にマスターしたアクロバチックな技術に感嘆させられる素晴らしい演技はたくさんあったが、荒川のような境地を感じさせる演技はほかにはなかった。 (2006/02/24)

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Last Update:2006/02/24
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