済州島4・3事件60周年

済州島4・3事件60周年



 済州島4・3事件が起きて今年で60年になった。長く闇に葬られてきたこの残酷で悲惨な事件が金大中政権、盧武鉉政権の決断によって真相糾明がなされ、虐殺された島民の名誉回復がなされたのは1999年から2003年にかけてのことである。今年は60周年記念の慰霊祭が4月3日、済州島で盛大に行なわれ、日本からも150人が参加したそうだ。日本国内でもこのほど、東京と大阪で在日の人たちが呼びかけて、60周年記念慰霊祭が行なわれ、私は21日、22日に、その会に参加した。

 日本の敗戦で朝鮮半島が解放されて間もない1948年4月3日、米軍占領下の朝鮮半島南半部だけの単独選挙実施に反対して、済州島民が武装蜂起し、ゲリラ活動を展開した。単独選挙は半島の分断をもたらすとして反対したのである。これに対して軍や警察が鎮圧に乗り出し、島を廃墟にした。一年後にゲリラ活動は収束したが、2万人とも3万人とも言われる島民が虐殺された。なかにはゲリラの家族というだけで中学生らの子供までが殺された。

 48年の8月15日には李承晩を大統領とする韓国が、9月9日には金日成の北朝鮮が成立して、朝鮮半島の分断支配が始まった。民族の統一を願う済州島民への弾圧はその後も続いた。しかし、その後の島民は事件について語ることもできない状況に置かれ、長い間権力から押し付けられたタブーとして闇に隠されてきた。

 1987年6月、盧泰愚大統領によって民主化が宣言されたころから、4・3事件の真相解明と犠牲者の名誉回復を求める運動が済州島を中心に始まった。そして、運動は在日の済州島出身者や関係者らにも広がっていった。金大中政権になって政府として本格的に動き始めて、1999年に「済州4・3事件真相糾明及び犠牲者名誉回復に関する特別法」が成立した。これを受けて政府の真相調査委員会が結成されて、調査が行なわれた。この委員会による「済州4・3事件真相調査報告書」は、虐殺の責任は李承晩大統領と米軍政にあると公式に認定した。

 2003年10月31日には、盧武鉉大統領が済州島で「国家公権力の過ちだった」と島民・遺族に対して正式に謝罪した。済州市の郊外には1000億ウォンをかけて犠牲者を慰霊する「4・3平和公園」が建設され、この4月には4・3資料館も完成した。

 この4・3事件について私が知ったのは1970年ごろのことだ。直木賞候補となった金石範さんの「万徳幽霊奇譚」を読んで感銘を受け、氏の出世作「鴉の死」を読んだのである。その後、文化部記者だった私は取材で金石範さんと知り合った。金石範さん始めとする在日朝鮮人作家が集まって出した雑誌「季刊三千里」には私も随筆のようなものを書かせていただいた。

 金石範さんは両親が済州島出身で大阪で生まれたが、戦争中に済州島で過ごしたことがあるそうだ。金石範さんは4・3事件を生涯のテーマとして書き続け、超大作「火山島」に結実している。のちに、やはり親しくしていただいた大阪の詩人金時鐘さんは、4・3事件にレポとしてかかわり、逮捕されるのを逃れて1948年に大阪に密航してきた人である。私は在日朝鮮人文学者ではこの2人を敬愛している。

 こういう在日の作家たちとの交流から、4・3事件についてはそれほど熱心ではなかったものの、関心は持ち続けてきた。小栗康平監督の2作目の映画「伽?子のために」は私も制作にかかわったが、この映画の中にも4・3事件からの逃れて日本に来た女学生の恐怖の体験が語られている。

 日本国内での4・3事件の真相糾明・犠牲者の名誉回復を求める運動に、金石範さんの仕事が大きな力となったことは疑いない。「季刊三千里」編集部にいた若い編集者の高二三さんが興した出版社新幹社の出版活動も力になった。私は高さんに声をかけられて4・3事件を考える集会にも何度か参加した。しかし、今回の60周年記念慰霊祭では済州島関係者の悲願が実ったこともあって、とりわけ感懐深いものがあった。

 21日に日暮里サニーホールでの集会で金石範さんは語った。「済州島の遺族たちは、虐殺された肉親を死を悼むことも悲しむことも許されない状況に長く置かれてきた。人間の最も基本的な悲しむことの自由さえ奪われてきたのが済州島民だ。この世の中に悲しいことがあれば誰でも泣く自由はある。だが、済州島民は悲しむ自由、泣く自由さえ奪われてきた。悲しむことに自由を獲得した喜び。それがやっと得られたのだ」。この石範さんの言葉に深い感銘を覚えたのは私だけではないだろう。彼の話の後、済州島からこの会のために来日した「済州民芸総」の人たちによる民俗クッが民族色豊かに演じられて、これにも感動した。このクッは伝統的なものだけでなく、4・3事件を歌ったフォークミュージックや家族を虐殺された青年の詩の朗読などもあり、済州島の戦後史が刻み込まれていたことで、私にはとくに感銘深いものになっていると思われた。
 22日は関係者・支援者らのパーティーで、ここでは何人かの在日の人や日本人支援者らと知り合うことができたのも収穫だった。スピーチで東大名誉教授の和田春樹さんが、済州島の悲劇を思うと、同時に沖縄、台湾という東アジアの島の悲劇が重なって思い起こされる。どの島の人も平和を望みながら残酷な運命をもたらされた。この島々のことは世界に広く伝えられねばならないと語ったのも印象に残った。 (2008/04/22)

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Last Update:2008/04/22
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