随筆
大学生の不安
大学時代を過ごした早稲田奉仕園の先輩が、OBとして今の学生たちに何か役立つことをボランティアとしてやりたいと考え、あることを思い立った。OBとしての自分たちに何ができるかを考え続けてきて、学生たちが社会に出るに当たって彼らの多くが大きな不安に包まれているという現実に思い当たったのである。ある調査によると、大学を卒業して就職した人の30%が3年以内に退職しているという。高校生の場合だと、それが50%にも上るという。学校を出ても職に就かないニートと呼ばれる若者は60万人とも80万人とも言われる。
早稲田奉仕園のOBやOGは大学を出て、さまざまな業界で活躍し、今はリタイアしている人たちが多い。そういう社会経験をリタイアした今、自分の経験を少し距離を置いて見つめなおしている人たちも多い。そういう人たちが、これから社会へ出ようとしている学生たち、あるいは社会に出たばかりで、自分の想像を異なる現実にぶつかり悩んでいる若い人たちの悩みを聞き、何がしかのアドバイスができないかというのである。
私はこの提案に大賛成で、協力することを表明した。早稲田奉仕園は、キリスト教の立場から学生たちにさまざまな精神的サービスをするとともに、学士たちの自主的な活動をする団体であった。私たちの時代には、キリスト教学生会という集まりがあり、宣教師とともに英語で聖書を読む会や施設にワークキャンプに行ったり、春秋には著名な文化人を招いてときどきの社会的テーマで講演を聴き、討論する合宿セミナー・リトリートなどがあった。この学生会には200-300人の学生が早稲田をはじめ各大学から集まってきていた。だが、大学紛争の時代を経て、社会の激しい変容とともに、1980年ごろに学生会活動がなくなってしまった。急激に進む消費社会化の過程で、学生たちの関心がキリスト教学生会というような活動から離れて行ったのではないかとも思う。
早稲田奉仕園の事業も学生たちの自主活動を支援するというものではなく、早稲田大学との共同事業というか留学生や一般学生たちの寄宿舎提供や受講料をとってのさまざまな講座が中心になってきた。寄宿舎・友愛学舎などではかつての活動の名残はあるようだが、かつてのような学生たちがお互いに切磋琢磨するような面は少なくなっている。この間、日本社会の物質的な繁栄はかなり進んだが、若い人たちの心の中はむしろ空洞化が進んだのではないかとも思う。その反映が、最初に書いたような学生たちの不安として表れているようにも思う。
そして、もうひとつ、最近の大学での学問というか、教育の在り方にも、私は疑問を感じている。これは去年から大学で学生たちと接していて感じることでもある。大学で学ぶ、人間という存在に対する基本的な考え方が間違っているのではないかとさえ思ってしまう。たとえば、就職に当たっては「自分に合った職業を選ぼう」と教える。だが、多くの学生は自分がどんな人間かという自己認識ができていない。自分の好きなことを職業にしようとも言う。絵が描くことが好きで、画家やデザイナーになりたいという場合や自然科学や工学などで具体的な勉強をして、それが好きな人の場合は、そういうことも言えるが、政治学や経済学、法学や文学を、なんとなく学んできた学生たちには、そもそも自分がどんな職業に適しているのかはわかるものではない。
私にしたところで、大学を出て新聞記者になったが、最初のころはサツ回りが嫌で嫌で仕方がなかった。自分は職業選択を間違ったのではないかとさえ思ってずいぶん悩んだ。文化部に移ったことで、ようやく仕事が面白くなってきたのだった。それでも引っ込み思案なところはあって、今から思うと、よくやってこられたものだと思う。
今回の提案をした先輩は、社会へ出るに当たって不安を抱いている学生たちを社会へソフトランディングさせるために、彼らと対話して、社会へ向かう態度を楽にさせたいという思いがある。そういう問題意識で、さらに具体的には入社試験での面接への対し方やエントリーシートの書き方などの指導もできたらという。私は今、二つの大学で日本語表現と称して、文章の書き方、とくに実用文の書き方を教え、マスコミ論を講じている。私のマスコミ論は、マスコミに就職するためのものではなく、マスコミを通しての社会の見方を教えたいと思ってやっている。文章の書き方は、即、エントリーシートの書き方に通じている。
各大学でも、就職試験が近くなると、エントリーシートの書き方の講座があるようだが、ここで教えていることは、私に言わせると間違ったことが多いようだ。それを学生たちに模擬的に書かせると、「私は一度やると決めたら最後までやらないと済まない性格です」とか「小中学校時代からクラスの委員長をしたので、他人から好かれ、リーダーシップを発揮できます」とか「中高校時代は野球部でキャプテンをやった」とか「自分は協調性に富んだ性格です」とか書いてくる。
私はそういう文章ではだめだという。そういう自画自賛しても、読んだ人はそれを受け止めてはくれない。クラスの委員長や野球部のキャプテンになって自分はどんなことに心を砕いて努力したのか、その体験を具体的に書くことが必要なのだ。だが、大学のエントリーシートの書き方講座は、そんなことは教えない。就職先の業種が自分が好きだから選んだと書くように教える。しかし、その会社に入っても、その好きな仕事をやらせてもらえるとは限らないのである。
社会に出ても、もともと自分が好きなことを仕事にできる人はほんの一握りである。ほとんどは好きでもない仕事をすることになる。そのときにこんなものかと諦めてしまうのか、それともその中でも自分なりの工夫をしようとするか。人生にはさまざまな思わぬ困難がついて回る。そういう困難に直面した時に、自分はどうそれに対処するかが大事なのだ。そういうときにパニックに陥らずに冷静に対応できるかどうかである。もし人間の価値に優劣があるとすれば、そういう困難に直面した時に逃げないで、冷静に対処できるかどうかではないだろうか。
また大学の教師は、大学は専門的な知識を学ぶところで、それをみっちりと学んで社会に出て生かそうという。理想論としてはそうだが、文章もろくに書けない学生が多く、その指導もできない今の多くの大学で学んだ専門知識が社会に出てすぐに生かせるほど甘くはない。社会の現実を体験しないところで学んだ専門知識は、社会ではやくにたつどころか、むしろ有害でさえある。机上で学んだ専門知識に偏った自信を持ってしまって、現実に対応できないことが多いからだ。基礎的なことがわかっていればよいと私は思う。社会や会社の仕事をやりながら学んだことの方が実際には役立つのである。大事なことは、やろうとする意欲と姿勢であると思う。
もうひとつ、今の若い人は失敗を恐れて前に踏み出せないということがるようだ。しかし、どんな人間も失敗をした経験のない人はいない。むしろ、人生は失敗続きである。だが、人は自分の失敗を他人には明かさないものだ。他人の成功から学ぶものは少ないが、失敗からは他人のそれであれ、自分のそれであれ、学ぶことは多い。失敗を恐れては前に進むことができない。社会に出れば、失敗の結果は会社に影響するだけでなく、自分自身にも跳ね返ってくる。結果の及ぼすものは大きい。だが、あらゆることに失敗する可能性が50%はあるのだ。それを考えると、失敗を恐れていては何もできなくなってしまうし、生活することさえできなってしまう。失敗は人生の付きものなのだ。そんなことを若い人たちと話せたらと思う。 (2006/04/28)
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Last Update:2006/04/28
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