エッセー

ギュンター・グラスの告白



 日本の新聞にも出ていたから、旧聞に属するが、ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラス(78歳)がこの夏に出版した自伝「玉葱を剥きながら」で、彼が少年時代にナチスの武装親衛隊ヴァッフェンSSに所属していたことを告白し、これがドイツで大きな話題になっているとあった。ギュンター・グラスは長編小説「ブリキの太鼓」で日本でも知られるが、何よりも彼が戦後、ドイツの進歩的文化人として厳しいナチス批判をはじめとした社会的、政治的な発言をしてきたことから、彼のこの告白は大きな衝撃を与え、ドイツ国内だけでなく欧州各国で論争を巻き起こしているというのだ。

 雑誌「中央公論」11月号ではジャーナリストの熊谷徹氏がこの問題について「ギュンター・グラスが落ちた『歴史リスク』の罠」を寄稿してドイツやポーランドの論争を紹介している。また雑誌「世界」11月号には、8月12日付のドイツの新聞「フランクフルター・アルゲマイネ」に掲載されたグラスへの長文のインタビューが訳載されており、これらを興味深く読んだ。  グラス自身はこれまでも、若いころにナチスの思想教育や宣伝の影響を受けてナチズムに傾倒した時代があったことを何度も語っている。戦争中に高射砲部隊の補助員になり、その後兵士になったと言っていたがいたが、その部隊が武装親衛隊だったことは隠していたのだ。  ドイツは日本と違って、思想面でも教育面でも戦後処理を厳しくしてきた。ナチスの戦犯については時効を設けず、いまだに追及を続けている。そういう国だからこそ、グラスの告白の衝撃は大きかったと言えよう。

 グラスはダンチヒ(現在のポーランドのグダンスク)の貧しい家に生まれた。10歳の時にナチスの少年団ヒトラー・ユーゲントの下部組織ユングフォルクに入団した。ボーイスカウトのナチス版で、グラス少年にとっては貧しい家庭から解放されるチャンスだったし、キャンプやハイキングなどは少年にとって楽しいものだった。彼は召集されてもいないのに軍務を志願するが、これは貧しい家庭の屈辱から解放されたかったからだそうだ。1944年10月に召集令状が届き、出頭した時には、武装親衛隊の戦車師団に配属が決まっていた。SS長官ヒムラーの指揮下になったわけだ。武装親衛隊は、激戦地に投入されるエリート部隊としてしか知らなかったそうだ。45年4月、敵の砲撃で負傷したグラスは野戦病院で米軍の捕虜となる。彼が武装親衛隊に所属していたのは5ヶ月間だった。

 彼が自伝「玉葱を剥きながら」を書いたのは、長年この事実を隠してきたが、これ以上黙っているわけにはいかないと思ったからだという。武装親衛隊にいたことを恥ずかしいとも思っているという。少年時代にはナチスのユダヤ人ホロコーストなどの犯罪は知らなかったとも言うが、結果的にそういう国家に従属してしまったことには、自分に責任があると考えたからだ。

 戦後のドイツで、ナチスの過去と正面から向き合うことを求めてきたグラスであるからこそ、この告白をしたグラスに対する批判の声は大きくなった。「ドイツの良心」とまで言われたグラスに対する批判は保守派からのものが特に強いという。ノーベル文学賞を返上すべきだという声もあるそうだ。これに対して、リベラル派には強い戸惑いもあるという。「過去との対決について、彼は道徳的な立場から強い口調で発言してきたから、今回の発表で信用性に傷がつくだろう。もっと早く明らかにしていれば、名声には大して傷がつかず、むしろその発言に説得力が増しただろう」。

 グラスはまた、戦後のニュルンベルク裁判でヒトラー・ユーゲントの隊長がユダヤ人殲滅計画について証言するまで、ナチスの犯罪について気づかなかったと言っている。しかし、彼が少年時代を過ごしたダンチヒには1万人のユダヤ人が暮らしており、強制収用所に送られている。しかも、ユダヤ人移送が新聞に報じられてもいた。グラスがそれを知らなかったというのは信じられないという人もいる。戦争中のナチス協力が戦後発覚して糾弾され、社会的地位や名声を失った人は数多い。

 戦後60年過ぎたとはいえ、自ら告白したことをどう受け止めたらよいのだろうか。最近、韓国では戦争中に日本の軍国主義に協力した人たちの調査が進み、彼らを改めて批判する動きがある。だが、今の日本で戦争協力者を追及したり、改めて批判する動きなどというものはない。むしろ教科書問題をはじめ右傾化の動きのほうが盛んだ。同じ敗戦国でありながら、ドイツと日本のこの大きな差を改めて思わずにはいられない。 (2006/10/25)

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Last Update:2006/10/25
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