裏千家の初釜

裏千家の初釜



 京都時代に裏千家の初釜に出たことがある。正月の七日に初釜は始まる。
 私は茶道の素養はないが、話のタネに一度出てみたいと思っていた。文化部時代に同僚だった遠藤雅之さんの細君が藪の内流の茶道をやっており、京都に暮らす彼女の案内で東山の野村別邸であった稽古に誘われて行ったことがあるくらいである。正座が5分と続かず、お茶は無理だと思っていた。

 京都では、裏千家の初釜に招かれるというのはたいへん名誉なことのようだ。初日の七日朝一番の午前8時からの初釜に招かれるのは、京都府知事、府議会議長、京都市長、市議会議長、宮内庁京都事務所長、日銀京都支店長、京大総長、京都商工会議所会頭など京都のお歴々らで、京都新聞の故白石古京氏もこれに招かれていたが、先日亡くなった坂上社長が朝一番の初釜に招かれるようになったのは社長に就任してから十数年後だったそうだ。

 われわれマスコミの支局長やNHK京都放送局長らはこの後の午前10時からの第2組だった。わが社の私の前任者たちはこの初釜に出たことはないという。聞くと、ご祝儀にいくら包んでいったらよいのかわからないからというのが理由だった。10万円とか15万円とか言われていた。

 それで私は各新聞社の集まる京都支局長会で、初釜のご祝儀の金額を各社で統一しようと提案し、各社もこれには頭を痛めていたから即座に衆議一決した。私はそれを中村精吾大阪支社長に伝えると、彼は京都出身だったので、裏千家の初釜の京都における社会的な意味はわかっていたから、私の出てみたいという思いを即座に理解してOKを出してくれた。それで初めて出ることができたのである。

 7日の午前9時に堀川通の本法寺裏手にある今日庵に出かけた。今日庵と道路ひとつ隔てた建物に入ると、広い部屋に招じ入れられた。そこにはすでに何人かの招待客が坐っていた。NHKの茶道番組のプロデューサーらも東京から来ていたし、元読売テレビのプロデューサーで大阪府参与をしていた末次摂子さんらの顔も見えた。薄茶とお菓子が出て、それをいただき、しばらくすると案内されて今日庵の方に移った。

 上がりかまちに受付があり、そこで署名し、ご祝儀を渡すと、奥の待合室に通された。あまり立派な部屋ではなかった。床には絨毯が敷かれ、石油ストーブが焚かれているが、隙間風で寒かった。さらにここでもお薄が出た。ここでも3、40分待つと、広い茶室に案内された。

 薄暗い二十畳ぐらいの部屋で、周囲のふすまを背にして坐るように座布団が並べられていた。遠藤さんの細君にどこに坐ればよいかあらかじめ教わっていた。坐るときは、1番目と5番目、6番目と10番目というような席には着かないように教えられていた。お茶は1番目、6番目、11番目というふうに出されるから、この席の人は最初に飲むことになる。お茶の作法を知らないから、そこに坐ると粗相をして恥をかくことになりかねない。5番目、10番目、15番目の席もまた問題である。出されたお茶は1番目から5人で順次回し飲みをするのだが、この席の人が最後になる。4人までは口をつける程度でもよいが、5番目の人は残ったお茶をすべて飲み干さねばなならない。これもたいへんだし、最後の人の作法も知らないと、これまた恥をかくことになりかねないというわけだ。

 私たちの組の正客は韓国の高名な陶芸家で美術関係の学者でもある人のようで韓式の正装だった。その人が床の間を背にした席に着いた。私は千宗室さんがお茶を立てる場所の後に当たる席の3番目に坐った。3番目なら前の2人の真似をすればよいから気楽である。

 全員が席に着くと、裏千家15代家元の鵬雲斎千宗室さんが袴姿で入ってきて、全員に新年の挨拶し、風炉の前に坐った。うしろを振り返って「足は崩していただいて結構です。お楽なかたちで楽しんでください」と言われるのでその言葉に甘えて膝を崩した。それを合図にふすまが開いて、宗匠の子息、お孫さんたちが別に用意してあったお菓子を捧げ持って入ってきて、客たちの前に置いていく。宗匠がその子息や孫を客に紹介した。

 この席での茶は濃練茶だった。宗家が茶を練る様子を後から眺めていると、かなり力を入れているのがわかり、結構重労働のようである。宗家は正客となにやら話しながら茶を練った。その茶碗は鉢のような大きな平底で、宗家が練った練り茶は正客の韓国人に出された。

 すると、今度はさきほどの子息と孫が別に用意してあったお茶をそれぞれの客の前に捧げ持ってきた。私は前の人の所作をまねて、お茶に口をつけたが、ねっとりとした濃茶は私にはとても飲めたものではなかった。それで飲む真似だけをして隣りの人に回してしまった。あとで考えると、5番目の人はたいへんだったろう、気の毒なことをしたと思われた。
 宗家は正客と陶芸や茶会の話などをしていた。

 やがてまた案内があって、午餐の席に移った。こちらは椅子席である。中央の空間のテーブルに引き出物らしいものが積まれている。銘々の膳卓には懐石料理が並べられている。鵬雲斎夫人の登三子さんと子息夫人、孫の女の子が鉄製のチロリで客に酒を注いでまわる。美しい登三子夫人は和服のすそを床にひきづり、すり足である。衣擦れの音が心地よい気分を誘った。

 銘々卓に配られていた和紙に書かれた言葉を合わせるくじがあり、当たった人には中央のテーブルに積まれていた箱が送られた。掛け軸であったり、額装の色紙であったりした。抹茶茶碗もある。私はくじには当たらなかったが、客全員には別の引き出物が贈られた。色紙、扇子、懐紙、お猪口などだった。正午過ぎ初釜式は終わった。

 数日後、行きつけの祇園のスナックでママに初釜の経験を話すと「京都では、裏千家の初釜に出るのはたいへん名誉なことなんですよ。いい経験をしはったわ」とママは言った。 (2004/05/17)

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Last Update:2004/10/19
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