早稲田奉仕園100周年記念式

早稲田奉仕園100周年記念式



 キリスト教学生センター、早稲田奉仕園の百周年記念式が、新宿区西早稲田の同園で行なわれ、出席した。私はこの3年間、「早稲田奉仕園百年史」の編集にボランティアで携わってきた。早稲田奉仕園の総主事をしていた故向谷容堂さんは私の郷里と同じ兵庫県の但馬出身で、旧制豊岡中学卒だから高校の先輩だった。私は早稲田に入ったときに向谷さんを訪ねて、早稲田奉仕園の中にあった煉瓦建ての洋館の寄宿舎友愛学舎に入り、ここで4年間を過ごしたのだった。そんな縁もあって、百年史では、向谷容堂さんの長い評伝を書かせていただいた。百年史の「年表・写真集編」はこの日に何とか間に合わすことができたが、「歴史編」はまだ出来上がってはいない。今も編集作業中である。年内に完成するかどうかという状況だ。

 前日の2日夜に本郷の旅館で1964年から70年ごろまでに卒業したOB・OG20数人で集まりを持った。私たちの学生時代にアメリカンバプテストから派遣されてきていた宣教師のドナルド・ウィラーさん夫妻が記念式に招かれて来日したのに合わせての会である。

 卒業の1年前にウィラーさんは来日して、舎生たちによる毎朝の聖書研究に彼も出席した。当時20代後半だったウィラーさんは舎生たちともよく議論をしたのが懐かしい。私が早稲田を卒業した直後、学費値上げ問題などに端を発して早大紛争が起こった。前年に慶応大学でも学費値上げ反対闘争が起きていたが、この早大紛争で全学共闘会議、のちの全共闘が結成されたと記憶している。この早大紛争をウィラーさんは取材していて頭に石が当たり怪我をしたと後で聞いた。彼は日本の学生運動に深い関心を抱き、日本の学生運動をテーマに論文を書いてコロンビア大学だったかの修士号を得ている。

 私は卒業して新聞記者になり、文化関係の取材をした。1973年に日本ペンクラブが主催して日本文化研究国際会議(ジャパノロジスト会議)が東京と京都で開かれた。私はその取材で京都に行き、国際文化会館の会議を取材していてウィラーさんにばったり会った。その時、彼は2度目の来日で東京女子大学で社会学を教えていると言っていた。今回の再会はそれ以来だから、実に35年ぶりだ。今年73歳になり、ニュージャージー州に住んで、KEAN大学で今も社会学を教えているそうだ。頭は禿げ上がっていたが、若いころの精悍で前向きな感じは変わらなかった。「11月4日にアメリカでは大きな変化が起きる」とオバマに期待を寄せているようだった。ジュディ夫人は今年9月に牧師の資格を取得したそうだ。

 3日は午前10時ごろ、奉仕園に行くと、既にたくさんの人が庭に集まっていて、昨夜、本郷の旅館に泊まった人たちの顔も見えた。記念式はやはり赤煉瓦のスコットホールで行なわれた。記念礼拝で早稲田教会の古賀博牧師が説教をし、バルセロナのサグラダ・ファミリアが100年以上も建設が続けられていることになぞらえて、早稲田奉仕園も100年を超えて新しい模索をしながら活動を続けていくことへの希望が語られた。そして奉仕園園歌や友愛学舎舎歌の賛美歌を久しぶりに歌った。午後は地方から駆けつけたかつての友と、夜は友愛学舎OBパーティーで語らった一日だった。 (2008/11/03)

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Last Update:2008/11/03
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