「消えぬ戦世よ!」の岡部伊都子さん
「消えぬ戦世よ!」の岡部伊都子さん
NHK教育テレビのETV特集で、京都の随筆家・岡部伊都子さんの「消えぬ戦世よ!」という番組を見た。再放送で最初の放送は見ていない。
岡部さんは戦争中、婚約者を沖縄戦で亡くしている。婚約した日に彼、木村邦夫さんは「自分はこの戦争は間違っていると思う。自分は天皇陛下のためには死にたくない。君や愛するもののためなら死んでもいいが」と告白した。その時、軍国少女だった岡部さんは「私なら喜んで死ぬけど」と言った。そうして大阪駅で見習い士官として出征していく婚約者を日の丸の旗を振って見送った。婚約者は1945年5月、沖縄本島南風原で艦砲射撃に遭って両足を失い、ピストルで自決したという。
1968年、岡部さんは婚約者の死の地を探し求めて初めて沖縄に渡った。そして、沖縄戦の実像について知るとともに、米軍施政権下の沖縄の現実についても、その実態を知り、さまざまな発言を始めた。「私は婚約者を戦地に送り死なせた加害者である」という立場からの発言である。この番組は、岡部さんのその言葉をキーワードに、岡部さんと沖縄とのつながりを、彼女の沖縄再訪の旅に付き添って追いかけていく。
竹富島、北部のハンセン病施設愛楽園、普天間基地のそばにある丸木位里・俊夫妻の「沖縄戦の図」を展示する佐喜真美術館などでの彼女の姿を映し出す。
ながくC型肝炎を患っているにもかかわらず、沖縄は竹富島まで足を延ばした今年81歳になる岡部さんを、島の人たちは「お帰りなさい」という横断幕を掲げて迎える。島での岡部さんは本当に幸せそうである。
彼女が竹富島に思いを寄せるようになったのは、1968年に島を初めて訪ねて、そこに自分のふるさとを見る思いを感じたからであった。珊瑚礁の島には赤瓦に白い漆喰の琉球の古民家が、珊瑚石灰岩の石垣に囲まれてたたずんでいる。デイゴや仏桑花の花が咲き乱れ、穏やかな島びとの暮らしがあった。そこに家を入手して住もうと一度は思ったが、ヤマトゥの人間が島びとの住む島に土地を手に入れて家を建てるのは、折から本土企業が土地買占めに入っていた島にとっては、企業と同じことになると気づいたのである。島の人は岡部さんに空き家を貸そうと言った。その家を整備して、岡部さんは「こぼし文庫」をつくり、そこに30年以上にわたって子供たちのための本を送り続けたのである。
愛楽園には、彼女の本を愛読する入園者がいた。彼女はその人に会いに行くのである。久しぶりに顔を合わせると、岡部さんは彼女を抱きしめる。ハンセン病患者に対して直接肌を合わせて抱きしめる人はほかにはいなかったとその患者は語る。岡部さんは彼女に新しい本が出ると送り、彼女は沖縄の海岸で拾った美しい貝を送る交流を続けている。 私も岡部さんとは30年近い付き合いをしていただき、新著が出ると送っていただいている。こういう岡部さんについては彼女の著書や話で知ってはいるが、映像で直接見るとまた感慨深いものを感じる。
京都・出雲路の自宅の中を杖を突いて歩く岡部さんの姿もこの番組で初めて見た。岡部さんのお宅には何度か訪ねたことがあるので、お宅の中や庭の様子はおおよそ知っていて懐かしく思い出されたが、そこを杖を手に歩かれるさまを目にすると、なんとも言えない思いがこみ上げてきた。 (2004/08/28)
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Last Update:2004/10/19
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