歴史的仮名遣い
歴史的仮名遣い
以前から歴史的仮名遣いのワープロソフトがあればいいな、と思っていたが、それがあることがわかった。最近は俳句や短歌も現代仮名遣いが増えているが、私はやはり歴史的仮名遣いの方がよい。私は山歩きのときなどに短歌をつくることがあるが、そのときは古語で歌を考えている。
最近、私のホームページを訪問してくれた千葉県出身で兵庫県在住のSさんのホームページにアクセスしたら、そのホームページはすべて歴史的仮名遣いで書かれていた。通常のIME(ワープロソフト)はすべて現代仮名遣いが使われているから、ホームページの全文を歴史的仮名遣いにするのは容易なことではない。もしかしたらと思って、メールで訊ねてみたら、やはり想像した通りだった。
Sさんは親切にいろいろ教えてくださった。そのソフトは「契沖」という。開発者は市川浩という人で、市川さんの考え方は、文春文庫版の福田恒存著「私の國語教室」の解説に詳しいとも教えていただいた。近所の本屋にはないので、都心に出たついでに大きな書店でその文庫を買い求め、とりあえず解説を読んでみた。
市川さんが書いているのは、戦後の近代主義的な国語改革への根底的な批判を続けた福田恒存氏の業績の解説である。ここで彼は、現在普及しているワープロソフトは現代仮名遣いだが、これが非常に使いづらいという。歴史的仮名遣いの方が文法が論理的で整然としているから、ワープロにはこちらの方が適しているというのが市川さんの考え方であった。
私は戦後の教育を受けて育ったし、マスコミに勤めていたから、現代仮名遣いに適応し、慣れ親しんでしまって、いまからすべての文章を歴史的仮名遣いで書くことは難しいし、そこまでする気はない。だが、歴史的仮名遣いにはどこか愛着というか郷愁というか、そういう感情がある。その思いがあるから、短歌をつくるときに歴史的仮名遣いになるのかもしれない。
私の会社時代のかつての上司で、作家の高井有一さんは芥川賞を受賞した処女作「北の河」いらいすべての作品を歴史的仮名遣いで書いている。彼は昭和7年生まれで、小学校から歴史的仮名遣いで育ったのだ。文壇にデビューした当初は彼の歴史的仮名遣いが批判されたこともあったが、当時批判したその作家自身が今では歴史的仮名遣いで書いているのを知っている。現代仮名遣いと戦後の民主主義を混同しているのかもしれない。戦後ある時期までは歴史的仮名遣いは天皇制軍国主義と同義だと勘違いしている知識人も多かった。
高井さんにまつわる余談だが、彼が文化部学芸欄のデスクをしていたとき、普段の仕事のメモも歴史的仮名遣いだった。新聞記事はもちろん現代仮名遣いで書く。あるとき、彼は机の上に「○○にゐる」とメモして席を外した。庶務の若い女性が「○○にるる」というのは何ですかと私に聞いてきたのである。これには大笑いした。高井さんにとっては、それほど歴史的仮名遣いが血肉に染み込んでいたのである。
ところで「契沖」だが、パソコンにインストールすると普通のワープロソフトと同じように使えるというのは魅力である。だが、このソフトを購入しようかどうか迷っている。値段が少々高いこともある。使用する漢字の正字体は「今昔文字鏡」というフォントを使うのだそうだ。「今昔文字鏡」は8万字以上の漢字を持っており、私は以前、これが開発されてまもなく入手してインストールしたが、ほとんど使っていない。たまに短歌を作るときぐらいしか使わないのであれば、年金生活者には少々高すぎる買い物になりそうで、やはり諦めるしかないようだ。 (2003/07/02)
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Last Update:2004/10/19
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