寥川亭随筆

「小倉侍従日記」を読む



 「文芸春秋」4月号の「小倉庫次侍従日記」を読んだ。私は昭和史に人並み以上の関心を持っているわけではなく、これまでにこの種の昭和史史料を読んだことはほとんどない。読もうと思ったのは前夜会ったジャーナリストのAさんに勧められたからである。4月号が出る直前に新聞でも大きく取り上げられていて知っていたこともある。

 読んでみると、やはり面白いというか、興味をそそられることが多くあった。昭和天皇は若い日に欧州を旅行し、とくに英国の王室や文化に大きな影響を受けていたことは知られているが、日本が戦争に突き進んでいく過程で、そういうことがどのように変わっていったのかということに私の関心があった。小倉侍従日記はノモンハン事件の直前の昭和14年5月3日から、終戦の昭和20年8月15日までの天皇の日常が書かれている。雑誌の掲載されたのはその抜粋である。昭和史研究の第一人者の半藤一利氏が解説や註を付けているので、これも大いに理解を助けてくれた。

 昭和天皇は天皇機関説に共感を抱いていたことは知られている。先に書いた若き日の欧州体験に鑑みても、開明的な面があったことは想像できる。だから日独防共協定は認めても、これを三国軍事同盟にまで拡大するのは懸念を抱いていたであろうことも理解できる。これを推進した松岡洋右や、イタリア大使の白鳥敏夫を好まなかったようだ。帰国した白鳥のご進講には会いたくないと言っている。松岡については、のちに彼を外務大臣から外させようとしている。昭和16年7月の近衛内閣改造は松岡を辞めさせることが目的だった。

 東条英機に対しても信頼はしていなかった。日米戦争回避を模索していた近衛が、これに失敗して辞職した後に、東条に大命降下したのはなぜか。あれほど嫌っていた開戦論者の東条である。木戸幸一内大臣が推薦したのだが、半藤氏の解説によれば「忠誠一途の陸軍の代表者に責任をもたせることによって、陸軍の開戦論を逆に押さえ込むという苦肉の策であった」という。天皇も木戸の意図を聞いて採用することにし「虎穴に入らずんば虎児を得ずだね」と感想を漏らしたそうだ。しかし、この奇策は功を奏するはずはなかった。

 昭和20年6月15日、天皇は体調を崩し、下痢をして終日寝込んでいる。半藤氏はこの時に天皇は戦争終結の決意を固めたと推定している。そして、6月22日の最高戦争指導会議で「戦争指導については、先の御前会議(6月8日)で決定しているが、多面、戦争の終結についても、この際従来の観念にとらわれることなく、速やかに具体的研究をとげ、これを実現するよう努力せよ」と「戦争終結」を天皇が初めて口にしている。 (2007/03/27)

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Last Update:2007/03/27
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