沖縄に住む
沖縄に住むことと東京から沖縄を思うこと
沖縄に関する本を出して、何人かの知り合いから「藤野さんは沖縄に住んだことがあるのですか」と訊かれた。「いいえ、一度も住んだことはありません。旅行では数え切れないぐらい行きましたが」と大抵は答えている。
沖縄を最初に訪れたのが復帰前の1969年だから今年で35年になる。この間、かれこれ30回は沖縄を訪れている。だが、沖縄の離島を回り尽くしたわけではないし、本島でもいわゆるリゾート地は、そばを通ったことはあるが、行ったことも泊まったこともない。ことさらにそう決めているわけではないのだが。
離島といえば宮古島、石垣島を除いて訪れたことがあるのは、伊是名島、渡嘉敷島、平安座島、伊良部島、小浜島、新城島と与那国島だけである。与那国島には20回近く訪れている。与那国島援農隊のためである。八重山では観光客の多い竹富島にも西表島にも行ったことはない。東京から那覇、石垣島を経由して与那国島に直行するのが通例で、帰りも同じである。
むかし、といっても20数年前、那覇のウチナンチュの友人から「沖縄は住んでみないと、本当のところはわからない。藤野さんも一度、沖縄に住んでみたらどうか」と言われたことがある。たしかにそうだろうと思った。私が勤めていた共同通信には那覇支局があり、ここに転勤したいと思ったこともあった。だが、文化部という部署にいた私には那覇転勤の機会はなかった。
新聞記者が那覇支局に勤務して沖縄を経験するのは、たしかによいことである。だが、それで本当に沖縄が理解できるかというと、必ずしもそうではないのではないかと思うこともある。沖縄を知るのに沖縄に住むのはもっともよい方法だとは思うが、そういう機会のなかった私は、その後、いつの間にか、沖縄に住まないでも沖縄を理解することも可能ではないかと思うようになった。
ある時期、作家や芸術家で沖縄に移住する人が相次いだ。作家の灰谷健次郎さん、池澤夏樹さん、演出家の宮本亜門さんなどである。池澤さんの沖縄での文章はいくつか読んで、私は好感を持ったが、残念ながら他の人についてはよくわからない。
私の尊敬する随筆家の岡部伊都子さんが30年前に竹富島に一軒の家を譲り受け、そこを別荘として使おうとされたが、岡部さんはそれをやめて、その家を島に譲り、そこを「こぼし文庫」として島の子どもたちが本を読んだり、勉強をしたりできるように提供された。岡部さんは「こぼし文庫」にいまも本を送り続けている。
なぜ岡部さんは購入した家を島に返したのか。これは岡部さんの沖縄への対し方の問題である。そういう岡部さんの姿勢に打たれるものがある。岡部さんは京都に暮らしていて、いつも沖縄のことを考え続けている。そういう岡部さんに、知らず知らずのうちに私は倣っていたように思う。
私はふだん東京に暮らしていて、いつも沖縄のことを思い続けていたいと思ってきた。ヤマトの人間が沖縄から離れていて沖縄を思い続けるというのは結構難しいことである。東京にはさまざまな情報が渦をまいて洪水のごとくにあふれている。その中に埋没してしまうと、いつの間にか沖縄が忘れ去られてしまうことにもなるからである。
そのいい例が、東京で発行されている大新聞である。いま沖縄で起きていることは、日本という国にとって、その存立の基盤にかかわる重大な問題である。米軍基地の問題である。沖縄の新聞は連日そのことをくわしく報じているのに、東京の大新聞ではたまに目立った動きがあるときにしか報道しない。これなど情報洪水の中で沖縄を忘れてしまっている典型ではないか。
岡部さんが「こぼし文庫」を仲立ちに竹富島に思いをはせ続けているとすれば、私は援農隊によって与那国島に思いをはせ続けてきた。それで30年になる。こういう沖縄へのかかわり方もあるのではないかといまでは思っている。 (2004/11/10)
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Last Update:2004/12/05
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