寥川亭随筆
ポンコ死す
今のマンションに住んで27年になるが、この間3匹の猫とともに過ごしてきて、2匹はすでに亡くなった。最後に残っているのはポンコと呼んでいるメス猫で、1992年初め雪の日に、捨てられていた子猫を拾ってきたものだ。三毛で、右目に異状があった。動物病院で手術をしたが、医者が失敗して治らなかった。一時はオス2匹と合わせて3匹がいて、にぎやかなことであった。
1匹だけ残ってしまったのだが、このポンコが2週間ほど前から食餌を摂らなくなった。彼女は偏食家で、ドライフーズのほかは、しらす干し、煮干し、干しきびなご、小女子の一夜干しなどが好きで、味付け海苔が何よりの好物だった。だが、5月の半ば過ぎから、ドライフーズや煮干し類はもとより、好物の海苔も口にしなくなったのである。
近所の動物病院で診察してもらったところ、血液検査などから腎不全ではないかという。だが、水は飲んでおり、小便も出ている。病院で栄養剤を点滴してもらって帰宅したのだが、日に日に弱っていくようなので、入院させた。3泊4日入院して、一時的には缶詰を少し食べたらしい。再検査したら、腎臓の数値は改善したが、また食べなくなっった。点滴は続けたが、体力は以前より弱っている。医者は肝硬変かもしれないという。いずれにしても危険な状態であるようだ。
病院の檻の中では、ストレスも大きいだろうし、危険なのであれば、自宅で最後を過ごさせてやった方がよいだろうと、昨夜、連れ戻した。今朝は、洗面所にある猫用のトイレに行くこともできないらしく、ベッドの布団の上にお漏らしをしてしまった。それでも彼女にとっては病院よりもよいだろうと思っている。前に亡くなったオス2匹も5月に容態が悪化し、6月に亡くなった。梅雨に近い季節と何か関係があるのだろうか。(2006/06/02) 今朝、飼い猫のポンコ(雌・推定17歳)が息を引き取った。私は昨夜遅くまで仕事をし、明け方眠ったので9時過ぎに起きて、玄関に新聞を取りに行ったら、上がりかまちの床で息絶えていた。家人が朝6時ごろ、目にした時は、かなり弱っていたが、まだ息はしていたそうだ。今日あたりがヤマだなと思ったそうだ。
食餌を摂らなくなって2週間以上が過ぎていた。入院中は点滴の栄養剤で過ごしたが、2日夜に自宅に連れ帰ってからは、ほとんど食餌は摂っていなかった。小便に薬の臭いがしなくなったのは昨日だった。昨日は水も飲まなくなった。家人がそばに寄っても反応がなくなったようだった。
先年死んだヨタも玄関で息絶えた。その時は最期を看取ることができたが、今回はかなわなかった。まだ死後硬直が始まっていなかったので、猫用のベッドに寝かせた。近くのスーパーで花を買ってきて、家人が色紙を貼った段ボール箱で柩をこしらえた。それに布でくるんだ遺体を収め、花を散らせて、リボンで飾った。家人は彼女を愛惜する言葉を柩に書き込んだ。
前の2匹が眠っている新河岸の家畜博愛院に電話して、埋葬を頼んだ。家人は一緒に行く気にはなれないようで、私が車で移送した。
ポンコは幼いときは勝手に自分でよく遊んでいたが、歳を取るにつれて、よくニャアニャアと鳴くようになった。朝起きるとそうして食餌をねだった。ブラシをかけるのが好きで、それも鳴き声で催促した。
どうしたわけか、私にはあまりなつかず、家人が寝ているとそばに来て、一緒に眠っていたが、私が行くと、逃げてしまい、別の部屋の猫用のベッドで眠った。食事を取らなくなってからは、私がそばに寄っても逃げることはなくなった。それだけの気力がなくなったのかもしれなかった。片眼が不自由ではあったが、顔つきはきれいで、すっきりとした体つきであった。私たちには子供がいないので、家人は猫をことのほか可愛がった。それだけに気分も落ち込んで、回復には多少時間がかかるかもしれない。 (2006/06/05)
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Last Update:2006/06/05
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