トキとコウノトリ

トキとコウノトリ



 NHKラジオの深夜放送で「トキとコウノトリ」について、郷里豊岡のコウノトリの郷公園研究部長の池田啓さんと佐渡の高橋さんが話していた。途中から聞いたのだが、コウノトリとサギが遊ぶ出石川で但馬牛を洗う女性の有名な写真(「寥川亭通信」トップページに掲載)も話題になっていた。この写真は私にも覚えがあり、懐かしかった。
 私の子供のころは、コウノトリを「鶴」と呼んでいたことなども思い出した。

 コウノトリもトキも今、野生化に向けて努力がなされている。一度は絶滅した野生生物を人工孵化で増殖させ、それを野生化するというのは、大変な作業である。私たちを取り巻く自然や生活の環境がすでに大きく変わっており、これらの生物が生きられるようにはなっていない。それでも豊岡でも佐渡の新穂村でもビオトープをつくって、少しずつ環境の復活が進められている。

 コウノトリやトキを野生化するというのは、その生物だけの話ではない。その生物を取り巻く環境の復活であるということだ。そして、そういう風にして復活した環境は、その生物に限らず、他の生物にとっても、そして人間にとっても良いものであるということだ。

 そういう風に考えていくと、自然の復活というのは、自然そのものではなく、むしろ人間の文化的な行為であるということになる。自然が守られるというのは、自然のためではなく、人間の尊厳のための作業なのだと言ってもよいかもしれない。

 かつて豊岡で駅通り商店街のプラタナスの街路樹をすべて切ってしまったことがある。私はそれを非常に悲しく思った。高校生たちが街路樹伐採に反対するデモをした。だが、商店街や豊岡市は「緑なら豊岡にはいっぱいある。街路樹を切っても自然を破壊することにはならない」と言ったそうだ。

 このとき私は街路樹の伐採は自然があるかないかの問題ではなく、文化の問題だと思っていた。見事に生育したプラタナスを雪よけのアーケードを設置するために伐ってしまう。そういう短絡的な発想に文化と程遠いものを感じたのである。

 豊岡の町は北但震災によって焼失したあとに駅を中心に東に向かって放射状の道路を設置するという都市計画をつくり、その中心の駅通りにプラタナスの街路樹を植えたのである。この放射状の都市計画は、東京の田園調布、常盤台など関東大震災のあとにもつくられている。鬱蒼と茂ったプラタナス並木の通りを私は子ども心に美しいと思い、こんな美しい町をつくった当時の町長に畏敬の念をいだいたものだった。

 その街路樹を伐るという話が出ていると聞いたとき、何も伐らなくても方法はあると思った。地面から3メートルぐらい上のアーケードの屋根に当たる辺りから下の枝を伐り落とせばアーケードに支障はないわけだ。そういう第二、第三の方法を検討せず、オール・オア・ナッシングの思考からは知恵は生まれてこない。

 その時代の発想から比べると、いま豊岡でコウノトリの野生化に向けた努力がされていることに隔世の感を感じる。 (2003/05/18)

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Last Update:2004/10/20
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