月見座頭

月見座頭



 ことのほか長かった梅雨がやっと終わりに近づいたらしく、今日、我が家で今年初めて蝉の鳴き声を聴いた。

 午後、東京駅の大丸ミュージアムで石川賢治写真展「月光浴・20年の旅」というのを見に行った。太陽光の46万5000分の1という満月の光だけで撮影した世界各地の写真展である。ハワイ、マヤ遺跡、サイパン、アフリカ、ヒマラヤ、中国の黄山、屋久島の縄文杉、そして京都などで撮影されたその映像は、地球の神秘を幽玄の趣きで表現している。一見に値する展覧会だった。

 石川さんには面識はない。彼はハワイのリゾ−トホテルで一夜、月夜にくつろいでいて、そばに咲いていた花を眺めていた。そのとき、月の光だけで写るかなと急に思い立ち撮影してみた。すると予想以上にきれいに写っていたのである。満月の光だけでこれほどきれいに撮れるのかと驚いたという。それからフラッシュなど焚かないで、月の光だけで写真を撮るということを始めたそうだ。

 ハワイ島のキラウエア火山の燃え上がる溶岩の写真などは、月光だけとはいえないかもしれないが、他はすべて満月の光だけである。むかし、子どものころ、田舎道の夜は月が出ていれば想像以上に明るいことがあった。木陰などは逆に闇が深く、それに対して月に照らされているところは驚くほど明るい。海岸では波が白く輝いていた。それが不気味に思えるほどだった。そんな記憶が心の隅にある。そういう風景がこの写真展にはみごとに刻まれている。これはひとつの癒しの映像といってもよい。

 京都の竜安寺の石庭、清水寺の成就院の庭園、銀閣寺の観月台などは私の好きな庭でもあり、京都に暮らしていたころはよく眺めに行ったものだが、それが月の光でみると、昼に見るよりもはるかに奥行きの深さを感じさせてくれることを、これらの写真で知った。そういう京都の風景にも感じ入った。

 石川賢治さんの写真展を見に行ったのは、「月と太陽の暦」制作室を主宰している友人の志賀勝さんが「月のアーティストのような集団が作られるといいな」と言い、月をテーマにした芸術家を知っていたら教えてほしいと言ってきたからである。

 すぐにはなかなか思い出せないが、まず思い浮かんだのは、小栗康平監督の映画「眠る男」。そして、この映画に出てくるのが日本画家平松礼二氏の月の絵であった。かなり巨大な絵である。
 ギリシャ神話にエンデュミオンの話がある。彼は羊飼いの美少年で、月の女神セレネーがこの美少年に恋し、ゼウスに頼んで、エンデュミオンに不老不死の永遠の眠りを授けたというのである。「眠る男」のテーマはこの神話につながり、エンデュミオンの眠りにもつながっているようだ。

 月で思い出すのは、作家の永井龍男さんの「秋」という短編小説である。
 中秋の名月の夜、美しい月に誘われ、竹筒に酒を入れ、老妻のにぎった握り飯を持って、瑞泉寺に月見にでかける。月を待ちながら、住職のこころ尽くしの酒肴に杯を重ねる主人公の前に、黒の僧衣をまとった「月見座頭」がたたずんでいた。と、見えたのは、薄闇に隠れた葉鶏頭だった。

「月見座頭」は狂言の演目である。永井さんと思しき主人公が、先代の茂山千作の狂言「月見座頭」を銀座能楽堂で見る。せめて虫の声なりと、と月見にでた座頭が目明きにからかわれるストーリーである。池に月影がさす。私は「ここ」とは異なる世界へ入っていけそうな、夢幻の境地を味わう。これがなかなか味わいのある小説だった。

   私はこれを1980年前後に読み、その後、1984年に大阪文化部に転勤したとき、モデルとなっている先代の茂山千作さんを京都の自宅にインタビューのために訪ねた。永井さんの小説のことを話すと、ご存じなく、ぜひ読んでみたいといわれるので文庫本を送った。 私が会ったとき、千作さんは80歳を過ぎており、耳も遠く、現・千作さんの奥さんが私の質問を耳のそばで大きな声で言ってようやく通じるという状態だった。送った文庫本についての返事は来なかった。 (2003/08/01)

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Last Update:2004/10/20
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