魚住昭さんの受賞を祝う

魚住昭さんの受賞を祝う



 このホームページの「読書四方山話」でも書いたフリーライター魚住昭さんの『野中広務 差別と権力』が第26回講談社ノンフィクション賞を受賞し、その贈呈式が日比谷の東京會舘で行なわれた。魚住さんが式への招待者リストに私を入れてくれたらしく、招待状が送られてきたので喜んで出席した。私は現役記者時代は文壇の受賞パーティに出かけるのは仕事のうちだったが、その仕事を離れてからはほとんどこの種の会には出ていない。友人が受賞者だったりするときだけに限っていた。

 今回の受賞者、魚住さんは私が京都支局長時代に私の下でデスクを務めてくれたが、転勤してきた3ヵ月後に彼は会社を辞めて、フリーライターになった。彼は本社社会部にいたとき、瀬島龍三という人物を扱った『沈黙のファイル』という長期連載をし、これが出版されて推理作家協会賞のノンフィクション部門を受賞している。敏腕の書き手で、彼の仕事には私も注目していた。

 彼は社会部では検察庁担当記者としてリクルート事件では多くの特ダネをものした敏腕事件記者でもあった。私の友人の細君が当時彼が取材していた特捜検事の妹いうこともあって、そちらから魚住さんの仕事ぶりを知ったのである。その魚住さんが京都の私のところへ転勤してきた。こんな敏腕記者がデスクとして来てくれれば、私は安心して仕事を任せられるから楽しみであった。ところが、彼は着任当日の挨拶で私に「支局長には申し訳ないが、近々辞めることになるかもしれない」と言ったのである。望んで来た京都支局ではなかったのだ。

 彼が着任してすぐに、京都・京北病院で“安楽死事件”が起きた。わが京都支局は事件発覚に他社より遅れて取材がスタートした。京北町は神護寺や高山寺のさらに北に位置する山の向こうである。院長が病院で記者会見するというので、現場記者を急行させた。それからの彼の若い現場記者を指揮する取材の采配ぶりは見事なものだった。

 記事は専門用語でいえば、一面に来る本記、社会面に来る雑観、一問一答、解説、“安楽死”した患者の遺族や病院関係者、法学者、医療関係者の談話など膨大な量の記事を出さねばならない。こういうとき、新聞社は朝刊の早版、中版、最終版とふつうは記事を3回ぐらい差し替える。その都度新しいニュースの要素を加えるからである。だが、新聞社によって、それぞれの版の降版時間はまちまちだ。紙面を持つ新聞社なら、自社の降版時間に合わせて2回記事を差し替えればよい。だが、通信社はそうはいかない。ラジオ局やテレビ局向けのニュースもある。ラテ用には、一報という短い記事をいち早く出さねばならない。

 魚住さんはこのとき、5回も記事を差し替えた。京都新聞は自社のことだけ考えればよいから、2回の差し替えですむ。ところが、京都支局からは5回も差し替え記事が送られてきたのである。翌日、京都新聞の編集局長に会ったら「共同さん、すごいですね。5回も差し替え記事が来て」と驚きの声を上げた。
 魚住さんは「ぼくは現場の取材記者の仕事が好きで、デスク稼業は好きではないんです」と洩らしていたが、私はデスクとしての采配も見事だと思った。
 そうして彼は3ヵ月後、会社を辞めた。当時の社長が引きとめようとしたが、魚住さんは「肥後もっこす」だから、一度口にしたら曲げることはないだろうと私は思った。本社から親しい先輩記者が慰留に来たが、やはり曲げることはなかった。

 今夜の受賞式には、そのときの社長はじめ、社会部時代の先輩や後輩数人もお祝いに顔を見せた。社長(現相談役)は「彼を引き止められなかったのは、私の社長時代の痛恨事だ」と述懐していた。しかし、彼が在社していれば「渡邊恒雄 メディアと権力」や今度の「野中広務 差別と権力」といった時の権力者に驚異的に粘り強い取材で鋭く切り込む作品は書けなかっただろう。企業ジャーナリストは企業の立場に縛られるという限界があるからだ。会社を辞めて、一匹狼になったからこそ書けた労作である。「そう考えると、魚住さんのためには辞めてよかったのではないですか」と私は言った。
 検察担当時代から彼が親交を結んできた元特捜検事とその妹夫妻もお祝いに駆けつけていた。みな心底彼の受賞を喜んでいた。いい風景だった。

 このとき元社長とはもうひとつ会話があった。私は「与那国島サトウキビ刈り援農隊」の本を贈っていた。彼は「君の本も読ませてもらったよ。君が記者をやりながらあんなことを30年も続けていたとは不明ながら知らなかった。びっくりしたよ」と口にした。
「私もことさら吹聴はしませんでしたから。でも那覇支局経験者はみな知っていて陰で応援してくれました。こういうことを黙ってやらせてくれて、陰で支援してくれたというのは、共同通信のよい社風だと感謝しています」と答えた。 (2004/10/26)

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Last Update:2004/10/19
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