随筆
与那国自立ビジョン支援東京会議
昨年(2004年)秋に島民の住民投票で石垣市、竹富町と合併しないことを決めた与那国町の将来をどうするかについて、同町は島の自立のビジョンを策定中で、島袋純琉球大学助教授を座長にして策定推進協議会を住民投票の前の昨年8月に立ち上げた。その素案がこのほどまとまったのを受けて、東京での支援会議が策定に参加した都市経済研究所と与那国町の主催で、霞ヶ関ビルで開かれ、私も出席した。
この自立ビジョンは合併する・しないにかかわらず、三位一体改革の中で人口1750の与那国島は厳しい状況に立たされることは必至という認識から計画されたものである。
この協議会には主だった島の人たち、東京の都市経済研究所が加わり、顧問に島出身の吉元政矩元沖縄県副知事を加えて検討が進めれてきて、このほど素案がまとまり、島内の全世帯に配布された。
柱は3つ。自治、自立、共生である。これまでほとんどが補助金で成り立っていた町財政は厳しい財政難に陥り、すでに助役、収入役をなくして町長が兼務し、教育長も現在の人の任期が切れると後任をおかず町長が兼務する。9つあった課も4つに統合し、120人の町職員を80人に減員した。町議会議員も12人から8人に減らした。町長は報酬の20%を、町職員は10%をそれぞれカット、町議会議員もカットした。これほどの厳しいリストラをすることで、町民に島が置かれている状況の厳しさを認識してもらおうとの意図もあった。
当然、町職員だけではこれまでやってきた役場の仕事すべてをこなすことはできない。それを町民自身ボランティアでやってもらおうというわけだ。与那国島に3つの集落があり、全体で5つの地区公民館がある。公民館は伝統的な地域活動、古くは「ゆいまーる」の単位でもあり、これが島の自治活動の中核となってきた。これは祭り、伝統文化活動などで今も生きており、この公民館活動を活用しようというのである。与那国島には私が本で書いた「ドゥライ」と「ドゥムティ」という徹底した直接民主主義ともいえる村運営のシステムが戦前まで生きていた。それを復活再生しようというわけである。これがいまでは公民館活動となっている。役場の仕事を公民館が行うには法的な裏づけを与えねばならないので、それへの対応もしようというわけである。
自立は、何よりも島がこれからどうして生きていくか。経済的な基盤をどうつくっていくかである。これには大きく2つの方向がある。ひとつは台湾まで100キロの「国境の島」という地理的条件から、台湾との人的、物的交流をめざした国際地域間交流特区の構想である。与那国島は1982年に台湾の花蓮市と姉妹都市提携をしている。公共事業に必要な川砂の試験輸入をしたことがあるが、その後は人的交流はあるものの、環境が整わずに発展は止まっている。
今回は、島をフリーゾーンにすることで環境を整えようというわけである。ボーダーレス時代といいながら、与那国島は1972年の日中国交回復でいちばん身近な島である台湾との交流をできなくさせられた。2007年に2000mに滑走路が伸びる与那国空港、祖納港の2006年度に貿易港として開港できれば、閉ざされた台湾との交流ができる。これを突破口にして、中国や東南アジアとも地域間国際交流を展開できれば東アジアの安定に地域から貢献することも可能だというわけである。そのための特区指定が悲願でもある。これには多くの人々の発言があった。
自立のもうひとつは、観光開発である。それも大量の客を受け入れる観光ではなく、島の自然を生かした、島の規模に合った滞在型の観光をめざすべきだと私は思う。ただ素案には、どんな観光を目指すべきかには触れていない。そこで私は、与那国島の島内観光は景色や自然は豊かで、変化に富んでいるが、周囲27キロの島では車で回れば3時間もあれば終わってしまい、せいぜい1泊ぐらいしかしてもらえない。だから、これに工夫をしていくことが必要だと思うと話した。ダイビングの専門家によれば、与那国近海はダイビングのメッカになりえる好条件を備えているという。この冬も島を訪れた観光客でいちばん多いのがダイバーである。
先日、島で同宿したダイバーに聞くと、ハンマーヘッド・ウオッチングができるからなのだそうだ。島の近海には海底遺跡も発見されて関心を集めているが、遺跡は逃げないので1度はダイビングで見に行くが、面白いのはハンマーヘッドなのだそうだ。運がよければ1日に数頭に出合うこともあるが、運が悪いと1週間潜りつづけても出合えないこともある。その出合いを求めて与那国の海に潜るのだそうだ。こういう客は滞在型で、島にとってはありがたい存在だ。だが、最近は座間味島が那覇から近いせいもあってダイバーが急激に増えているのに対し、与那国島は出遅れている。しかし、熟練したダイバーにとっては与那国は魅力があるのだという。座間味島ではダイビング客が押し寄せすぎて、夏場は水不足やごみ処理が大変だという。逆の観光公害が出ているのだ。
本格的なダイビングのメッカとしての与那国島のブランド力を高めて、ダイビングスクールなどを開校すれば、質の高い観光地となる可能性もある。あまりお金をかけないで手近なところから始められる観光開発を試みてもよいのではないか。
観光客はバスかレンタカーで島を回るが、私はれよりも自転車、電動自転車をレンタルすることもよいと思う。車で回れば3時間でも、自転車なら半日、1日かけてのんびりと島の景色や花を楽しむことができる。Dr.コトーが南牧場の雄大な風景の道路を自転車で走る爽快な気分を求めて島を訪れる人も出始めている。しかし、いま島にはレンタル自転車がない。スローライフの象徴としての自転車もよいのではないか。そんなことを話した。
ほかの人の話では、小玉さんの具体的な提言がよかったし、吉元さんの発言は示唆に富むものが多かったが、沖縄の合併を拒否した離島10自治体の島サミット、与那国に可能なかたちの高校設置の提案と具体的な実現に向けての行動がよかった。とくに与那国には高校がないことによって、中学を卒業すると全員が島を出る。そしてその99.9%は島にUターンしては来ない。この現状を打破するにはせめて高校をつくるしかないのだが、それを島の規模と実力に合わせた可能なかたちで実現しようというものである。 会議には尾辻吉兼町長、吉元政矩前知事のほか、塩川正十郎前財務大臣、中川秀直自民党国対委員長も顔を見せ、小玉正任沖縄協会会長などのほか、東京与那国郷友会の人たちも出席した。
島でできること、やるべきことは島でやれるが、フリーゾーンや特区指定は島だけではできない。これをやるのは都市経済研究所を中心とした東京の人たちであろう。ビジョンが単なる夢のついての作文で終わってしまったらいけない。これを都市経済研究所には与那国にかかわった以上、これを実現する責務がある。
終わっての懇親会や2次会ではそれに念を押す島の出身者の声も出た。沖縄の離島の人たちには、本土の人が離島にかかわってくるとき、島を犠牲にして自分たちの経済的利益を求めてきた、島はいつも利用されてきたという思いがある。そういう思いを味わいたくないと切実に思っている。それに応えてほしいものである。都市経済研究所の力に期待したい。 (2005/02/17)
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Last Update:2006/02/28
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