天水涼風流吹矢術「吹筒道(すいとうどう)」の理念について
 日本の吹矢は、武家政治が台頭していた時代に闇の中で敵を抹殺する目的で使われたのがその主な役割でした。一方、東南アジア、南米、アフリカ諸国の原住民の吹矢は、狩猟がその主な役割でした。これら諸外国の吹矢が生活のための道具であるならば、日本の吹矢は人間同士の戦いの武器であったと言えます。このように吹矢は、その目的、発達の過程の違いはあっても、世界的にも歴史のある、人類が考え出したシンプルで手軽な生活用具、または武器であったと言えます。このように吹矢は、その目的、発達の過程の違いはあっても、世界的にも歴史のある、人類が考え出したシンプルで手軽な生活用具、または武器であったと言えることができます。
 現代では、狩猟、武器として使われることも少なくなり、その存在すら忘れられてしまった感もありますが、近年、吹矢の魅力が再確認され、健康維持、生涯スポーツの一環としてその普及活動が進められて来ています。
 この流れを受けて最近は、「スポーツ吹矢」と称して日本各地で同好会や愛好会も発足しています。しかしながら、競技会等のルールは主催者によってさまざまで全国的に統一されたものはなく、また、その理念も種々でこれを一本化するにはまだ時間がかかるものと思われます。
 当流は、吹矢をあくまで武術の一環として捉えています。前述したとおり、我が国における吹矢の役割は武器としての捉え方が強く、戦国、江戸時代には剣術、柔術などと同じように全国には数多くの吹矢術の流派が存在していました。当流はその根本的な流れを汲む古流派はありませんが、現代主流になっている単に健康維持、高齢者への推進スポーツ
という枠にとどまらず、吹矢を通して対人関係、精神面を主眼としています。吹矢を武道の一環として捉えることから、その名称もあえて「吹筒道」としており、その試合方法もスポーツ的な側面を持った得点方式に加え、精神面が左右する対人方式も取り入れています。また、稽古や試合に使用する用具も最低限の決まりだけにとどめ基本的にはフリーです。それは、メーカーが作製、販売しているほぼ同一規格の筒や矢での競技は“単なる息吹き競技”にしかならないとの思いからです。戦国時代や江戸時代の武芸者は、相手に勝つためにいろいろ工夫をして自分で考え作製した武器を使うことが多かったようです。宮本武蔵が長刀の佐々木小次郎に対し、船の櫂を削ってそれに勝る武器を作ったのはその一例です。また、武道で言う『稽古』とは、「古来からの教えを基にして更に自分で考え、より実になる練習をする。」との意味合いがあります。
 現代社会において少し古い考えではないかと思われますが、当流としては、せっかく普及、振興し始めた吹矢を、単なるブームとして終わらすことはしたくないとの思いがあるからです。
 以上が当流「吹筒道」の理念です。当流の考えにご賛同いただける方々のご協力を募っておりますので、ご興味を抱かれた方はご一報くださいますよう、お願い申し上げます。

以上

天水涼風流吹矢術「吹筒道」
宗家 吉田 隆(涼風)