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うれしいひなまつり
↑ 他の音楽HPです 別ページで開きます (サトウハチロー作詞 河村光陽作曲共 著作権あり)
童.謡.のなぞ 3
奇妙な.童謡たち / うれしいひなまつり
”いらした” とは行くの? 来たの?
♪ あかり ・・・ ![]() 3月3日は、桃の節句。 女の子の成長を祝うひな祭りだ。 この有名な曲は、なぜか外国では「悲しいみなしごの歌」という題名になっている。 河村光陽(かわむらこうよう)の作曲によるマイナー調子の曲つくり。 実は、奇妙なのは ♪ お嫁 ・・・、 なぜに、身内に対して、敬語の ”いらした” が使われているのか? ”いらした” は「行く」の尊敬語であり、 「来る」の尊敬語でもある。 |
ひな祭りのルーツは水浴び?! 実は、このひな祭り、裸になって水浴びをする風習から始まったのです。 昔、まだ風呂がない時代のこと。春の終わりに川や海の水につかって 冬の間の汚れた垢を落とす習慣があった。 体をきれいにすることによって、けがれも清められるとされていた。 3月3日に水浴び? いくら垢がたまっていても寒すぎないだろうか? 旧暦の3月3日は、今の4月の終わりから5月の初め、 であるから、まあ風邪をひく心配はないだろう。 家族や親戚が集い、水浴びをした後、 その年の健康や幸福を祈りながら、貝を拾ったり、花をめでたり、 ごちそうや酒を飲む行事が開かれていた。 そして、それらがやがて潮干狩りや花見などになっていったのだ。 平安時代になると、水浴びの風習がすたれ、代わりに人形にけがれをつけて 水に流すようになった。 「流しびいな」 とよばれるものである。 「びいな」 とは紙などで作った人形のこと。 後に「ひな」となり、「ひな人形」となる。 貴族の間ではぜいたくな人形を飾る「ひいな遊び」が流行しだす。 それが、公家から武家、さらに江戸時代には庶民に広がっていった。 もともとは女の子に限らず、誰もが行う水遊びの習慣が、 いつの間にか人形を飾ることにより、女の子をいとおしんで育てようという心を 教えた祭りに変貌をとげたのだった。 |
♪ あかり ・・・ この詩をつくったのは、サトウ・ハチロー。 「めんこい仔馬」、「ちいさい秋みつけた」、「リンゴの唄」、「長崎の鐘」など 有名な詩を多くつくっている。 「うれしいひなまつり」を書いたのは、昭和10年(1935年)だった。 実は、この年の前年、ハチローは最初の夫人と離婚して、 上の女の子2人と男の子を引き取っていた。 上の子がまだ小学生だったというから、まだまだ母親が恋しい年頃である。 この子供たちのために「うれしいひなまつり」を書き上げたというのだ。 |
”いらした” の本質は? 兄などに嫁いで来た義理のお姉さんが、白い顔の官女に似ているというのか? 他家に嫁いで行ってしまった姉が、官女に似ているというのか? しかし、どちらにしても身内の者にこういった使い方をするのは、通常おかしい。 |
ハチローは、幼いとき腰に大ヤケドを負って、 いつも家の中で遊んでいるような子供だった。 そんな彼をいつもかばい、励まし、やさしく面倒を見てくれたのが 4才年上の姉喜美子だった。 姉は、歌詞のとおり、白い顔をした美人だったとされる。 ハチローは、姉から読み書きを教わり、詩心を授けられた。 ピアノを教えてくれたのも、心やさしき立派な男になれと説いてくれたのも、 姉だった。 そんな誰よりも大好きな姉が、嫁ぐことになった。 ハチローは うれしい ような さみしい ような複雑な気持ちだった。 嫁ぐ少し前だった、 姉が胸を患ったのは・・・。 結核であった。 姉の嫁入りは一方的に破棄された。 お姉さんが息を引き取ったのは18才であった。 姉様が嫁ぐことなく逝ってしまったのだ。 神の元へ ”いらした” のである。 |
ここで、 おひなさまにまつわる疑問から |
おひなさま は どうして早く片付けないといけないのか? それは、おひなさまのルーツにあります。 むかし、 けがれをつけて流した 「流しびいな」 がルーツでしたね! ですから、 早く片付けないとけがれが残ってしまうからです。 それが、 最近では 「早く片付けないと結婚できなくなるから」 とも言われているようです。 どちらにしても、座敷を広く使えるように早く片付けたほうが良いようです。 |
参考文献: 童.謡.の謎 合田道人 著/祥伝社
素材: 「M+KBOX」のHPより ”ひなまつり” (使用許諾済)
(制作:2003/01/22/更新2008/04/16/無断転載禁)