HOME 2006年の書棚 RETURN |
| 詩集・わたしの読書記録 | ||||
| ★【サリパの灯】 ☆中 正敏/詩人会議出版 | ||||
| 前半、生と死を、生命体を通して戦争を通して読者にアピールする著者の詩集は、「元旦」という詩から始まる。この詩を元旦に読む。 大晦日の夜おそく/いとしい妻に呼びだしの電話をかける/ 作品ができたので共に元旦の扉をあけよう/海のアトリエに来ればよい// ひとりの悦びの盃を重ね/うれしさの余りギリシャの海を望みたくなる/ テトラポットにのぼり/空が回って落ちる//…… 次の詩は「耐える」。その最終節―― ……/カーテンをへだてて寝ていた患者の/狂ったような脅え声だ/ 恐怖が死に追いかけられ/しばらくして騒ぎが静まる/ いのちはどこへ行ったのか/点滴の管が揺れるのを見つめながら/ 舌下錠(アムロジン)を舐めている 血圧二二五 死を学んでいる 恐怖を飼いならして |
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| ★【驟雨の食卓】 ☆田中 武/紙鳶社 | ||||
| 下の花籠さんと同じく、前詩集からは20年以上を隔てた第三詩集。 ベテランの貫禄だが、新潟在住の氏は詩の世界にはほとんど出ていらっしゃらない。同人誌『空の引力』の主宰者。知っているところでは、三田洋さんのお嬢さん椿さんも参加していらっしゃる。 前詩集『旅程のない場所』は父上の介護を通して、生と死・存在と非在・日常と非日常をつぶさに洞察した眼力で読ませるアレゴリー散文詩だったが、この詩集でも行分け詩を含めて、それは引き継がれる。アレゴリー詩であるからには、「あとがき」等での種明かしはいらないのかもしれない。 今年はとにかく詩集出版ラッシュだった。が、何となく気軽に書いて、何編かまとまったら出版・送付……という趨勢はいろいろな意味でもったいない。 遠い遠い もの凄く遠い/闇の台所で/キャベツが一つ/棚から落ちた。/そうして/父が倒れた。 けつまずいた風が/古家の表から裏口まで/走りこんだ。/空気は鐘のように鳴り続け/王の即位を告げる/ 病の領土に君臨する王の。//(お父っ どうさしゃった!)// 来るべき戦に備えて/家臣らはにわかに勇み立ち/おのおのの武器蔵の/暗がりを点検する。/ あれとこれと/それと/あれもこれも/それも/けっして/真に必要なものの自前の量は/口外すべからず。// ……//敵を求めて/物見に登れば/どうやら ひしと/包囲されている。/地平のかなたまで/ おびただしい日常に埋め尽くされた/町並みなのだ。 (「王の即位)より) 僕の父は非常に背が高く約二十メートルもあった。……// 形もさだかでない腐蝕した切り株が父だったとは、僕だってにわかには信じられなかったが、そこに立つ約二十 メートルの観念を父とするために、僕には母を尋ねる責が生じた。// 今は何もなくともそこに群を抜いて枝を張る父の面影を僕は見る。一方、母のことを僕は知らない。父は対なる ものを拒んで父であったのだから。母はどこにもいないものなのだ。//……// 母は僕の落ち度だった。僕の後ろ暗さはそこにある。……// |
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| ★【裸木】 ☆花籠悌子/土曜美術社出版販売 | ||||
| 処女詩集『長い夏』上梓から23年目の第二詩集。絶えず学ぶ姿勢を通してこられた花籠さんの奢らない気質からくる真面目さ・真摯さは、上っすべりに走らない。生後わずかな嬰児を亡くしたことがテーマだった第一詩集の、跋文は安西均。 その安西均を偲ぶ「春の鐘」―― 鐘が鳴っています/はやく行かないと遅刻です//……// それにしても変です 下駄箱はみな空っぽ/ひっそりしずまりかえった廊下のむこうから/…… どうしたことなのでしょう/みんなは遠い山のむこうに転勤される先生を/ 川の渡し場まで見送りに行ったというのです// 小父さんが鐘を振っています/誰も戻って来ないまま今日は終業/そして明日からは春休み// 冒頭の詩「挨拶」。ほんの一部しか引用できないが、最後の二連の唐突さがリアルで良い雰囲気をかもしている。 見つめられた/その未明/確かに――//……// 窓の外には/一本の欅が芽吹き間近い枝々を重ねて/いつものままに在るだけだったが// 風が吹きすぎて 突然判った/魂は 一瞬 大きな樹の容貌となって/ 訣れを伝えると/素早く空に翔け抜けていったことを// 朝が来た/訃報が届く// |
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| ★【秋野さち子全詩集】 ☆秋野さち子 中村秀雄編/砂子屋書房 | ||||
| 730頁を超えるすごい全集が出版社から送られてきた。秋野さんの3回忌を記念して夫君の中村秀雄さんが、遺された8冊の詩集と1冊の散文集、未発表の三冊のバインダーと一冊の大学ノートから編まれたものだ。いろいろな会でお見かけしていた秋野さんの人となりがよく分かる刊行である。 筆を28年間も折っていた時期があったということ、1927〜2004年までの78年間366編を残して92歳で旅立たれたということ、元々は加賀市出身の一家でご本人は北朝鮮平壌で育たれたということなどを知った。 「彼女の死には生れ故郷の白い幻となった北朝鮮が息づいている……」という原子朗さんの解説。栞には伊藤桂一さん、出発点が一緒だった新川和江さん、石原武さん、この全詩集刊行までの推進に尽力された嵯峨恵子さんの寄稿があり、とくに新川さんの一文が印象深かった。 ゆうばえをてのひらにのせると/静かなあなたの足音がする// 鉈割りの木肌は孤独だ/切り立った背中は崖だ/ 踏みはずしたら最後 爪もとまらない/その背中に円空は座っている/ 気配にふりむくと/草むらにころがる木の実のように/誰かがわたしの眼を蓋うのだ// さしのべられた千の手/やさしさが雫になってしたたり落ちる/ その指先に生まれる小さな虹を/わたしの指ははげしくふりはらった// うすれてゆくゆうばえの中に/鐘の音をまとって/あなたは立っている/ 自刻像の/…… (『色のない風』「背中はいらない―円空仏」より) |
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| ★【原郷蒼天】 ☆荒賀憲雄/土曜美術社出版販売 | ||||
| ここ七年ほどの、旅の詩をまとめた……と、「あとがき」は始まる。 一章はモンゴル、二章はシルクロード。モンゴル奥地のオトゴンテンゲル山(4031M)をのぞいて、秋谷豊率いる「地球」同人を中心としたアジア詩人会議参加の経験をベースにしたものである。 私も第9回のシルクロードでご一緒だったから、特別の思いで読み解いた。何より一つの旅とその体験を、どのくらい詩化できるのかということ。次に、旅が旅を越えた詩となるのはどのような詩趣に基づくのかということ。 旅を共にした者にとってはことさら、贅沢な一冊だった。前から読み進んで、オトゴンテンゲル山登山の一連の詩に驚いた。集団行動の最中に、どのような計画をドッキングさせたのか、そう思ったが事情は「あとがき」を通して後でわかった。 詩人会議は集団で、足でかせぐ旅は願わくば、単独で。一歩一歩を自分なりにさぐった登山の詩が印象的だったのは、自然のことなのかもしれない。 畠かいこれは? と/ゴビ砂漠の写真を見た友がつぶやいた// それほどの正確さで/きっかり十五センチの間隔をおいて/あの地には/短い草が生えていた/ 見わたす地平まではむろん/そのかなた/数十倍にわたる距離を埋めつくして// 人もいた/ほぼ十キロごとに点在する/遊牧民のゲルが/数百頭の/草をはむいきものたちに囲まれて// ……//しかし同じ眼で/わたしは見なければならなかった// 草原の上/数十キロの/へだたりをおいて横たわる/いきものの/白い骨を// それはこのとざされたいのちの海を/よぎりのがれて/未知のかなたへ向かって/旅しようとしたものたちへの/ むくいにも似た/死のかたち/だった// (「砂漠の骨」より) 砂漠の砂の上に置かれた/古代のミイラさながら/わたしは白いシーツの上に/横たわっている// 眼帯のおおわれた瞼の奥を/しきりに通り過ぎる風景がある// (「回復期」より) また/夏が来る// どちら向いてもせわしげな/己を見失った顔にしか出会わない/この過密の国から// 楊柳の茂るオアシスの水辺や/沙漠にうずくまる駱駝の陰に憩う/生きている人間の顔に出逢うための/ 旅に出ようか// (「顔」より) 傷つき齢老いた/一頭の駱駝のように (「回復期」より) |
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| ★【風の外から押されて】 ☆田中美千代/七月堂 | ||||
| 控え目だけれど、そして少し淡いけれど、良い詩が目についた。 「五十センチの神様」「風の中で」「ユウキくん」「定石」など。溜息のように何気ない息遣いのように出るポエジーと言葉。 照返しの陽があたっている幹のところには/神様がいるんですって// 紅紫色の大輪のツツジが/風に揺れている/咲いていることを/知らないまま// ……//そんなことを/なぜ不思議がるように/私がつくられてここにいるのか/私もまた知らない// 花も私も/風の外から押されて/持たされたかたち/誰の手に/よるものでもなく/つくられて// 限られた枠の中で/勝利するために/ここしかない/というところに/動かせない一石を置く/ そこから はじめて/苛烈な戦いが始めることを/いま ようやくのこと/思う// |
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| ★【マサヒロ兄さん】 ☆浅見洋子/けやき書房 | ||||
| 第一版、第二版で二千部を出版したという第一詩集『歩道橋』、絶版となった第二詩集『交差点』、すぐに完売した第三詩集『隅田川の堤』の中からアルコール依存症だった兄を描いた詩を集めて編み直したというこの詩集には、ぎりぎりのところでも生きなければならない人の辛さ悲しさが、それを見守り戦いながら真っ直ぐに生に向き合ってきた家族の屈折した絆が人間的でかつ感動的である。素朴な言葉のどこから生まれてくるインパクトなのか、読みながらいくどでも胸をうたれた。のんだくれの兄を通した生活の匂い・草の根の生活感を背負った言葉は、他の詩集には見られない力強い実感に満ちている。 版を重ねるほどに一般の読者にも読まれた秘密はそこにあるのだろう。 再録された第一詩集の「あとがき」にあるように、「自分の詩集をつくるのなら、新しい自分の人生を切り拓いていくなら、なにもかもさらけだして、心の杯をからにしてしまわなければ、」と思ったというところや、「私の心の杯には、まだ、にごりが残っているようですが、あせることなく、この残ったにごりに対峙し、第二、第三の詩集に、置き換えていってみたい……」というところに、人の心に届く浅見さんの詩の言葉の強さがあるように思える。 人間稼業が いやになった/さりとて 死ねるわけもない/思案にくれて/また 生きる// 雨の日は ガード下にたち/風の日は 地下道にもぐり/ねぐらができれば まずいっぱい// 腹がへったら パンかじり/ゲタを枕に 漫画読み/きれいな娘ちゃん 下からながめ/ これが 俺の生きがいか// 人間稼業が いやになった/さりとて 死ねるわけもない/思案にくれて/また 生きる// (アルコール依存症 「地下道」) |
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| ★【此の子誰の子】 ☆岡田恵美子エッセイ集/待望社 | ||||
| 標題のエッセイは書き下ろしの、問題児と言われた子が博士になるまでの親の気持ちを綴ったもの。 その他はほとんどが『ATORI』に既発表のものをまとめられたもののようだ。しかし、身内のこととなるとどのような視点からどう書くかはやはり難しい。書き方ではなく、日ごろの経験の仕方・感じ方の書く以前のことが難しいのだ。そんな点からすれば、お人柄を表わしてまっすぐで素朴な感じ方を好感を持って読んだ。 わたしなどはもっとずっと屈折している。 ホームページをもってからは特にすごい量の雑文がたまっていくようになった。これを最後はどうするのか、自分でもまだよく分からない。書き直してなんとかなるのかならないのか、そのうちいつか考えてみたい。 |
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| ★【エジプトの砂】 ☆五喜田正巳/福田正夫詩の会 | ||||
| 長い紙を六折りにしたジャバラ型の詩集は楽しく、新鮮だった。表紙になるようなしっかりした紙に印刷された装丁は、『焔』を発行している福田正夫の会からの出版だが、だいぶコスト高なのかもしれない。 内容もかつて強い印象を受けたわたしのエジプト旅行の足跡をたどってもらってでもいるように、ガラス瓶に入れたエジプトの砂のこと、クフ王の墓であるピラミッドのこと、ツタンカーメンの墓がある王家の谷のこと、アブシンベル神殿の近くでみたナセル湖のこと、ファルーカのこと、大事にしているアルバムの一コマ一コマを詩化してみせてくれるようなクラフト詩集であった。 |
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| ★【犀の角のように】 ☆金子たんま/土曜美術社出版販売 | ||||
| 第一詩集を出した翌年に第二詩集を出す、……という例をあまり知らない。 金子さんの場合は、それだけ表現したいことが凝縮されてきた年月があり、一冊目を出すことによって突破口を得た自己表出の迸りが、そういう結果になったのだろう。 「あとがき」に、――心の中の泥沼を整理し、けりをつけなければならない。……けりをつけると言うわたしの気持ちは今、あやふやなものになっている。わたしと夫との課題は、というか生活や生きざまの課題は、そう簡単にけりなどがつくはずもなく……これからが大切な時間かもしれない……という述懐がある。 この詩集を読んで、大らかな金子さんの人知れぬ苦悩を知ったが、詩を書きながら、あるいは詩集を編みながら上のような述懐に到るとしたら、その「これから」がどんな形であったとしても、それこそが詩に向かう意味なのだろう。 けだし金子さんのように、素直に直裁になれることこそ、難しいのだけれど。 ………/病室は深めの鍋/恨みも繰りごとも/なんでもみんな飲みこんで/ とろとろ弱火にかかっている/夫はどこへも逃げられない/辛抱づよく待っていよう/ お互いに持っているはずの懐かしさが/いつかじわじわ溶け出し/滲み出てくることを信じよう// (「深めの鍋に」より) 女が出来るということは/思いがけずやってくる災難で/人の力ではいかんともしがたい// ……/昼はまるまり夜になると/外へ出たがる夜盗虫が/一緒にご飯を食べていた//…… (「ある日突然」より) 天気がいいから電話をしよう/ついでがあれば来るかもしれない/喫茶店で逢って/…… わたしと過ごした二十年と/子供たちのことは話題にならない/ 感情を失った瞳が/じろりとわたしの表面を過ぎる/ コーヒーがカップの底に冷たくなって/あの人は立ち上がる/わたし達はじゃあねと別れる/…… そんなあの人に逢うために/電話をしよう// (「喫茶店」より) 突然の脳溢血で/ベッドから起きあがれなくなった/堂堂とあるいはこそこそと/……/ 女のところへ行くことはできない//長い長い間だった/もう帰ってこないと思っていた/……// ……/いつかはきっと/わたしのところへ帰ってくる/その証拠にいつ行っても/ベッドで待っている// (「ある晴れた日に」より) |
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| ★【】 ☆/ | ||||
| 詩誌&マガジンの記録 | ||||
| ★【パ〜プル】29号 ☆高村昌憲/パ〜プルの会 | ||||
| アランの初期プロポ集を始め、フランスの香りがする同誌だが、今号は「風狂の会」他でご一緒だった川杉敏夫さんの追悼号。執筆依頼をいただいたから、そう繁くはなかった接点を通して個性的だった川杉さんの往時を深く考えることとなった。 ここに記録としても留めておくこととした。 四行詩………………開あきこ・高村昌憲 散文詩………………よしかわつねこ 特集 追悼 川杉敏夫…………遠山信男・木津川昭夫・北岡善寿・中平耀・高村昌憲・谷口ちかえ・堀口精一郎 |
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| ★【柵】241号 ☆志賀英夫/詩画工房 | ||||
| 中村不二夫および志賀英夫両氏による「現代詩展望」および「戦後詩誌の系譜」は健在。 39回目という数字は、そのデータとともにすごい。昭和59年(1984)、55誌を表紙の写真とともに掲載。この特集だけでも歴史的で人目を惹くだろう。 11月中旬に行なわれた詩書画展のグラビアもある。 今号には見過ごして忘れてしまえない詩もいくつかあった。そんななかから その哀しみは/空瓶に似ている/満たされない闇を抱いて/転がっている孤独/ 道化師のこころは いつも/縄のように捩れている/ 道化師の見上げる空には/無人のブランコが揺れている// (「寓話」より「道化師」 南邦和) |
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| ★【詩界】No.247 ☆詩人クラブ | ||||
| ・巻頭詩論:自分にとって「詩とは何か」(小松弘愛) ・現代詩研究会:芭蕉と現代詩の間(新延拳・鳥居真理子)他、いつものように盛り沢山。 じっくり読んでいる閑もないのが残念だが、 ・世界からの視点:中国現代詩人ダイワンシューとスペインの詩人たち(秋吉久紀夫) ・現代詩への提言:現実を書く――エリュアールを手がかりに(小野恵美子) ・先の提言は、勢いがあって面白かった。そして ・海外詩人の紹介:今なぜ、カリブ?(谷口ちかえ)……… とことさら自分のことを書くのは、記録のため。気恥ずかしいものだ。書かなければいかないと思いながら、忸怩たるものがあったから有り難かった。きっと書くたびに知識のアナは埋まっていくのだろう。 これ以前に「風狂の会」で一時間しゃべったときの下準備資料もあったので、楽しい気分で作業できた。 またしばらく立ち止まるのかなぁ。 |
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| ★【papillon】40号 ☆竹岡準之助/あすなろ社 | ||||
| 大石規子さんから本誌の扉詩リレーの要請があった。編集者とは同窓のよしみ、フランス文学のよしみ、でしょ……という名目の推薦だったが、主催者竹岡氏との面識はない。パピという犬がたびたび登場する「パピヨン=蝶々の仏語」。だがこの同人誌の名付け親である飼い犬のパピが死んでしまった、と編集後記にあった。 なぜか私は大石さん・喜春子さんとともに谷川岳に行ったときのことを思い出した。どうしても紹介したかった遭難碑の短歌を入れ込んだ詩を載せていただくことにした。ところが読み返してみても、わたしの詩はその短歌の引用に及ばない。紹介したかった短歌だから、またここで再掲することにして。 なんどでも訪ねたい場所である/ 厳しい風雪が刻んだ山の風貌に呼ばれるのだ/ 呼ばれて去った人たちの奇跡に触れたくなるのだ/ あちらとこちらの世界を仕切るように屹立した崖は/ ここにも 暮らしのあちこちにもあって/ 挑んでは帰ってきた人がいる/ 二度と帰らなかった人もいる// 行くたびに訪ねる場所がある/……中略……/ わたしはそこで今日も 一行また一行と辿りながら/ 悲しみを拭うことで深まる思いに立ちすくむ/ 沢のぼる友に手をかしつつがなく 登りおわせよ一ノ倉沢 父 行きくれてなやめる友にさしのべよ 二度とふますな己が道をば 母 フランス文学……というのだったら、私より高村昌憲さんは? とばかりに私は、高村さんにリレーした。次号は、高村さんの扉詩となる。 |
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| ★【現代詩研究】57号 ☆渡辺元蔵/現代詩研究会 | ||||
| 同誌は長く三鬼宏さんにいただいていたが、三鬼さんは五年にわたった井上靖論が完結され、来春発行を目指されているということ。今回は、「画家と詩人―トマスとヴォルス」のエッセイを掲載された伊原五郎さんにいただいた。 奇しくも本号は、私にもご縁があった斎藤まもる氏の追悼号。藤一也さんが斎藤まもる論を、渡辺元蔵・伊原五郎・諸隈道範・木村徳雄・三鬼宏・千葉昌邦・なべくらますみ・石塚昌男諸氏が追悼文を寄せておられる。 主宰者・渡辺元蔵氏は日韓文化交流の軌跡を、斎藤まもる氏の追悼を初回として連載されるおつもりらしい。 |
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| ★【凌雲】12号 ☆凌雲の会 | ||||
| グラビア頁に新井翆翹さんのネパール紀行が乗っている。写真の数枚はすでになじみがあって、その一つは、ジョムソンかムクチュナートへ向かう道で出会った少女。運んできたドコを置いて、そのタイトルも〈ひとやすみ〉――『花束3』の表紙になった少女だ。他に福田美鈴さん・金子秀夫さんの詩などもある。 10月末〜11月初め、「花束4」の出版記念会を兼ねてネパールにご一緒し、新井さんとはトレッキングもご一緒だった。表紙を眺めながら、お手伝いもした「花束」を待っている。 |
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| ★【牛王 Vol.4】 中上健次精算生誕60周年記念号 ☆熊野JKプロジェクト | ||||
| 執筆者の一人、唐澤るみ子さんから頂いた。ほぼ2年前に出版された『夢に降る』という歌集はすばらしかった。元『地球』同人の志津麻子さんの姪御さんにあたり、そんな縁から東北に住む唐澤さんとの縁がつながった。 中上健次さんを偲んだ特別寄稿の執筆者は、唐澤さんの他に、瀬戸内寂聴・勝目梓・宮尾登美子・北方謙三・立松和平など。 |
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| ★【詩と思想7月号】 ☆土曜美術社出版販売 | ||||
| 特集は、「韓国、日本、海をこえて」 昨年の第10回アジア・環太平洋詩人会議では森田進・佐川亜紀編による『「在日コリアン詩選集 一九一六年〜二○○四年」』が地球賞を受賞したが、今回は〈韓国現代詩アンソロジー〉として権宅明および韓成禮が翻訳したものが特集されている。その他に先の二氏および韓国に関係深い南邦和・飯嶋武太郎ほかの〈評論〉、〈日本の詩人〉は池田瑛子、〈扉詩〉は斎藤庸一など。 ついでに記録しておくと、わたしのインターネット時評は今回で終り。「三月号から書きはじめた時評もあっという間に最終回となった。毎回、本誌一頁分に縮めるのに苦労したが、そのぶん尻切れとんぼとなった。今号はそのあたりを拾ってみたい」として、国会図書館のこと。「地球」のHPのこと、「自費出版図書館」のことなどに触れることができた。 |
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| ★【蠻 145終刊号】 ☆秦健一郎/蠻詩社 | ||||
| 蠻の終刊が突然知らされた。 昭和41年一月に早川琢氏によって創刊され、38年間続いたそうだ。 私は旧友、今村芳子さんが参加されていたことによって縁ができ、今村さんの書評を求められて寄稿ことによって、会に一、二度だけ参加したこともある。その後、今村さんが私の書評を載せるということもあった。 中谷周さんなどと、しばらく文通したりして、ずっと送っていただいていた詩誌であった。 |
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| ★【飛揚】第43号 ☆葵生川 玲 | ||||
| 発行年月日に沿って掲載したが、この号は9月11日(月)18:00〜、カリブのハイチ詩人クリストフ・P・シャルル氏を迎えて阿佐ヶ谷ので新東京會舘シダーで行なわれた「9・11」の会で頂いたと記憶する。在野の哲学者&詩人の和久内明氏主催で、クリストフ自身の詩の朗読やわたしからのハイチの紹介・紹介者森井香衣さんの世界詩人会議モンゴルの報告・横浜在住山田カリンやハイチ支援の会(セスラ)をやっている高岡美智子さんの歌・カリンのハイチの踊りに続き、葵生川さんがご紹介下さった方々の朗読を聞いた。クリストフの混迷するハイチにおける矛盾に満ちた体験に負けず、詩を体で体験している日本の盟友の朗読は、一般の方々の心にも届いて、後でそんな反応をいくつもいただいた。朗読とスピーチは、葵生川玲・葛原りょう・谷口ちかえ・比嘉名進・府川清・古久保和美・美異亜・森井香衣・和久内明。「飛揚」の中から―― 小学校を/二年で辞めました/中学校を/一年で辞めました/幼稚園を卒園したのが/わたしの履歴の頂点で/ 気がつけば ニートという寂光が/わたしの手のひらで泳いでいました// ……//幾多の避難を浴びながら/不登校を開始した/幾多の罵声を浴びながら/高校を中退した// ドロップアウトを武器にして/真実を撃ち抜くわたしたちの最前線よ/六畳部屋の 籠城戦を 観戦するな、人よ// ……//くらやみに瞳 点し続けている夜を/何と名付けたらいいのだろう// (「レッテル」より 葛原りょう) (苦ヨモギ、破滅の象徴の黒い草について書いた詩人がいました)(葵生川玲『苦艾異聞』のこと) ロシア語で「苦ヨモギ」は/チェルノブイリ/破滅の象徴の名を冠されていたのだ。 「あなたがたのうちに/苦ヨモギを生ずる根があってはならない」/旧約聖書では罪と罰をも意味する。/ 「見よ、私はこの民に苦ヨモギを食べさせ、毒の水を飲ませる」/エレミヤに言わせている。//(エレミヤ書九章) あの場所で起こっていることを/ただ見ている私がいる。/書くことも、/身に引き受ける勇気もなく、/ だが苦ヨモギの黒い大地に/赤い実をつけた木のこと/その名を私は記そう。/ チェルボナ・カリーナ、/再生と癒しを意味する木。//……// (「チェルノブイリ」より 青島洋子) |
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| ★【詩と思想5月号】 ☆土曜美術社出版販売 | ||||
| 特集はユーモア。 いつも思っている。日常生活ではいつも3枚目だのに、詩に向かうとどうしてシリアスになるんだろう。 わたしなりのずっこけ詩を打ち立てることでも試みるか。そう思って読むときりなく面白い今号の特集でした。 巻頭エッセイの高木秋尾さんの「ユーモア詩の表情」を巻頭として、早期退職を決意した村山精二さんの「挨拶」に込められた諧謔と自分へのカリカチュアライズ。森三沙さんの「定年退職」、関口隆夫さん「身体計測」、山田直さん「日本の鬼考」……やはり、ユーモア詩というからには、すっかり脱いだものが良い。 わたしのインターネット時評「七つの海をネット・サーフィン」。印刷になってはじめてもひとつ客観的に読める原稿は、ううん〜ちょっと。 |
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| ★【豆の木】創刊号 ☆秋山公哉・里見静江ほか | ||||
| 一緒に学んだ仲間が、長い準備期間を経て一つの形にしたことが紹介されている。 創刊号はいつも楽しい。「豆の木」という命名も、豆に終わらない、やがて天に届くジャックの豆の木を想定させられる。 片手で抱えられそうな/この小さな壺に/七十四年の人生が詰まっている/ 自分の骨を入れるのだと/父が買って来ておいた益子焼きの壺/その中に今/母が詰まっているのだ// 眼が見えなくては困るだろうと/額のあたりに眼鏡を置く/…… 何十年か何百年か経って/壺の中がすっかり空になった時/ きっと/母はまた/誰かの子供になるのだ// (「壺の中」より 秋山) 上も下も冒頭部分と最後部分の引用だが、表現するのがなかなか難しい、柔らかい素直さに触れた。 まっさらなままの原稿用紙/降りてこない詩の一行につまずいて/久しぶりに利根川に向かう// ……//筑波山の上にはったはずの月が/わたしの行き先を見届けるように/こっそりとついてくる/ 笑っているような/泣いているような/少しゆがんだ 昼の月// 風と月に背中を押されて/家に帰ると/机の上の原稿用紙に/詩の一行目が置いてあった// (「昼の月」より 石島) |
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| ★【叢生 第143号】 ☆島田陽子/叢生詩社 | ||||
| 彼はもともと身内なのだ/敵とは思わない/ 簑がしたからといって責めないでほしい/まさか我々を裏切り/テロリストになっているなんて/…… ……//やみそうにない専守防衛隊のぼやき// ――目に見える限りは切除しました (島田陽子「見逃したのは」より) 「編集後記」に、「……渡し場が近景のものになったのは確かだ。手術の成功によりモラトリアムを得られたのだから、自分は何をすべきかを考え、有効にその時間を使いたい。……」という島田さんの詩魂はすごい。 大病に取り組まれた主催者の復帰、となにか関係があるのかないのか、今号は大人の泰然としたゆとりを感じるおかしみをもった詩が多かった。どれも楽しく読めた。 下村さんの「弱さという特性」も、原さんの「おやかましさん」も、福岡さんの「スズメの知恵」、麦さん、八ッ口さん、由良さん。 |
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| ★【思い川 19号】 ☆桜庭英子/思川舎 | ||||
| はじめて触れる浅野孝さんの詩がすごく良かった。 ……教室では世界史の薔薇戦争が始まっている/私は息をひそめて聴いている//…… (廊下)が今の私の教室であったことを/知るのにさほど時間はかからなかった/ ここから一人で学んでゆくしかない/居眠りするほど暖かくはない場所/ 〔老化は静かに歩きましょう〕/そんな標語が貼られているかいないか//…… (「教室」より) 桜庭さんの詩もそれぞれに良い。 その名は/わたしのなかを今夜も/吐息となって通りすぎてゆく/やるせない香りを振りまきながら// 〈身のほど知らず〉/〈軽はずみ〉/かつて パリの裏町に佇む女たちが/……/… 〈夢幻の如く〉/そう これは/あいつの命を縮めたみちのくの地酒/ その名もときおり/夜更けになると/とぼけた顔をして/ふらふらと出没したりする//(「その名」より) |
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| ★【空の引力 21号】 ☆田中武ほか | ||||
| 非現実的なところを描きながらのびやかに自由で自然で、しかも現実的でいつもうまいなぁと思う。 田中武さんの詩だが、冒頭の伊与部恭子さんの作品も然り、なかなか真似のできない旨味があった。 昨日まで確かだった地面が/今は やわらかく傾いている/ 傾きながら わたしは/先(サッキ)まで一緒だった人を思い出せないでいる// 郵便局員がやって来て 何か説明を始めるが/だんだん(人形のように)壊れていって/やがて 止まった// ……//耳の中で 音がしている/何かが零れていく音だ/ どんどん零れていって/空になる/空になって/冷蔵庫の前に転がっている// (「昨日まで」より 伊与部) ポスターを窓ガラスに貼る。/まだ始まっていない祭がポスターの中では始まっている。/ ポスターを貼った男は笑顔で、湯冷ましのような空気の中を帰っていった。// 彼が死ぬのはいつだろう。// (「未来」より 田中) |
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| ★【詩脈 100号記念終刊号】 ☆岡隆夫/詩脈社 | ||||
| 表裏の表紙には100冊のバックナンバーがデザインされている。1970年創刊だから36年、ほぼ年間3冊のペースだが、こうずらっと並んだのを眺めると圧巻である。 京都に縁が深かったから、岡山には二度ほど足をのばした。東京湾有明港からフェリーに乗って徳島に上陸し、瀬戸大橋を渡った後、マイカーで通過したこともある。九州・大分から日中のフェリーで神戸港を向かう途中、瀬戸の海はカリブやエーゲ海に負けないと、しまなみを愛でながら通ったこともあった。海にもやまなみにも近い詩脈発祥の地は、詩情をそそる土地柄に違いない。 作品と詩や短歌・俳句の対訳コラボレーション、終刊に寄せるみんなのエッセイ、100号の資料がある。 |
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