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詩の種


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わたしの場合、詩は一言の、あるいは一行のインスピレーションから始まります。
でも忙しい日常のなかでは、捕らえようとする間に消えてしまうことが多いのです。
そこで、発芽しかけたそんな詩の種をほうりこんでおく採集箱を用意しました。
ごみ箱にはできないこの小箱を、うまく維持できるのかどうか難しいと思いつつ。
この詩種から異種の花を咲かせられた方はぜひお知らせ、ご披露いただきたく。


 2月の種




旅のイリュージョン
    


わたしを乗せた椅子が
星降る夏の夜空を滑ってゆく
わ! 銀河鉄道だ

行きつく先はおぼつかないまま
揺れながら戸惑いから目覚めると
星と見たのは闇夜にまたたく町の灯
わたしは西へ向かう夜行バスのなかにいた

新世紀四年 たっぷりと午後をかけて
中国大陸を西域へと横切っていったのも
日本が砂漠のように暑いその年の夏
浅い眠りの出口で こんどは
雲海に漕ぎだす方舟を見た

その小舟にかろうじて乗り込めたか
愛しい者との別れに嗚咽したかは覚えていない
ただ 口をついて出てくるのは
機内に持ち込んだ詩集の馴染みの一行だ
――己が方舟に乗り込む資格を持っていない
(*)

地平線と水平線のはるか上方にいてなお
地上の悲しみを誘う詩行につかまってまま
わたしが生れ落ちた大陸の一地点を
機影はたぶんかすめたばかりだ

あみだくじのように偶然の角を幾度も曲がり
無意識に犯した罪 思いあたるスネの傷
生きのびる資格があったかと
遠い声にまた告発されている

倒れた人を踏みつけて進む騎馬勢の怒号と
舞う砂塵の中で目覚めた夜半
旧西夏王国出身の青年から日中聞いた
民族の興亡の話ばかりを思い出していた

時間が層をなして堆積した古代都市は
こんな夜更け 月の視線に蘇っているだろう
旅で出会ったのはなにより
砂粒ほど微少な自分だと苦い笑いを浮かべて
わたしはやっと深い眠りに落ちる

              
井上靖『雨期』より


 1月の種




この秋、涸沢
    


梓川の瀬音を聞き 落葉松の落葉を踏んで
一足ごとに今年の秋を読みながら歩く

夏の名残りのトリカブト
その細工の細やかさ
ひょうたんぼくの赤い実
その発色のみごとさ

草木の造形や季節の移ろいを
一行一行 精読するわたしも
秋の陽にゆっくり読まれている
千年の風と光と影のなかで――

明神・徳沢・横尾と初めてたどる友が
秋色の景色となって前を行く
梓川を横切り 横尾本谷を渡り
ナナカマドの涸沢をあえいで登ると――

とつぜんわたしたちに降りそそぎ
圏谷(カール)に積もる 2万年の刻(トキ)
雨と氷と太陽に研がれた稜線で
鋭く空を斬る 170万年の山の貌(カタチ)
ここでは時間の姿がよく見える

東陵からのびるゴルジュの上の
あれが 北穂
ザイテングラードをたどった先の
あれが 奥穂
そして吊り尾根から立ち上がる前穂T峰

あれが あれが と友に指をさし
辿らなかった谷と峰を数えながら
つづきは自分に語りかける
もう踏むことはないだろう
北穂の向こうに隠れている滝谷やキレット
浮き石だらけの涸沢岳と涸沢槍
そして逆スラブの西穂から奥穂への尾根の道

自分の内部からときどき鮮やかに立ち上がる
忘れられないあの一瞬この一瞬は
わたしとともにやがて倒れて消えるだろう
初雪の槍連峰から息をつめてみた紫紺の常念も
北穂から眺めた美しい槍の姿も
鏡平に逆さに映るその穂先も
岳沢の岩稜にしがみついていたイワギキョウも

けれどあのとき そしてあのとき
千年の光と影と交わりながら
根かぎりの力でわたしは
まぎれもなく生きていることを証したのだ
万年の中を通過する一点として



       
岳の響き('91.8 北穂山行、撮影は同行の若松郁夫氏)
 


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