
国家試験に合格する喜びを一度味わうと、次に何か別の国家試験にも挑戦したくなるようです。誰でも公に認められたいという気持ちは否定できませんからね。そういう意味では私なりの自己主張です。精神の若返りとボケ防止にも効果がありますよ。しかし、端から見ると、「資格マニア」のように思われるかもしれません。それに今後の課題もまだまだあります。
| 情報処理技術者 | 第一種情報処理技術者 | 現在、この名称なし (過去の遺物) |
| 初級マイクロコンピュータ応用システム開発技術者 | ||
| 無線従事者 | 第一級海上無線通信士 |
21世紀は海洋開発の時代 |
| 第一級陸上無線技術士 | 夢かと思ってしまいますね | |
| 電信級アマチュア無線技士 (現在の第三級アマチュア無線技士) | 遊びとしてはこれで充分と思われます | |
| 電気通信主任技術者 | 第一種伝送交換主任技術者 (現在の伝送交換主任技術者) | 13年越しの恋が実りました |
| 工事担任者 | AI・DD総合種 | 新制度の資格 |
| 情報通信エンジニア ビジネス | 平成22年1月まで有効 | |
| 電気工事士 | 第二種電気工事士
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遅すぎた夏かもしれません |
| 外国語 | 実用英語技能検定 2級 | かなり昔の話になりました |
| 小型船舶操縦免許証 | 2級小型船舶操縦士 | 平成25年9月3日まで有効 |
| 運転免許証 | 一種 中型自動車(8トン未満限定) | 平成24年4月3日まで有効 |
| 教育職員免許状 | 高等学校教諭専修免許状 工業 | 更新講習未受講 |
| 高等学校教諭一種免許状 情報 | 更新講習未受講 |
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左側の写真は第一種情報処理技術者、右側の写真は初級マイクロコンピュータ応用システム開発技術者の合格証書です。
今となっては骨董品の部類に入るかもしれません。現代の流行語を使えば、レガシー(遺物)というところでしょうか? しかし、私にとっては初めて手にした本格的な合格証書です。 第一種情報処理技術者は横須賀市(神奈川県)にいるとき合格しました。その頃、私は海上自衛隊に在籍していました。これが若さ故の錯覚で転職する起爆剤になりました。初級マイクロコンピュータ応用システム開発技術者(日本情報処理開発協会主催)は、山形に戻って専門学校に勤めるようになってから 取得しました。両方とも自己啓発の必要性に迫られてチャレンジした結果です。 現在は、情報処理技術者試験制度は全面的に改正されており、かつての上級試験は試験区分が細分化されたものになりました。私自身、「第一種情報処理技術者でございます」などと大きな顔をしていられなくなりました。しかし、情報処理技術に関する基礎的なことは、この資格を取得することを通じてしっかり身に付けたつもりです。 |
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右の写真のように、無線従事者免許証の表紙はまるでパスポートのようです。左側の写真は無線通信士、右側の写真は無線技術士の免許証です。無線通信士の資格は国際条約に基づくものなので、免許証の内側には 和文と英文が併記されています。ところで、右側の写真と左側の写真でどっちが幅広く見えますか? 実は、ピクセルの数では両方とも同じです。 第一級陸上無線技術士は、操作範囲が「無線設備の技術操作」とだけ記述されている資格です。正攻法で4科目を征服する方法もありますが、第一種伝送交換主任技術者による2科目免除を活かして残り2科目(「法規」と「無線工学B」)を片付けるという方法もあります。 無線通信と言えばモールス符号・・・・・と連想する人が今なお多いです。しかし、船舶関係では、1999年2月1日から全世界的にGMDSSが正式に導入され、モールス符号による通信は正式な通信手段でなくなりました。また、航空機関係では 、さらに前からモールス符号は姿を消しています。 モールス符号の送受信は、その仕事に携わった人にとっては懐かしいものでしょうが、今となっては必要のなくなった特殊技能と言えます。 |
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無線従事者国家試験について詳しく知りたい方は、「私はこうして合格した」をご覧になって下さい。
平成15年1月26日(日)、東北電子専門学校(仙台市)で第一種伝送交換主任技術者を受験しました。「法規」、「設備」、「専門」、「システム」の4科目のうち、「システム」は無線従事者免許証により免除となりましたので、午前中に「法規」と「設備」、午後から「専門」の受験となりました。「専門」 については、「伝送」、「無線」、「交換」、「データ通信」、「通信電力」の専門分野からひとつ選択することになっています。私は「無線」を選択しました。試験申請するとき、選択する専門分野を試験申請書に記入することになっています。
ところで、電気通信主任技術者試験と電気主任技術者試験(いわゆる電験)を混同している人がいるようですが、まったく別物ですよ。電気工事士に対して電気主任技術者があるように、工事担任者に対して電気通信主任技術者がある・・・・・・と言えば理解できるのではないでしょうか。 このようなことから、電気通信主任技術者試験の「法規」は工事担任者試験の「法規」と共通する部分が多いです。ただし、電気主任技術者試験は経済産業省、電気通信主任技術者試験は総務省の管轄により実施されます。
1月31日(金)、日本データ通信協会のホームページで公開された解答を見て自己採点しました。その結果、「法規」は66点、「設備」は67点、「専門」は47点でした。実は、 前年の11月下旬から準備を始めた関係で、今回は「法規」と「設備」に絞って試験勉強しました。電気通信振興会の月刊誌『電波受験界』に掲載されている過去問題を解きながら自分でいろいろ調べました。2科目とも辛うじて合格しているようです。「専門」は自己採点する気も起きないほどでした。受ける前から捨てていたのですから、当然と言えば当然ですね。3月3日(月)、試験結果通知書が自宅に届きました。結果は自己採点のとおりでした。科目合格は2年間有効です。取り残した「専門」は次回(7月)に必ず合格してみせます・・・・・・なあ〜んて大言壮語して大丈夫かな?
平成13年度第1回(7月)から試験科目の内容が改正され、情報セキュリティに関するものが出題されるようになりました。具体的には、暗号技術、認証技術、コンピュータ・ウィルス、セキュリティ・ポリシーなどに関する問題です。当然、今回も「法規」と「設備」に出題されました。私も 『インターネット・セキュリティとは何か』という日経BP社の本を読んで、一応、この分野の試験問題に備えました。今や国家試験でもインターネットを無視できな くなりました。
受験の動機ですか? ひとつは、この資格があれば有線通信、無線通信を問わず事業用電気通信設備の工事、維持及び運用を監督することができるからです。ネットワーク の設備を管理する資格です。もうひとつは、第一級陸上無線技術士を取得するためのステップになるということです。第一種伝送交換主任技術者の資格者証があれば、第一級陸上無線技術士の「無線工学の基礎」と「無線工学A」が免除となります。以上のように、電気通信の世界では大きな価値のある資格です。
実は、平成元年11月26日(日)、私がまだ専門学校に勤めている頃、東北福祉大学(仙台市)で電気通信主任技術者試験(第一種伝送交換主任技術者)を受けたことがありました。そのときは4科目すべてを受験して、「法規」を除く3科目に合格しました。 このときは「専門」は「データ通信」を選択しました。この頃は多肢選択式(マークシート方式)でなく記述式の試験だったので、「法規」の場合は条文をそのまま記述するような問題が多 かったです。これは私の最も苦手とするものでした。その翌年の4月から私は公立高等学校に勤めることになりました。しかし、新しい職場環境に入ったせいもあり、この年は採用試験の準備学習や授業担当科目の教材研究などに追われて、国家試験の準備どころではありませんでした。そうこうしている間に再受験する意欲もなくなり、結局、科目合格の有効期限も切れてしまったのです。
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平成15年7月27日(日)の午後、東北福祉大学(仙台市)で第一種伝送交換主任技術者を受験しました。4科目のうち「システム」は他資格により免除、「法規」と「設備」は前回(平成14年度第2回)に科目合格していますので、今回は「専門」だけの受験(100分間)となりました。「専門」は今回も「無線」を選択しました。受験対策として日本理工出版会の『2003年版 電気通信主任技術者試験全問題解答集 専門編』を購入しました。この本は6,000円もします。13年越しの恋を必ず実らせたい・・・・・・と意気込んで準備学習しました。「専門」に限らず、この国家試験は過去問題の再出題率が低くて、受験者にとっては本当に辛いものがあります。今回も通信衛星の構造や無線LANなど、今まで一度も出題されたことがない内容が多くありました。 8月1日(金)、日本データ通信協会のホームページで公開された解答を見て自己採点しました。結果は予想以上の83点でした。 しかし、そのうちの20点近くは恐らく良い意味での勘によるものでしょう。最後の1分まで粘って出した答えです。ある程度まで内容を理解していなければ技術的な勘も働きませんので、思いを込めて勉強した甲斐がありました。8月27日(水)の午後、日本データ通信協会のホームページで試験結果を確認しました。結果は自己採点のとおり合格でした。マークシートの塗りつぶしに誤りがなくて本当に良かったです。奇しくも、この8月27日(水)は火星が地球に 最接近、しかも、6万年に一度という大接近をする日でした。 8月30日(土)、自宅に試験結果通知書が届きました。夢ではなく本当に「合格」でした。久しぶりに深い達成感を味わいました。翌日、資格者証交付申請書を東北総合通信局あてに郵送しました。9月6日(土)、念願の資格者証が自宅に届きました。合格して急に気が緩んだのでしょうか、ここ数日は風邪気味で体調が良くありませんでした。 総務省が公表した今回の実施結果によると、第一種伝送交換主任技術者の合格率は18.9%でした。ここ2〜3年では最も高い合格率のようです。しかし、競争率とか合格率で資格の価値が決まる訳ではありません。 |
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今回の合格は私にとって戦略的な価値が非常に大きいです。第一種伝送交換主任技術者の資格者証があれば、無線従事者国家試験の2科目(「無線工学の基礎」と「無線工学A」)が免除になるばかりでなく、工事担任者試験の2科目(「電気通信技術の基礎」と「端末設備の接続に関する法規」)も免除になるからです。
電気通信事業法の改正に伴い電気通信主任技術者規則も改正されました。平成16年度からの電気通信主任技術者試験では、従来の第一種伝送交換主任技術者と第二種伝送交換主任技術者の資格は、「伝送交換主任技術者」という資格に一本化されました。従来の第二種伝送交換主任技術者は監督の範囲が第一種伝送交換主任技術者に完全に含まれたからです。ただし、もうひとつの線路主任技術者は従来どおりとなりました。
次は線路主任技術者の資格者証を狙います。既に第一種伝送交換主任技術者の資格者証がありますので、「システム」と「法規」は免除となります。残る2科目(「設備」と「専門」)を攻略するだけで済みます。ただし、同じく「設備」と言っても、線路主任技術者の場合は伝送交換設備ではなく線路設備です。また、同じく「専門」と言っても、第一種伝送交換主任技術者の場合とは違い、「通信線路」、「通信土木」、「水底線路」の3科目からひとつ選択します。私は「通信線路」を選択するつもりです。
平成12年5月21日(日)の午前中、仙台市の東北電算機専門学校(旧称:現在の東北電子専門学校)でアナログ第3種を初めて受験しました。実は、公立高等学校に勤めるようになって初めて受けた国家試験でもありました。結果ですか? 晴れて初陣を飾ることができました。勤務先で私が受け持ったクラス(3年生)は前年11月、東北福祉大学(仙台市)で団体受験しました。生徒が卒業してから、遅ればせながら私も受験してみた次第です。自分のクラスの生徒が在籍している間は、自分も一緒に受験したいとは思いませんでした。
平成14年11月17日(日)の午後、東北福祉大学(仙台市)でデジタル第1種を受験しました。修学旅行に引率として出発する2日前です。「基礎」、「技術」、「法規」の3科目のうち、「基礎」は無線従事者免許証により免除となりました。「法規」は前回までの試験問題と大差ありませんでしたが、「技術」はADSLやATM(銀行のATMのことではありませんよ!)など最新の技術動向が多く含まれていて、私も意表を衝かれて困惑しました。修学旅行から戻った日、日本データ通信協会のホームページで 公開された解答を見て自己採点しました。その結果、「技術」は76点、「法規」は88点でした。なお、試験当日、山形駅で仙台行きの電車を待っているとき、平成14年3月の卒業生(電子工学科)に会いました。実は彼も行き先は同じで、デジタル第3種の再々チャレンジということでした。
12月18日(水)、日本データ通信協会のホームページで試験結果を確認しました。受験番号と生年月日を入力して検索したところ、結果は合格でした。12月21日(土)、試験結果通知書が自宅に届きましたので、翌日、さっそく資格者証交付申請書を東北総合通信局に郵送しました。12月26日(木)の夜、帰宅したら工事担任者資格者証が届いていました。申請してから交付されるまで約1ヶ月かかるという話でしたので、驚いてしまいました。交付年月日が平成14年12月24日となっていました。私にとってはクリスマスプレゼントです。東北総合通信局の粋(いき)な取り計らいに感謝したいです。
どうやって試験勉強したかって? アナログ第3種の場合は、勤務先の授業で生徒に教えていましたので、いつの間にか自然に覚えました。デジタル第1種の場合は、電気通信振興会の月刊誌『電波受験界』に掲載されている過去問題を解くことから始めました。実は、私は平成10年の夏から『電波受験界』を定期購読していま した。この雑誌は主として無線従事者国家試験を対象とするものですが、工事担任者試験の問題と解答も掲載されます。もちろん、解いている間に不明な事項が次々に登場します。それはリックテレコムの「わかる図解テキスト」シリーズやインターネットの検索エンジンで調べて理解しました。自分なりに寸暇を惜しんで勉強したつもりです。
ところで、工事担任者とは有線電気通信(最も身近なもので言えば電話)の工事を担任する者という意味です。いつのことだったか、私は勤務先の職員に「工事担任者試験があるのだから、学級担任者試験があってもいいのでは?」などと冗談を言ったことがあります。我ながら駄洒落もいいところです。
デジタル第1種はアナログ第3種の工事範囲を含みます。私が次に工事担任者試験を受けるとすれば、アナログ第1種かアナログ第2種ということになります。アナログ第1種とデジタル第1種の両方を取得すれば、端末設備等(端末設備又は自営電気通信設備)の接続に関してはすべての工事範囲を扱うことができます。総務省が公表した今回の実施結果によると、デジタル第1種 の合格率は14.7%でした。これは科目合格による2科目受験や1科目受験の人を含めた合格率ですから、一度に3科目すべてに合格できた人の割合はさらに低いことになります。
平成15年5月18日(日)の午後、東北電子専門学校(仙台市)でアナログ第2種を受験 しました。実は、デジタル第3種を団体受験する勤務先の生徒(3年生)を引率する予定だったので、デジタル第3種と同じ時間帯のアナログ第2種を選んだのでした。ところが、 3月に人事異動の内示があり、別の工業高校に転勤となりました。転勤と分かっていたらアナログ第1種を選んでいたものを・・・・・。しかし、アナログ第1種は難しいので、その予備段階としてアナログ第2種を受験することになって 結果的に良かったのかもしれません。なお、試験会場を出るとき、正面玄関で前任校の生徒2名(実は2年生まで私が担任したクラスの生徒)と会いました。
5月23日(金)、日本データ通信協会のホームページで公開された解答を見て自己採点しました。その結果、「技術」は84点、「法規」は96点でした。「基礎」は他資格により免除でしたので、今回も2科目受験(80分間)でした。マークシートの塗りつぶしを誤っていなければ、まず合格は間違いないでしょう。しかし、試験当日は気分がすぐれなかったので、あるいは間違えて塗ったものがあるかもしれません。今回は、リックテレコムの『2003春・秋 アナログ2種過去問と大予想』という本で断続的に試験勉強していました。
6月18日(水)の午後、日本データ通信協会のホームページで試験結果を確認しました。結果は自己採点のとおり合格でした。6月23日(月)、待ちくたびれた試験結果通知書が自宅に届きました。その日のうちに資格者証交付申請書を東北総合通信局あてに郵送しました。 6月28日(土)、工事担任者資格者証が自宅に届きました。これで工事担任者は残すところアナログ第1種だけになりました。アナログ第1種とデジタル第1種の両方を取得すれば、アナログ・デジタル総合種を取得したのと同等になります。
次回(11月)で工事担任者試験は卒業したいものと思っていました。7月27日(日)の電気通信主任技術者試験で第一種伝送交換主任技術者に合格できましたので、その資格者証が交付されればアナログ第1種は2科目(「基礎」と「法規」)が免除対象となり、次回は「技術」に科目合格するだけで合格となります。でも、ちょっと精神的に疲れてしまいました。
平成15年11月16日(日)の午前中、東北福祉大学(仙台市)でアナログ第1種を受験しました。 試験申請書を提出する時点ではまだ第一種伝送交換主任技術者の資格者証が届いていなかったので、今回は2科目免除とはならず、「技術」と「法規」の2科目受験(80分間)となりました。今回は、リックテレコムの『2003秋季 アナログ1種実戦問題』という本で3〜4週間、集中的に試験勉強しました。半年前にアナログ第2種を受験していたので、ある程度、土台は出来ていたからです。「法規」は本当に復習という感じでしたが、さすがに「技術」はアナログ第2種よりは少し難しかったです。過去に出題されたことがないと思われるものが3〜4題ありました。
11月21日(金)、日本データ通信協会のホームページで公開された解答を見て自己採点しました。その結果、「技術」、「法規」ともに88点でした。まるでスロットマシンのように、末広がりのめでたい数字(八)が出揃いましたね。 12月17日(水)、日本データ通信協会のホームページで試験結果を確認できるようになりましたので、さっそく受験番号と生年月日を入力して確認しました。結果は自己採点のとおり合格でした。12月22日(月)、試験結果通知書が自宅に届きました。翌日、資格者証交付申請書を東北総合通信局に郵送しました。翌年1月9日(金)、待ちに待った工事担任者資格者証が自宅に届きました。総務省が公表した今回の実施結果によると、アナログ第1種の合格率は38.3%でした。デジタル第3種に比べて大幅に合格率が高いのは、アナログ第1種の場合は入門者や冷やかし受験者が少ないからです。
遂にアナログ第1種とデジタル第1種の両方を取得することが出来ました。工事担任者試験の双壁を登り終えたという感じですね。アナログ・デジタル総合種はどうなのかって? アナログ・デジタル総合種の試験区分はありますが、内容的にはアナログ第1種とデジタル第1種を併せたものがアナログ・デジタル総合種なのです。もちろん、アナログ第1種とデジタル第1種の資格者証が 両方あれば、アナログ・デジタル総合種の資格者証を申請することも出来ました。しかし、私はアナログ第1種とデジタル第1種の両方に合格できたことだけで十分に満足していま した。
IP化の進展に伴う電気通信回線設備及び端末設備の変化・発展を受け、平成17年 4月22日、工事担任者規則の改正省令が公布されました。その中で工事担任者資格制度も改正され、資格者証の名称も、従来のアナログ種は「AI種」、デジタル種は「DD種」となりました。平成17年度第2回(11月)の試験から新しい試験制度が実施されました。
平成19年7月下旬、アナログ第1種とデジタル第1種の資格者証によりアナログ・デジタル総合種の資格者証交付を東北総合通信局に申請しました。実は、この申請は平成19年10月1日(月)までしかできなくなったからです。8月16日(木)、自宅にアナログ・デジタル総合種の資格者証が届きました。アナログ・デジタル総合種の資格者証があれば、新制度のDD第1種の「技術」に科目合格するだけで、新制度のAI・DD総合種の資格者証交付を申請することができます。
平成19年11月25日(日)の午後、東北電子専門学校(仙台市)でDD第1種の「技術」を受けました。1科目受験なので、試験時間はたった40分間です。工事担任者試験に挑戦するのは、実に4年ぶりのことです。 手応えですか? 今回は今までになく苦戦しました。とにかくボーダーライン(正答率60%)を突破してくれれば・・・・・・と願っていました。こんな他力本願なことを思ったのは、確実に答えられた問題が半分とちょっとしかなかったからです。今回はさすがに不合格を覚悟しました。
11月28日(水)、日本データ通信協会のホームページで公開された解答を見て自己採点しました。その結果は64点でした。こんなに心細い思いをしたのは久し振りのことです。マークシートの塗りつぶしに誤りがないことを祈っていました。12月17日(月)、日本データ通信協会のホームページで試験結果を確認できるようになりましたので、さっそく受験番号と生年月日を入力して確認しました。結果は自己採点のとおり合格でした。12月22日(土)、試験結果通知書が自宅に届きましたので、その日のうちにAI・DD総合種の資格者証交付申請書を東北総合通信局に郵送しました。翌年1月19日(土)、資格者証が自宅に届きました。実は、その前日、待ちくたびれて東北総合通信局に問い合わせたのでした。それによると、今回は交付申請者がいつになく多くて、資格者証の発送処理に時間がかかったということでした。
今回の準備学習は、リックテレコムの『2007秋 DD1種実戦問題』という本で行いました。ただし、その「技術」の部分だけです。実は、準備学習は自宅で机に向かってではなく、市立図書館(山形市、上山市、天童市)や公園の駐車場に自家用車を駐車して運転席に座ったままで行いました。運転席での勉強が終わったら、市立図書館に入って雑学というパターンです。それにしても、情報通信の世界は進歩が速いですね。聞いたこともない用語が出て来るので、適当な解説書としてオーム社の『電気通信工事担任者DD種試験対策 [改訂2版]』という本を購入して、理解の定着に努めました。私自身を含めて普通の人間は、このような国家試験を受ける機会でもないと、必死になって新しいことを吸収する気など起きないのかもしれません。
「工事担任者スキルアップガイドライン(平成19年度版)」に基づいて、工事担任者の資格者証を取得した者に対して「情報通信エンジニア」という新しい認定資格の制度が設けられ ました。情報通信の世界は進歩が速いので、常に最新の知識・技術を身に付ける必要があるからです。「情報通信エンジニア」の資格者証を取得すると、年1回、スキルアップの研修をしなければなりません。平成20年1月23日(水)、情報通信エンジニア資格者証交付申請書を日本データ通信協会に郵送しました。私の場合、AI・DD総合種の資格者証がありますので、申請したのは「ホーム」でなく「ビジネス」の方です。2月9日(土)、情報通信エンジニア登録証(B5判)と情報通信エンジニア資格者証(カード)が自宅に届きました。
平成20年12月4日(木)、日本データ通信協会から情報通信エンジニア更新研修用教材が自宅に届きました。『2009情報通信エンジニア更新研修テキスト』を読んで、更新研修レポート(ビジネスは6問)を作成しました。手書きです。 私の場合、最近は手書きなどほとんどしていないので、貴重(それとも希少?)な体験でした。平成21年1月22日(木)、更新研修レポートを情報通信エンジニア資格者証継続交付申請書とともに日本データ通信協会に郵送しました。実は、この更新研修は無料でなく、「ビジネス」の場合、6,000円も支払わなければなりません。受け止め方によっては面倒くさい感じもします。しかし、情報通信エンジニアは最新の技術・知識を修得していることの証明ですから、前向きに受け止めれば、研修できることは本当に有り難いことです。 1月27日(火)、日本データ通信協会から「【重要】 情報通信エンジニア資格更新認定のお知らせ」という件名の電子メールが届きました。2月18日(水)、情報通信エンジニア資格者証 (カード)が自宅に届きました。ただし、カードの色は、2008年は緑色だったのに対して、2009年は橙色になっていました。
【 VoIP認定技術者 】
平成16年10月1日(金)〜2日(土)、早稲田13時ビル(仙台市)でVoIP資格取得講座を受けました。本当は9月30日(木)から3日間なので すが、9月30日(木)は学校業務の都合により休みが取れず、2日目の10月1日(金)から出席したのです。情報通信設備協会が主催する講習会で、講師はNTT−MEの方でした。VoIP認定技術者資格にはVoIPアドバイザ、VoIPデザイナ、VoIPコンストラクタの3種類があります。今回の講習会はVoIPアドバイザを目標とするものです。テキストとしてはリックテレコムの『図解 IP電話標準テキスト』を使用しました。電気通信主任技術者と工事担任者の資格取得のため学習した土台があるとは言え、VoIPは最新の技術なので私も理解するのが大変です。VoIPアドバイザの資格認定を得るためには、後日、改めて試験を受けなければなりません。
率直な感想としては、実際に本格的に仕事としてVoIP(Voice over Internet Protocol)を扱おうとすると、かなり大変になりそうだということです。昼休みと中休みがあったとは言え、午前9時から午後5時まで講師の話を聴いているのも楽ではありませんでした。しかし、自分の知らない世界がまだまだ世の中にはあるということを 改めて気付かせてくれた講習会でした。ただし、今もって認定試験の方は受けていません。
電気主任技術者、この資格は社会の産業基盤を支える電気設備の取り扱いに関わるもので、電気関係の仕事(教職を含む)に従事する者にとって無視できない存在です。私自身、平成2年4月から工業高校で電気・電子の教員として勤務した者として、勤務20周年記念(平成22年度)までには少なくとも第三種は取得したいと考えています。
第三種電気主任技術者(いわゆる電験三種)は、内容的には工業高校(電気科)を卒業している程度とされています。しかし、電験三種に限らず、この「高校卒業程度」というのが何とも曲者でして、改めて国家試験を受けるとなると容易には合格できないものです。とは言え、工業高校の電気科でまともに勉強した土台があれば、その上で試験勉強するのは確かに容易だと思います。
電気・電子の教員として考えた場合、電験三種よりは第一級陸上無線技術士の方が価値は高いと私は思います。実際、第一級陸上無線技術士を持っていれば無線従事者講習会の講師になれるばかりでなく、高等学校教諭一種免許(工業)を取得する道も開けます。しかし、電験三種では講習会の講師にもなれません。
ここで、電験三種の価値に対する認識のズレを示すエピソードを紹介します。ある日、勤務先の教材管理室に管理職が来て、電験三種を持っている職員に、「生徒を指導して何とか電験三種の合格者を本校から出せないものですか」と話しかけたことがありました。そしたら、その職員は、「名選手が名監督とは限りませんので・・・・・・」とか述べました。それに対して管理職は、「だって、高校卒業程度でしょう?」と言い返しました。高校卒業程度の電験三種を持っていることが名選手なのか・・・・・・と思うと、何となく滑稽であることは確かですね。
私が「電験三種」という言葉を初めて耳にしたのは、海上自衛隊に在籍していたとき、同じ事務所で勤務している先輩の職員からだったように記憶しています。彼は「電験三種を取ったら、ここ辞めるよ」とか冗談半分に私に言っていました。そんなことがあったものですから、私は書店で電験三種の問題集を立ち読みしたことがありました。あの当時の私は、正直のところ、電験三種は馴染みにくい試験だなという印象を受けました。
平成16年になってから電気書院の月刊誌『工事と受験』を購入して私も少しずつ準備するようになりました。電験三種の出題内容であれば、勤務先にある『電力技術』、『電気機器』 、『電力応用』などの教科書が大いに参考になります。検定済み教科書は基礎事項を漏れなく網羅しており、それなりに価値があります。
「少しずつ準備する」のつもりでいたものの、結局、3年間は本気で準備しませんでしたし、実際に受験もしませんでした。私の心には電験三種を欲しいという思いがあまり湧いて来なかったのです。また、平成12年以来、電気通信主任技術者(第一種伝送交換主任技術者に2回で合格)を除いて国家試験では無敗でしたので、中途半端な準備状態で受験して不合格になりたくないという用心深さ(?)があったと思います。しかし、改めて考えてみれば、何も90点を取らなくても60点で科目合格できるのです。変な完璧主義は捨てて、「最終目標は何なのか」ということを原点に据えて邁進するべきでした。
そこで、平成19年8月からは勉強方法をもう少し工夫しました。最初からがむしゃらに過去問題に取り組んでも、捉えどころがないように思えたからです。先ず、弘文社の『プロが教える ! 電験3種受験対策』という本を通読して、試験範囲の大まかなイメージを把握しました。それに引き続いて、同じく弘文社の『プロが教える! 電験3種重要問題集』を精読して、具体的にどんなことに着目して勉強すればよいのか吸収しました。家庭教師に付いて学習しているような感覚で、なかなか分かりやすい本です。その反面、これまで自分が工業高校の電気系学科で教員をして来て、こんな重要なことも知らなかったのかと感じさせられたこともありま した。なお、この本の著者は「電気と資格の広場」というホームページを開設していますので、私も閲覧して情報交換しようかと思っています。
毎日、小単元ひとつずつ学習していると、何だか国家試験で「理論」、「電力」、「機械」、「法規」の4科目すべてに一度で合格できそうな気になって来るから不思議です。いや、ある意味では、このように素直に錯覚することが大切なのです。この錯覚が現実のものになるように努力を継続したいです。
平成21年9月6日(日)、仙台保健福祉専門学校(仙台市)で第三種電気主任技術者を受けました。今回は、インターネットで電気技術者試験センターに受験を申し込みました。試験会場は泉区(旧泉市)にあり、JR仙台駅の近くではありません。往路は、山形駅から列車で北仙台駅まで(950円)、北仙台駅で仙台市地下鉄南北線に乗り換えて泉中央駅まで(240円)、泉中央駅前から宮城交通の臨時バス(370円)で試験会場までです。復路は、試験会場から宮城交通の路線バスで泉中央駅前まで(370円)、泉中央駅から仙台市地下鉄南北線で仙台駅まで(290円)、仙台駅前から高速バスで山形駅前まで(900円)です。今回、私は仙台市地下鉄に初めて乗りました。私が大学生の頃は、仙台市内には路面電車はあっても地下鉄はありませんでした。
第二種電気工事士の技能試験が終って間もない時期に受けたので、直前の準備学習が不足したことは確かです。そこで今回は、少なくとも1科目、できれば2科目に合格できれば上出来ということで、悲壮感を持たず、「駄目で元々」の気持ちでチャレンジしました。今回の対策としては、電気書院の『平成21年版電験第3種過去問題集』という本で4科目のうち「理論」と「法規」に絞って問題演習しました。前年度まで過去10年間に出題された問題ですが、「法規」の場合はそれでも足りない感じがしました。
試験時間は、「理論」、「電力」、「機械」がそれぞれ90分間、「法規」が65分間です。今回は、1時限目の「理論」と4時限目の「法規」は、準備学習を無駄にしたくなかったので、中途退室しないで最後まで粘りました。ただし、「法規」は65分間と短いため、最初から中途退出禁止でした。それに対して、2時限目の「電力」と3時限目の「機械」は、準備学習をしていないので、準備しなくても解ける問題だけを解いて中途退室しました。
電気主任技術者試験では、他の多くの国家試験と違って、試験中に電卓を使用できます。ただし、同じ電卓と言っても、関数キー(√を除く)やプログラム機能を持つ電卓は使用できません。私はカシオ計算機の電卓(MW-10A)を購入して、今回の試験に臨みました。
9月7日(月)、電気技術者試験センターのホームページで公開された解答を見て自己採点しました。その結果、「理論」、「電力」、「機械」、「法規」の順に、85点、55点、40点、74点でした。すべて100点満点です。「理論」と「法規」は、マークシートの塗りつぶしに誤りがなければ、計画どおり合格していると思います。「機械」の40点は今の段階ではそんなものでしょう.。「電力」は、解いてマークシートを塗りつぶした11問がすべて正解でしたので、解かなかった残り9問に対して勘でマークシートを塗りつぶしていたら、あるいは5点とか10点とか積み上げられていたかもしれません。
10月20日(火)、電気技術者試験センターのホームページに「平成21年度第三種電気主任技術者試験結果について」というプレス発表資料が掲載されました。それによると、今回の合格基準点は、「理論」、「電力」、「機械」、「法規」の順に、53.90点以上、55.00点以上、49.17点以上、55.00点以上と決定されました。ということは、マークシートの塗りつぶしに誤りがなければ、「理論」と「法規」ばかりでなく、「電力」も合格していることになります。10月 30日(金) 、自宅に試験結果通知書が届きました。それによると、予想したとおり、「機械」を除く3科目が合格でした。マークシートの塗りつぶしに誤りがなかったようです。「電力」は皮一枚残してどころか、きっちり最低点で合格です。無線従事者、電気通信主任技術者、工事担任者、電気工事士のように私がこれまで受けて来た国家試験では、試験が行われる前に合格基準点が公開されます。ところが、この電気主任技術者の場合は、試験が終わって採点してから、全体の出来具合を見て合格基準点を定めるようになっています。もっとも、いくら全体の出来が良くても、正答率60%を超えるような合格基準点にはしないようですが・・・・・・。科目合格は2年間有効です。すなわち、今回の試験で合格した3科目については、平成23年度の試験まで有効ということになります。
私が電気工事というものに初めて触れたのは、公立高等学校(工業高校)に勤務するようになってからです。具体的には、平成2年度に米沢工業で電気科の常勤講師として臨時勤務させていただいたとき、2年実習に「電気工事」という実習項目があり、主担当のベテランの実習助手に付き従って補助をしたのが初めての経験です。この頃は、電気科の2年生全員が第二種電気工事士を受験することになっていました。
平成3年度からの勤務先(長井工業電子科)では、電気工事を担当したことはまったくありませんでした。私が在籍した6年間では、「電気工事」という実習項目はあっても、電気工事士の国家試験を受ける生徒はクラス全員ではなく、ほんの一部の希望者だけだったからです。 長井工業に勤務している期間は、電気工事士については私自身、まったく関心がありませんでした。
平成9年度からの勤務先(東根工業電子制御科・電子工学科)では、途中までは電気工事士の国家試験を受ける生徒はクラス全員ではなかったのですが、途中から学科改編され、電子工学科の2年生全員が第二種電気工事士を受験することになりました。そのため、私も筆記試験の受験対策を担当する職員のひとりになりました。 この頃になると私も公立高等学校(工業高校)の勤務にも慣れて来て、「ひとつ何か電気・電子関係の国家試験にでも挑戦してみよう」という気持ちが湧いていたのでしたが、電気工事士には ほとんど目が向かず、無線従事者、電気通信主任技術者、工事担任者など、 専ら電気通信関係の国家試験に目が向いていたのです。そのような中で、同じ学校にある機械システム科の職員2〜3名から「きし先生は電気工事士を持ってない」とか「私も電気工事士の試験を受けてみようと思っているんです」とか、それとなく皮肉られたこともありました。
平成15年度からの勤務先(教諭として再び米沢工業)では、電気系の1年生全員が第二種電気工事士を受験することになっていました。そのため、前任校と同じく私も筆記試験の受験対策を担当する職員のひとりになりました。ただし、学校で学習するのと就職して仕事をするのはまた別のようでして、電気工事会社に就職したものの電気工事の仕事とか職場環境が自分の肌に合わなくて2〜3ヶ月で退職してしまった卒業生もいました。
ところが、私自身は技能試験の受験対策を担当した経験がなく、第二種電気工事士を受験したことすらありませんでした。ということで、私にとって電気工事士はまだまだ開発途上の分野なのです。また、たとえ電験三種を取得できたとしても、電気工事士がなければ頭でっかちになってしまいますので、いずれにせよ避けて通れないものです。しかし、正直なところ、私自身は電気工事 だけで生計を立てたいという気持ちは起こりませんね。
平成21年6月7日(日)の午後、東北福祉大学ステーションキャンパス(仙台市)で第二種電気工事士の筆記試験を受けました。試験会場は、JR仙山線の東北福祉大前駅から徒歩0分、すなわち、駅の改札からキャンパスの玄関まで50メートルもありません。今回は、インターネットで電気技術者試験センターに受験を申し込みました。とうとう私も動き出しました。ところが、試験の一週間ほど前から風邪を引いてしまい、試験の前日まで体調が良く なく、試験当日も少しだるい感じでした。試験が終ってからも数日間、風邪が治りませんでした。ただし、新型インフルエンザではないようです。
試験時間は2時間で、開始から1時間を経過すると退室できましたが、私はじっくりと粘って全問(50問)に取り組み、結局、終了15分前に退室しました。手応えですか? 勉強した甲斐があったというのが正直な感想です。退室してからエレベータの中で同室で受験した年配の方とお話しました。その方の話によると、電気工事士の資格を持っている親戚から「簡単だから 気楽に受けてみろ」と言われて受験したのだそうですが、思ったより出来が良くなかったということでした。確かに、きちんと準備して臨めば容易に合格できる筆記試験ですが、逆に、安易な気持で受験しても合格でき るものではありません。
今回の筆記試験対策としては、オーム社の『2009年版第二種電気工事士筆記試験標準解答集』という本で少しずつ勉強しました。また、電気書院のホームページに第二種電気工事士筆記試験[模擬試験]無料プレゼントと出ていたので、自宅に郵送してもらって最後のまとめに解いてみました。 こんなことも分からないで公立高等学校(工業高校)の電気系学科でよく勤務して来たものだと、我ながら冷や汗をかいてしまいそうな学習内容もありました。
6月8日(月)、電気技術者試験センターのホームページで公開された解答を見て自己採点しました。その結果、94点(50問中47問正解)でした。間違った3問は、いずれも後半の「問題2.配線図」にあるものでした。7月6日(月)、電気技術者試験センターのホームページで筆記試験の結果を確認できるようになりましたので、さっそく筆記試験の受験番号を入力して確認しました。結果は自己採点のとおり合格でした。マークシートの塗りつぶしに誤りがなくて良かったです。7月11日(土)、自宅に筆記試験の試験結果通知書と技能試験の受験票が届きました。筆記試験と技能試験では受験番号が違います。
平成21年7月25日(土)、サンフェスタ(仙台市)で第二種電気工事士の技能試験を受けました。いつものとおり、往路は列車で山形駅から仙台駅まで (1,110円)、復路は高速バスで仙台駅前から山形駅前まで(900円)です。仙台駅前と試験会場の間は、仙台市営バス(片道240円)で往復しました。この日は、私たち受験者のために臨時バスを出してくれました。試験そのものは、午前11時半から40分間です。今回は、候補問題のNo.6が出ました。自分としては取り組みやすい問題でしたので、時間内に余裕を持って完成することができました。しかし、自分で気付かないでミスを犯している可能性もあるので、結果は発表される日まで何とも言えませんでした。
9月4日(金)、電気技術者試験センターのホームページで技能試験の結果を確認できるようになりましたので、さっそく技能試験の受験番号を入力して確認しました。結果は合格でした。9月10日(木)、試験結果通知書が自宅に届きました。 翌11日(金)、免状交付申請書を山形県庁3階の総務部総合防災課まで持参して、消防・保安担当に提出しました。 9月18日(金)、第二種電気工事士免状が自宅に届きました。免状と言っても、工事担任者の資格者証と同じく、紙片に顔写真を貼ったものにラミネート加工を施したカードです。
今回の技能試験対策としては、受験を申し込んで間もなくしてから、オーム社の『2009年版第二種電気工事士技能試験公表問題の合格解答』という本を購入してイメージトレーニングしていました。また、電気書院から「第二種電気工事士工具セット」と「平成21年度第二種電気工事士候補問題チャレンジ体験パック」を購入して、技能試験に対して心の準備をしていました。端から見れば、「取らぬ狸の皮算用」です。筆記試験の合格が判明してからは、自宅で「平成21年度第二種電気工事士候補問題チャレンジ体験パック」の材料を用いて13個の候補問題をすべて練習しました。
しかし、自分ひとりで技能試験の練習をしても自己満足に陥る恐れがあります。そこで、筆記試験の自己採点が済んでから、山形県電気工事高等職業訓練校(山形市)に行って第二種電気工事士技能試験直前講習の受講を申し込みました。この直前講習は、山形県電気工事工業組合の会員企業に属さない一般人を対象とするもので、7月11日(土)と18日(土)の2日間、7時間ずつ行われました。材料は訓練校から支給されますが、工具セットは自分のものを持ち込みです。私の工具セットの中にワイヤーストリッパーがあり、ケーブルのシースを剥ぎ取ったり、絶縁電線の芯線を出したりできます。しかし、この工具ではケーブルのシースをきれいに剥ぎ取れません。そこで、VA線ストリッパーという工具(ホーザン製 P-956)を講師の勧めで訓練校から購入しました。これは電気工事士試験専用の工具とかで、実際、きれいにケーブルのシースを剥ぎ取ることができました。このような講習に参加して指導を受けると、少なからず自信が付きますね。ただし、講師の話によると、慣れて来たばかりのときが一番、平凡なミスを犯し易いとのことです。確かにそのとおりです。
平成18年度から電気工事士試験の技能試験では、電気技術者試験センターがいくつかの候補問題を提示して、その中から出題されるようになりました。すべての候補問題をひととおり練習すると、電気工事のエッセンスを漏れなく吸収できるようになっている感じです。それに、受験者にとっては、何が出題されるか分からず不安に駆られることもないので、精神衛生の面でもありがたい方式です。
第二種に合格したら、次は第一種を狙うのが普通です。第一種を受験するに際して資格制限は特にありません。しかし、たとえ第一種の試験に合格したとしても、実務経験がなければ第一種の免状交付申請をすることができないのです。私の場合、大学の工学部を卒業しているとは言え、卒業学科が応用物理学科(電気工事士法で定める課程でない)なので、実務経験として5年も必要です。ということで、平成21年度は電気工事技術講習センターの「認定電気工事従事者認定講習」を受講してみようかと思っています。この認定講習を修了すれば、第二種の免状があって実務経験が足りなくても、自家用電気工作物( ただし、最大電力500kW未満の需要設備)の電気工事のうち、簡易電気工事(電圧600V以下で電線路を除く部分)に従事することができるからです。
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私が実用英語技能検定2級(いわゆる英検2級)に合格したのは昭和55年のことで、その頃、私は海上自衛隊に在籍していました。海上自衛隊は創設の頃から米国海軍との関係が緊密だったので、どうしても英語は無視できないのです。ただし、現代は国際化の時代とは言っても、日常生活で実際に外国語を使う必要に迫られることなどほとんどありません。しかし、私は頭の体操に外国語を勉強するのが好きです。現在、英語以外の外国語を暇を見つけては勉強しています。それについては検定も実施されていますが、今の段階では検定を受けられるレベルに達していないようです。いつか4〜5級レベルの検定に合格できるようになりたいです。 外国語は小学校から学校教育で学習する必要はないと思います。本当に外国語が必要な人間は自分から進んで学習して覚えるという性質のものではないでしょうか。必要な人間も必要でない人間も同じ土俵で扱うから面倒なことになるのです。それにしても、世の中には信じられないほど外国語を上手に覚える人がいるものです。このような個人差はどこから来るものなのでしょうか。外国語で日記をつけると外国語が上達するとよく言われます。いつか余裕があったら、日記ではなく自分のホームページで外国語版のWebページでも作成してみたいですね。 山形県の公立高等学校では20年近く前から外国語指導助手を利用して英語によるコミュニケーション能力を向上させようとしているようです。しかし、費用対効果から考えて果たしてどの程度まで期待できるものなのか私は疑問です。もっとも、私は費用( 国や県の予算)を心配する立場ではありませんが・・・・・・。それよりも、外国語指導助手が心の中では英語文化圏の優越性を自負して日本に天下って来たつもりでいるように見えるのは、私個人の僻みでしょうか? 日本人が欧米人の頭髪を真似て着色・脱色している姿を見て、彼らは心の中でせせら笑っているような気がします。 |
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現在、英語は世界共通語のような存在になっています。どうしてそうなったのか? それは英国の植民地主義によるものです。英国ばかりでなくポルトガル、スペイン、オランダ、フランスなど他の欧州列強も植民地主義に走りましたが、最終的に英国が広大な領土ばかりでなく戦略的な要衝も掌握したからです。米国が英国から独立してからは、米国も領土拡張に向かいました。ただし、英語が世界の中心言語になったのは、ここ100年余りのことです。
世界史が西欧史を中心に展開して来たように見えるのは、西欧諸国が主としてキリスト教を中心とする国家だったからです。西欧諸国のいわゆる白人(彼らの自称)が人種的に優れていたからではなく、ただ単に彼らの国がキリスト教を国教にしていたという一点だけによるものです。喩えてみれば、平原一帯に花粉を運ばせるため自然が蜜蜂を繁殖させたようなものです。要するに、花粉とはキリスト教のことです。しかし、米国を含めてキリスト教を中心とする国家の白人は、自分たちも異教徒と同じく罪人(キリスト教で言うところの「つみびと」)に過ぎないということを忘れていたのです。これは致命的な盲点でしょう。 中世の十字軍遠征や近代西欧の植民地主義などは、その良い例でしょう。また、南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸において先住民を虐殺・抹殺したり、西アフリカから南北アメリカ大陸まで黒人を船で運んで奴隷貿易したり、彼らはキリスト教徒の仮面を被って盗賊行為を行いました。これはナチスによるユダヤ人の大量虐殺に優るとも劣らない「人道に対する歴史的な大罪」です。これについては、清水馨八郎氏の『侵略の世界史 この500年、白人は世界で何をしてきたか』という著書で詳しく述べられていますので、興味のある方は読んで下さい。祥伝社から祥伝社黄金文庫として出版されています。
私が英語を習ったのは中学校に入学してからです。学校の授業と並行して、ラジオのNHK第2放送で1年生のときは「基礎英語」、2年生のときは「続基礎英語」を聴講するように指導を受けました。英語を少し身に付けると、誰でもそれを何かで使いたくなるものです。中学校時代にあった苦いエピソードを紹介します。3年生のとき私は2クラスのうち片方の学級委員長になりました。年度初めにクラスの掲示物を作成することになりますが、当然、その中にクラスの時間割がありました。それを担当したのは副委員長の女子生徒でした。ところが、彼女は授業科目名を英語で記入し始めました。私は「何も英語で記入する必要はないのでは?」と彼女に言いつつも、「まあ、いいだろう」ということで黙認しました。そこまでは良かったのですが、彼女は「国語」の所を“LANGUAGE”と記入したのです。本当は“JAPANESE”ですよね! 彼女にそのことを伝えても、彼女はそれを撤回しようとはしませんでした。私は学級担任や英語の先生にもそのことを確認したのですが、残念ながらまともに取り合ってくれませんでした。今でもときどき悪夢のように思い出す苦い思い出です。
大学の教養部時代に、私は英語、ドイツ語、フランス語それぞれ8単位ずつを修得しました。評定はすべて「A」でした。その頃は私の頭脳もまだまだ柔軟で、新しいことをどんどん吸収できたのです。自分なりに結構、まともに勉強したつもりです。また、海上自衛隊幹部候補生学校ではロシア語の最初歩を習いました。あの頃、ソビエト連邦(旧称:現在のロシア)は日本にとって仮想敵国でしたからね。その学習内容は、ロシア文字の読み方・書き方と簡単な会話(挨拶程度)です。私個人の感覚としては、英語の発音は素直な感じがせず好きではありません。むしろ、スペイン語やイタリア語のような母音中心の歯切れの良い言語が音感的には好きです。これはNHKのラジオ講座やテレビ講座で発音を聴いた印象からです。
最近、私はインターネットで外国語(ほとんど英語)の小説をダウンロードして読んでいます。世界中(大半は英語圏)のアマチュア作家が自作の短編小説を投稿して、私のような閲覧者が段階評定したり自由に作品ファイルをダウンロードしたりできるようなフリーサイトがあるのです。内容的には人物像の表現とか男女の心理描写など、日本の小説とはまた違った味わいがあります。アマチュア作品と言っても中には本当に感動してしまうような筋書きや文章表現もありますよ。しかし、小説の内容を読み取ることはできても、自分の心に思い描くイメージを相手の心に響くような文章で表現しようとすると日本語でも難しいですね。
余談になりますが、これらの小説を読むと、女性の美しさについて考えさせられますね。若さを除いたら何も残らないような女性と中年になっても美しさの映える女性との違いです。しかし、表面的な美しさだけなら虚しいものかもしれません。平成17年8月に『壬生義士伝』という映画がテレビで放送されていました。その中で、ある義士(佐藤浩市扮する斎藤一)が同僚の義士(中井貴一扮する吉村貫一郎)に自分の愛人を紹介して、酒を酌み交わしながら、「どうだ、醜女だろ。俺は美女は嫌いなんだ。所詮、人間なんて汚らしい糞袋(くそぶくろ)に過ぎんからな」と言っていました。私はそこまでニヒルになれないというか、達観(?)できませんが、一面の真理でしょうね。
大学生の頃までは、住む世界も考える視野も狭かったので、映画の女優や雑誌のモデルなどを見ると、何か欧米の女性 、その中でも特に、薄い色の髪や淡い色の目をした女性が日本の女性よりも美しいように思えたものです。しかし、それは日本の情報源が限られていただけでして、しかも、占領政策により日本の歴史とか伝統が軽く受け止められ、ほとんどの分野で 欧米崇拝のような社会状況だったからということもあります。大学卒業後、私は海上自衛隊に入隊し、遠洋練習航海で各国(と言っても限られていますが・・・・・・)の女性に接したりして、地球上には土地に応じてタイプの異なる美しい女性がいることを実感しました。それと同時に日本の女性の美しさにも改めて開眼しました。
最近、私は韓国語に興味を持つようになりました。それまで私は韓国語の独特な文字を見ると嫌悪感を持ったものでしたが、東根工業に勤務していたとき、修学旅行で引率職員として韓国を訪れたことを契機に、韓国の文化に対して親しみを感じるようになりました。その国の文化を知るには、その国の言葉を学習するのが一番なことは、どこの国の場合でも同じです。韓国語は、単に隣国の言葉というためだけでなく、将来は世界的に必要性が高くなると思われます。
ところで、今でこそ日本と韓国はスポーツとか文化の交流を通じてお互いを対等に認め合うようになりましたが、それまで日本人と韓国人はどうしてお互いに蔑み合っていたのでしょうか? このような疑問に対するヒントとして、関裕二氏の『日本を不幸にした藤原一族の謎』という著書があります。要するに、日本史の通説では「大化の改新」の功労者とされている中臣鎌足(藤原氏の祖)は、実は、唐と新羅の連合軍に敗れて滅亡した百済の王子・豊璋ではないのかという話です。物部氏、蘇我氏など古代豪族の話も出てきて、なかなか説得力のある面白い内容です。PHP研究所から出版されていますので、興味のある方は読んで下さい。
また、日韓併合(1910年〜1945年)を持ち出して日本を批判している韓国人が結構いますし、逆に、それを真に受けて罪悪感に苛まれている日本人もいます。確かに、日本が朝鮮半島に進出した動機は必ずしも清いものとは言えず、他国を犠牲にして自国の繁栄を図ることが本当の動機だったのかもしれません。しかし、結果的には、日本は当時の腐敗していた大韓帝国(李朝)を破壊して、ある意味では朝鮮半島に希望の光をもたらしたのです。朝鮮半島にしても台湾にしても、それまでの欧米列強であれば植民地を単なる搾取の対象 とし、愚民化政策(一般住民には識字教育さえ行わない)を施したでしょうが、日本は支配地を日本本土と同じように大切にインフラ整備し 、一般住民に少なくとも識字教育は行いました。日韓併合については、崔基鎬氏(加耶大学 校客員教授)の著書『日韓併合の真実 韓国史家の証言』が参考になります。本当に「目から鱗が落ちる」です。ビジネス社から出版されていますので、興味のある方は読んで下さい。
韓国の反日感情に関するものとして、もうひとつ、呉善花氏(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター主任研究員)の『「日帝」だけでは歴史を語れない 反日の源流を検証する』という著書があります。この本を読むと、どうして韓国の支配階級が日本を蔑んでいたのか、あるいは、蔑んでいるのかが分かります。それは、李朝時代の小中華主義に基づく日本蔑視観で、現代でも韓国と北朝鮮に亡霊のように憑きまとっているからです。三交社から出版されていますので、興味のある方は読んで下さい。
日本と韓国(北朝鮮も含めるべきか?)の間には、竹島(日本側の呼称:韓国側の呼称は「独島」)を巡る領土問題があります。この件に関してはいろいろ本が出版されていますが、内藤正中氏と朴炳渉氏の共著『竹島=独島論争
歴史資料から考える』 が最も公正な議論をしているように私には思われます。新幹社から出版されていますので、興味のある方は読んで下さい。
平成15年8月7日(木)〜8日(金)の2日間、日本船舶職員養成協会東北支部の塩釜海技専門学院(宮城県塩釜市)でボート免許講習(国家試験免除)を受けました。今回は2級小型船舶操縦士(5トン限定)のコースです。ただし、今回は学科だけの講習になりました。当初の予定では9日(土)〜10日(日)に実技を受講する予定だったのですが、台風10号が日本本土に上陸したため、塩釜湾での実技は8月16日(土)〜17日(日)に順延されたのです。8日(金)の夕方、学科修了審査(70分間)を受けてから山形に戻りました。気象現象ですから仕方ありませんね。
8月16日(土)〜17日(日)の2日間、 今度は実技の講習を同じく塩釜海技専門学院で受けました。要するに、出直しです。学科は少し余裕がありましたが、塩釜湾と松島湾での実技は臨機応変に行動しなければならず戸惑いました。発航前点検から始まり、解らん・係留、結索、方位測定、発進・直進・停止、後進、変針・旋回、連続旋回(蛇行)から人命救助、避航操船、離岸・着岸まで12時間の講習を受けました。私の教習艇(約1.5トンの滑走型船)には私を含めて3名の受講生が乗り込みました。もちろん、教官1名も付き添っていますよ。教習艇の操縦感覚に慣れるまで大変でした。海上交通(操船)は道路交通(自動車運転)とは違うということを今更ながら感じさせられました。
12時間の実技講習が終わってから実技修了審査(3名で1時間余り)がありました。実技修了審査が始まる頃から小雨がぱらつき始めましたが、操船と作業には支障ありませんでした。すべて終了して塩釜港に帰投する頃から本格的に降り出しました。審査は満点には程遠いものの、思ったより力を出し切れたと思います。ただし、真っ直ぐ後進できるようになることが今後の私の課題です。8月18日(月)、合否が発表されました。電子メールで塩釜海技専門学院に問い合わせたところ、何と「合格」という返信が届きました。9月5日(金)、自宅に小型船舶操縦免許証が届きました。自動車の運転免許証と似たようなカードでした。小型船舶操縦免許証は5年毎に更新しなければなりません。
ところで、平成15年6月1日から、小型船舶の新しい免許制度がスタートしました。この2級小型船舶操縦士(5トン限定)の免許証があれば、5トン未満の小型ボートで沿岸から5海里(約9.2キロ)までの海域を航行できます。5海里を超える外洋には1級がないと出られません。 肉体がある間にいつか外洋に出るのが私の夢(見果てぬ夢?)です。思えば、小学校5年生のとき、この塩釜港で生まれて初めて海を見たのでした。
実は、この年の夏休みは古巣の大湊(青森県むつ市)でも訪れてみようかと思っていたのですが、ただ行くだけではつまらないと思い直し、ボート免許講習を受けることにしたのでした。宿舎は塩釜海技専門学院の青葉会館という寮で、広さ3畳の個室(洋室)が30室あります。何と宿泊費はエアコン完備、3食付きで1泊2,500円です。こんなに安いのは国土交通省の関係団体から補助でもあるからでしょうか。夜間、宿舎の近くからは港の夏祭り(盆踊り?)らしい太鼓、囃子、掛け声が聞こえて来ました。
少し補足させていただきますと、小型船舶操縦士という資格はあくまでもレジャー用が主目的であり、本格的な船舶職員になるためには業務用の海技免状が必要だということです。同じ無線従事者の資格でもアマチュアと業務用があるのと 似ています。
平成20年7月2日(水)、日本船舶職員養成協会東北支部(仙台市)で更新講習会を受けて来ました。 小型船舶操縦士の免許証は5年毎に更新です。更新講習はテキストとビデオによるものでした。特に、衝突事故が発生する最大の原因は「見張り不十分」とのことで、これは自動車を運転する場合も同じことが言えますね。いつものとおり、今回も往路は電車、復路は高速バスです。山形駅と仙台駅の間では、高速バスは900円なのに対して、電車は1,130円で、数年前に比べて差が開きました。高速バスは参入業者が増えたため自由競争で値下げされたようです。
7月3日(木)、自宅に「郵便物等お預かりのお知らせ」が届いていました。差出人が遠藤海事事務所と記載されていたので、小型船舶操縦免許証のことかなと思いました。翌日の4日(金)、再配達してもらいました。開封して免許証を見たら、「5トン未満」という限定区分の記入が消えていました。平成16年11月1日から 18歳以上の人間に対しては総トン数5トン未満の限定区分が廃止されていたのです。
運転免許証を取得したのは昭和55年の春のことです。現代の平均的な人間から見ると少し遅い方だと思います。横須賀 市(神奈川県)にいたとき久里浜中央自動車学校で教習を受けました。本試験は二俣川(ふたまたがわ)の運転免許試験場で受けました。しかし、自分の車を初めて持ったのは山形に戻ってからです。中古のカローラFX(TOYOTA)でした。
自分の車を持ってしばらくの間は、休日に県内の道路を回るのに没頭していました。県内にはこんな所もあったのか・・・・・と思いながらドライブしていました。山形に戻ったばかりの頃は、楯岡 (村山市)と神町(東根市)とではどっちが北にあるのかとか、谷地(河北町)は寒河江駅(寒河江市)からどの方角にあるのかとか、自分にとっては曖昧なことが多くありました。
最近はカーナビ(カー・ナビゲーション・システム)が広く普及しています。私が自家用車(HONDAシビック・フェリオ RTSi)にカーナビを初めて装備したのは、確か平成7年10月のことで、まだCD-ROMベースの製品でした。平成13年6月には、新しい自家用車(SUBARUフォレスターS/20)にDVD-ROMベースのカーナビを追加装備しました。いずれもKENWOODの製品で、タッチパネルで操作できる点が最大の魅力です。両者の間に5〜6年しか隔たりがないのに、機能ばかりでなく性能も格段に向上し、しかも、ほぼ同じ販売価格です。世の中の進歩には驚きますね。私の場合、仕事柄、何らかの理由で家庭訪問する機会がありました。そのようなときはカーナビの価値を心から実感します。新しい地図データは2年に1回、更新DVD-ROMとしてKENWOODから有償で提供され ていました。
平成16年2月5日(木)の朝、上山市久保手の国道458号線 (長谷堂トンネルが開通する前の旧道)を南下中、雪道で路肩から脱輪してしまいました。対向車とすれ違うとき、私の方が左に避け過ぎてしまったからです。転倒しなかったものの、車体が左側に傾斜して脱出できなくなりました。そのとき私の50メートルほど後方に除雪車が停止していたので、私は除雪車の運転手に牽引してくれるように依頼しました。ところが、その除雪車も脱輪して動けなくなって いたのでした。私は除雪車の運転手の助言に従って携帯電話でJAFに電話しました。それから約30分後、JAFの小型クレーン車が助けに来てくれました。その場で作業料金を支払い、JAFに新規加入する手続きもしました。なお、除雪車の方は除雪ステーションから来たトラックが救助しました。このトラックで私の車を牽引すると、高さの関係でバンパーを損傷する可能性があるということでJAFを勧めてくれたのでした。
私は物思いに耽るタイプなので、どちらかと言うと交通事故を起こしやすいと思います。運転の腕前についても自信がある訳ではありません。ということで、大型は取らないことにしました。大型を持っていれば公私とも何かと便利でしょうが、それよりも交通事故を起こして他人に迷惑を掛ける方が心配です。今までの経験(それとも失敗かな?)からすると、心に余裕のないドライブと目的意識のない(優柔不断な)何となくのドライブは事故を起こし易いようです。「交通事故の教訓」とでも題して新たなページを設けてみようかな・・・・・・とも考えています。
私の自家用車(SUBARUフォレスターS/20)は、平成18年12月24日(日)、乗車6年7ヶ月にして走行距離が20万キロを突破しました。そろそろ買い替えの時期ですね。5,000キロ毎にオイル交換しているので、エンジンは調子が良いです。実は、それに先立つ平成18年の9月中旬、山形スバルで後輪のドライブシャフトとベアリングハウジングを部品交換してもらいました。 何らかの原因でドライブシャフトの蛇腹に小さな破れが生じて、そこから潤滑油が漏れたため、回転部分から異音が発生していたのです。技術料と部品代を合わせて合計141,000円でした。しかし、これであと2〜3年も乗れれば安いものだ思いました。さらに平成18年の11月、同じく山形スバルでタイミングベルトを交換してもらっています。2回目です。恐らく3回目はないと思いますが・・・・・・。
平成21年2月5日(木)の午前中、山形県総合交通安全センター(天童市)で更新時講習 (今回は2時間コース)を受け、ICカード化された新しい運転免許証を頂きました。このカードには2個の暗証番号が設定されました。山形県では平成21年1月4日から 運転免許証がICカード化されたそうです。また、種類は、私のようにこれまで「普通自動車」の免許だった人は、車両総重量8トン未満という限定付きの「中型自動車」となりました。
私の自家用車(SUBARUフォレスターS/20)は、平成21年4月3日(金)、新車として購入してから4回目の車検を済ませました。平成12年4月に購入してから、既に丸9年にもなりました。今回の車検を済ませた時点での走行距離は、何と265,503キロでした。ここまでよく乗りこなしたなあと、我ながら感慨に浸っているところです。
次の自家用車はハイブリッドカーと考えています。TOYOTAのハリアー ・ハイブリッドとかクルーガー・ハイブリッドのようなSUVを想定しているのですが、今の段階では私にはまだまだ高価に感じられます。2010年にはSUBARUからターボ・ディーゼルの水平対抗エンジンを搭載した自動車が販売される予定と聞いていますので、それまで今の自家用車で様子を見ようと思っています。2008年の春から欧州では販売されました。日本ではディーゼルエンジンはあまりイメージが良くありませんが、燃費が良く、地球温暖化に影響する二酸化炭素の排出量も少ないので、その他の環境基準さえ満たせばディーゼルエンジンの方を選びたいです。ディーゼルは水平対抗エンジンとの相性が良いという話です。 ただし、ターボ・ディーゼルのトランスミッションをATにするのは技術的に難しく、今のところはMTしか出ていないようです。ATに慣れてしまった自分は、いくらターボ・ディーゼルのSUBARU車でも、MTだったら購入する気は起きませんね。
| 平成13年11月26日(月)、高等学校教諭専修免許状(工業)を勤務先の校長室で校長から受け取りました。それに先立ち、日本工業大学(埼玉県埼玉郡宮代町)の免許法認定公開講座で6単位を修得し、 この年の9月下旬に申請書類をそろえて県教育委員会に出願しました。その中に「実務に関する証明書」と「人物に関する証明書」があることをご存知でしたか。誰が証明するかって? 校長らしいです。6単位を一度に修得したかったのですが、いくら夏休み期間とは言え学校業務の都合で2週間も連続した休みが取れず、平成10年度、11年度、13年度と2単位ずつ修得しました。 |
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| 平成10年度 | パワーエレクトロニクス | 2単位 | |||
| 平成11年度 | 電磁界解析特論 | 2単位 | |||
| 平成13年度 | 音声処理特論 | 2単位 | |||
宿泊先は3回ともビジネスホテル(埼玉県久喜市)です。いずれも日曜日を挟んだ日程でしたので、平成10年度は日光(栃木県日光市)、平成11年度は足利学校(栃木県足利市)とその近くの鑁阿寺、平成13年度は香取神宮(千葉県 佐原市:現在は香取市)と鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)を見学することができました。平成13年度は初めて自家用車で首都圏まで行きました。香取神宮、鹿島神宮までは東関東自動車道で行き、帰りは一般国道を久喜まで戻ることにし たのですが、その途中、国立歴史民族博物館(千葉県佐倉市)の前を通りかかりました。こんな所にあるとは知りませんでした。儲けものと思い、ついでに見学しました。
専修免許状を出願するためには当然、基礎となる一種免許状(工業)が必要です。この免許状を取得するため、私は平成2年度の夏休みに東北大学工学部で「職業指導」4単位と「工業科教育法」4単位を聴講しました。工学部を卒業しているので、「職業指導」4単位を修得するだけで一種免許状(工業)を出願できるのです。残念ながら、専修免許状(工業)を取得するための免許法認定公開講座の方は、東北大学工学部にはありませんでした。
最近、教職員の質の低下が社会問題になっています。それを改善するため教職員を大学院に・・・・・という意見がありますが、これは見当違いだと私は思います。大学院を出ていることは「教職員の資質」とは別のカテゴリーに属する問題ではないでしょうか? 大学院は特定分野の研究能力を高めるところであり、学部で足りなかったことを補充・補修するところではないのです。
| 一種免許状(情報)は、平成12年度の夏休みに山形県教育センターで新教科「情報」現職教員等講習会を受けて、県教育委員会に出願しました。管理職から受講するように勧められたのです。私にとっては「渡りに船」のように有り難い話でしたが、諸般の事情により決断するのに数日かかりました。結果的には、この講習会で自分の課題が少しは見えるようになりました。 そろそろ玉川大学通信教育部で一種免許状(数学)を・・・・・・という幻(まぼろし)が目の前にちらついてきました。大学で数学を専攻した人から見ると安直と思われるかもしれません。しかし、一流大学を目指す進学校(受験校?)はともかく、普通の高等学校で教える程度の数学であれば、何もわざわざ理学部の数学科を卒業している必要はないと思います。しかし、数学の 教員免許がなくても何ら支障はありませんので、これは老後の楽しみとして残して置くことにします。 |
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今だから言えることですが、実は、私が海上自衛隊に入隊して2年近くになった頃、私は教員免許を取るために法政大学通信教育部の3年次に編入学(学士入学)したことがありました。学科は文学部の地理学科で、免許の教科は「社会」でした。本当は、「数学」か「理科」の教員免許を取りたいと思ったのですが、通信教育では玉川大学通信教育部の「数学」しかなかったのです。しかも、玉川大学通信教育部の「数学」は、既に他の教員免許を持っているという前提でした。このような通信教育を受講したのは、結局、故郷の山形に戻るための布石でした。しかし、法政大学通信教育部は一通のレポートも提出することなく挫折しました。あの当時は、勤務先で新しい仕事を覚えることだけで精一杯だったからです。海上自衛隊を退職して首都圏の大学の夜間部(理学部または工学部の3年次)に編入学(学士入学)するという手も考えられましたが、その時点では、実家の経済的事情で すぐに退職する訳には行かなかったのです。結局、海上自衛隊に在籍している間は教員免許を取得することは断念し、情報処理技術者としての方向に活路を求めるようになりました。結果的には、それが山形での再就職に結び付きました。
世の中には高等学校の教員免許をたくさん持っていることを自慢に思っている先生もいるようです。小学校のように学級担任が国語から音楽、図工まで全科目を教える立場にある場合はそれでもいいと思います。しかし、高等学校は教科担任制ですから、自分の守備範囲(担当教科)をいかに深く極めるかが重要であると思われます。端的に言えば、高等学校では高等学校の教員免許をひとつ持っていればいいのです。趣味的に他の教員免許を取得するよりは、授業内容に関係する免許・資格を取得するべきでしょうね。
平成21年4月から教員免許更新制が実施されることになりました。教職に就いている場合は、教員免許状の有効期間は10年間となり、更新するには免許状更新講習を受けることが義務付けられました。
平成2年4月から公立高等学校(工業高校)で勤務するようになったとき、私は電気・電子関係のあらゆる国家試験に合格したいという抱負を持ったことがあります。強電関係から弱電関係まで、電気・電子の世界には個人では消化し切れないほど多種多様な国家試験があります。 今となって思えば 、「身の程知らず」と言うか「盲蛇に怖じず」でした。しかし、サッカー日本代表の監督だった岡田武史さんが 1998年ワールドカップ・サッカーのアジア最終予選で述べたように、「ひょっとしてひょっとする」かもしれませんね。
電気・電子関係を学ぶ者として次に修得すべき技術・技能は何か。それは電気工事でしょう。私がこれをマスターすれば、文字どおり「鬼に金棒」です。電気工事士は、技術的な内容はそれほど高度ではありませんが、現場の細々とした技能を覚えなければなりません。修得するのが望ましい技能であることに変わりはありませんが、「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったものです。私にとっては馴染みが薄いと同時に、少なからず違和感を覚える分野でした。むしろ、「食わず嫌い」と言った方が適切かもしれません。
まあ、このようにマイナス思考で物事を受け止めるのも何ですから、電気工事をマスターするに留まらず、第三種電気主任技術者(いわゆる電験三種)を取るつもりで電気一般を幅広く学習するつもりです。平成16年1月期の第一級陸上無線技術士に何とか合格できましたので、弱電関係の国家試験はほぼ掌中に収めることができました。やっと「後顧の憂い」を断って電験三種に全面的に立ち向かえる段階に達しました。しかし、いわゆる成功体験が心に満腹感として残ったままなので、電験三種に対するモチベーションが今ひとつ高まらないのが実情でした。最近、ようやく空腹感(ハングリー精神)が心に生じるようになりました。その先駆けとして平成21年度に第二種電気工事士に挑戦して合格しましたので、やっと強電関係にも足場 を築くことができました。
こうなると、ちょっとしたゲーム感覚になってしまいますね。しかし、きっと何かに役立つことがあることを信じて、希望に満ちて研修したいものです。工業高校で現役として勤務している 者であれば尚更のこと、たとえ当該資格を取れなかったとしても、教科の学習内容に関係する技術・技能を研修する義務があります。もちろん資格と実力は別問題ですし、国家試験に合格すれば完結ということではありません。また、スポーツの場合と同じく、名選手(有資格者)が名監督(名指導者)とは限りません。しかし、世の中には実力はともかくとして当該資格を持っていなければ賃金をもらって仕事をできないという資格も多くあります。
首尾よく免許・資格を取得できたとしても、人間ですから当然、時間が経過すれば修得内容(知識とか技能)は少しずつ忘れます。しかし、国家試験に合格できるような人であれば、少し復習しただけで何とか思い出すことができるものです。たとえ忘れたとしても、定期的にリフレッシュすれば良いのです。免許・資格の種類によっては、更新研修が義務付けられているものもあります。
免許・資格の中には、運転免許証のように定期的に更新しなければならないものと、取得してしまえば生涯ずっと有効なものがあります。技術系(特に情報通信系)の場合、上級資格の試験問題には常に最新の技術動向が反映されます。同じ国家試験でも数年も経つと内容がかなり変化するのです。ということは、資格取得は本人がその時点で一定水準を超えていることの証明に過ぎず、本当の実力を身に付けるのは免許・資格を取得してからということです。特に、その免許・資格で生計を立てている人は尚更です。
私のように高等学校が普通科で、大学は工学部の応用物理学科を卒業している者にとっては、情報関係、弱電関係(電子)、強電関係(電気)の順に取り組むという方法が最適かもしれません。人それぞれ得意・不得意がありますし、一度にすべてを消化するのは能力的に無理です。人それぞれ自分の立場と状況に応じた自己啓発を行うのが最適かと思われます。