
私の自宅は山形市内にありますが、その周辺は山辺町のすぐ南に隣接しています。山形市(県都)の中心部から見ると西北に位置していますので、「都の西北」というところでしょうか。
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自宅から南に1キロほど行くと、JAやまがた中央会の「協同の杜」があります。私が子供の頃、この辺は古須川と呼ばれており、蛇行した須川が切り残された湿地帯でした。 平成11年度から山形市の花火大会が須川河川敷で実施されるようになりました。自宅から花火の打ち上げ場所まで約300メートルしかありません。 この須川河川敷には鴨がたくさん棲息しています。川の流れが緩やかな日、群れて水に浮かんでいる姿をよく見かけます。何を餌にしていることやら。 市街地から3〜4キロ離れているので、自宅の2階から市中心部を一望できます。自宅から2〜3キロほど市街地に向かった所に東北中央自動車道の山形中央インターが建設され ていました。平成14年9月16日(月)午後3時、東根インターから山形上山インターまでが開通しましたので、自宅から日本全国に自家用車で気軽に足を運べるようになりました。 山形市は山形駅の東側を中心に発展してきましたが、今後は西側にしか発展の余地がありません。 |
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このように住むには良い場所ですが、その反面、不便なこともあります。そのひとつ、バスが1日2往復しかありません。したがって、自家用車がないと市街地には出られません。 免停(運転免許停止処分)などになったら、山形駅(奥羽本線)はおろか羽前山辺駅(左沢線)に行くだけでもタクシー代が馬鹿にならず、たまったものではありません。
また、ADSLで高速インターネットをやろうとしても、自宅の電話が通じている電話局まで線路長で8.8キロも離れているので、最初は信号が減衰して自宅まで届きませんでした。しかし、NTT東日本のフレッツADSLで12Mのサービスが提供されるようになってから、私の自宅にもやっとADSLの信号が届くようになりました。平成15年6月5日(木)の夜から、私の自宅でもADSLでインターネットに常時接続できるようになりました。下りで最大288kbps程度しか出ませんでしたが、従来のダイヤルアップによる接続に比べれば5〜6倍の速さです。
それでも大きなファイルのダウンロードでは満足できるものではなく、平成19年2月18日(日)、自宅に光ファイバを引いてもらい、その日の夜からNTT東日本のBフレッツでインターネットを楽しめるようになりました。インターネットでブロードバンドスピードテストをしたら、下りは20〜35Mbps程度でした。測定する度に値が異なります。私の居住地域では、光ファイバ を利用する効果がこのように著しいです。これを契機に電話もIP電話(ひかり電話)に替えてもらいました。平成20年1月10日(木)、OS(Windows XP)の「TCP Receive Window」をDefault値の65535から4倍の262140に増やしたら、さらに約20Mbpsだけ速くなりました。
私が加入しているプロバイダでは、ホームページの基本容量(追加料金なしで使用できる記憶容量)は最初、わずか10MBでした。それが20MBになり、さらに平成18年6月1日からは光ファイバーとADSLで接続するコースは基本容量が100MBになりました。しばらくは記憶容量の不足を感じることはないでしょう。
ちょっと線香くさい話になりますが、私の家の墓地は後明沢(須川の支流で山形市と山辺町の境界になっている)の南岸にあります。自宅から北に直線距離で約500メートルの所です。平成8年6月に 私の両親は新しい墓標を建立しました。先祖の供養を蔑ろにして私たちの幸福もないでしょうからね。先祖から資産と墓を引き継ぐことは、先祖の因縁(家系の問題)に対して全責任を持つことと表裏一体です。この点については、与那嶺正勝氏が『家系を科学する』という著書で具体的に述べています。なかなか考えさせられる内容です。創芸社から出版されていますので、関心のある方は読んで下さい。
平成17年12月から山形県でも村山地方(山形市を含む)を手始めに地上デジタル放送が正式に開始されました。ただし、NHK2局の他はまだ民間放送2局(山形放送とテレビユー山形)だけで した。残りの民間放送2局(山形テレビとさくらんぼテレビ)は平成18年6月から正式に放送が開始されました。私のプライベートなテレビは、SONYの液晶テレビKDL-S19A10です。19型なのでフルスペック・ハイビジョンではありません。また、アスペクト比が15:9なので、正式な映像(16:9)の両端が少し切り取られて表示されます。しかし、これでも十分にハイビジョン放送を楽しめます。録画には、PanasoniccのDVDレコーダーDMR-EX100(ハードディスク内蔵)を使用しています。
【 冬の景色 】
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春夏秋冬という言葉があるくらいですから普通は春からでしょうが、久しぶりにホームページを更新したのが冬でしたので、冬から始めさせていただきます。右の2枚の写真はいずれも私がデジタルカメラ(Nikon CoolPix900)で撮影したものです。左側の写真は自宅を道路から撮影したもの、右側の写真は自宅の二階から市中心部を撮影したものです。両方とも平成13年12月の 写真です。撮影当日は快晴でしたので、非常にきれいな写真になりました。近年はこの写真のように冬でも積雪がめっきり少なくなりました。 |
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自宅の二階は、平成11年の春から夏にかけて増改築したものです。改築した一階が私の書斎、増築した二階が私の寝室となりました。その際、一階にある便所を浄化槽に変えました。まだ下水道が来ていなかったからです。なお、現在では自宅近くまで下水道工事が 完了しましたので、まもなく今度は下水道に切り替えることになります。ただし、私の家の場合、山形市に納める下水道受益者負担金は3年間(平成19年度から21年度まで)で合計320,620円にもなります。宅地面積に比例した負担金なので、馬鹿にならない金額になるのです。
【 春の景色 】
この「春の景色」が最後に残ってしまいました。何か特徴的なものを探しているのですが、なかなか思い当たりませんでした。最近になってふと思い出したのが春のお祭りです。大曽根地区(小学校の学区)のうち私が属するブロック(大字)の子供と大人(主として自治会役員)が神輿を担いでコースを巡回します。その後は集会所で懇親会があります。ただし、子供にとっては昼食会です。
| 毎年、「昭和の日」、すなわち、昭和天皇の誕生日である4月29日に行われているようです。右の写真は、平成21年4月29日(水)、自宅前の道路を通り過ぎる神輿の行列を自宅側から私がデジタルカメラ(Nikon CoolPix5200)で撮影したものです。 |
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春になると、 ヒメオドリコソウ(姫踊り子草:シソ科)という野草化した帰化植物が、どこから湧いたのかと思うほど所かまわず群生して、くすんだピンクの花を咲かせます。それから少し遅れて、同じく帰化植物のセイヨウジュウニヒトエ(西洋十二単:シソ科)が 潅木の半日陰で青紫の花を咲かせ、周囲に何とも言えない芳香を放ちます。夏が近くなると、これまた帰化植物で野草化したムシトリナデシコ(虫捕撫子 :ナデシコ科)が、日当たりのいい場所で鮮やかなピンクの花を咲かせます。
| 右の2枚の写真は、平成21年4月下旬から5月上旬にかけて、屋敷に群生している野草を私がデジタルカメラ(Nikon CoolPix5200)で撮影したものです。左側の写真は、ヒメオドリコソウです。右側の写真は、セイヨウジュウニヒトエです。 セイヨウジュウニヒトエには、蜜蜂などの小さな昆虫が蜜を吸いに群がって来ます。 |
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| 右の写真は、平成21年6月上旬に車庫の前に生えているムシトリナデシコを私がデジタルカメラ(Nikon CoolPix5200)で撮影したものです。6月に入ると一般社会では衣替えなどがあり、標準的な暦の上では6月は「初夏」に分類されるのかもしれません。しかし、山形県は首都圏以西に比べて実質的な夏の始まりが半月くらい遅いので、6月上旬はすれすれながら「春」に分類しても構わないと思います。 |
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人間が人工的に植えた観賞用の草花よりも、野草の方がずっと逞しく生きているように見えます。つい最近まで私は野草にはあまり関心がなく、このセイヨウジュウニヒトエとかムシトリナデシコとかいう名前も、平成20年の初夏に初めて知ったほどです。 ヒメオドリコソウに至っては、平成21年の春までは存在も意識していませんでした。参考まで、山形市の西蔵王高原には山形市野草園(山形市神尾)があります。
平成20年は山形で梅雨入り宣言されてから、バラの若木2本、 野牡丹の若木1本、プラムの若木1本、プルーンの若木1本、小梅の若木1本、竹の若木5本をホームセンターから購入し、それぞれ屋敷に植えました。 ところが、このうち野牡丹と竹は雪国の冬を越すことができず、翌年(平成21年)の春には枯れていました。品種の選定を間違ったのです。そこで、平成21年の4月中旬、枯れた竹を取り除いて、その跡にサザンカの若木1本を植えました。
平成21年の4月上旬、サクランボの苗木3本と和梨の苗木2本をホームセンターから購入し、それぞれ屋敷に植えました。サクランボも和梨も、一般に同じ品種だけ、あるいは、その樹木単体では実を結ばず、他の品種と混植する必要があることを初めて知りました。ということで、サクランボは「佐藤錦」、「高砂」、「ナポレオン」を1本ずつ、和梨は「幸水」と「豊水」を1本ずつ、それぞれ並べて植 えました。さらに、同じく4月中旬には、ブドウの苗木2本を植えました。こちらの品種は、「デラウェア」と「キャンベルス」が1本ずつです。育てるのに時間が掛かりますが、 成長を観察するのもひとつの楽しみでしょうね。
ところで、庭の草木には水を与えなければなりませんが、その水としては上水道の消毒された飲料水でなく、最上川中流から引かれた灌漑用水(5月中旬から秋までの期間限定)を使っています。昭和50年前後、最上川中流土地改良区の耕地整理に伴って水田用に水路が引かれました。その灌漑用水を耕地整理の対象となった世帯の屋敷でも利用できるようになっているのです。普通の上水道と同じように、屋敷内にある蛇口から灌漑用水を利用できます。こちらの方が栄養をバランス良く含んだ環境にやさしい水 と言えるでしょう。
【 夏の景色 】
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右の2枚の写真はいずれも私がデジタルカメラ(Nikon CoolPix900)で撮影したものです。左側の写真は自宅の二階から市中心部を見たものです。右側の写真は自宅の庭を道路から見たものです。両方とも平成14年7月の写真です。残念ながら、右側の写真に見える松は平成18年の春から葉が枯れ始めたので、結局、その年の11月25日(土) 、父の指示により私が伐採しました。平成20年4月13日(日)、残っていた切り株を地面から抜き取り、その跡に盆栽から松の若木を移し植えました。この若木が大きくなるまで、また結構な年月を要するのでしょうね。 |
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自宅の畑に設定した生ごみ捨て場には、ときどき野生のキジやカラスが残飯漁りに紛れ込んで来ます。スズメのような小さな野鳥もおこぼれにあやかっているようです。
ところで、日本国内の最高気温(40.8℃)が昭和8年7月25日に山形測候所(旧称:現在の山形地方気象台)で記録されたということをご存知でしたか? ところが、平成19年8月16日(木)、岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40.9℃を記録し、最高気温の記録を0.1℃だけ塗り替えられてしまいました。山形の人間としては何となく寂しいですね。
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右のビデオは、平成16年8月14日(土)に須川河川敷で実施された山形市の花火大会を自宅の2階から小型軽量ムービーカメラ(アイ・オー・データ機器 Motion Pix)で撮影し、PowerDirector 3(CyberLink)というソフトウェアで編集したものです。編集と言っても、適当な大きさにトリミングして、それをASF形式からMPEG-4形式に変換しただけです。この花火大会は山形青年会議所を中心に多くのボランティアの協力により実施されています。この花火大会はラジオモンスター(山形コミュニティ放送)で実況放送されます。 |
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【 秋の景色 】
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清少納言が『枕草子』の中で「秋は夕ぐれ」とか述べていますから、夕日が西の山際に沈む風景を撮影してみることにしました。右の写真は、平成17年11月上旬の夕方、私がデジタルカメラ(Nikon CoolPix5200)で須川の対岸(東岸)から自宅の方向(西側)を撮影したものです。写真の右側には橋が写っています。沈む夕日のすぐ左側には白鷹山(標高994m) の頂上が小さな三角形となって見えます。 |
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ところで、最近、山形駅の西口は都市の再開発が進んでいます。花火大会の会場も平成11年度から西部の須川河川敷(自宅のすぐ近く)に移されました。また、秋の県高校駅伝大会も平成17年度からは「あかねヶ丘陸上競技場」を中心に西部地区をコースにして実施されるようになりました。女子の第1中継所が自宅から約50メートルの市道に設けられていました。
私の自宅の屋敷には両親が植えた果樹がありますが、そのうち、りんご(2本)、さくらんぼ(1本)、小梅(1本)は老木になり枯れ始めたので、平成20年の春から秋にかけて私が伐採し、根と幹も切り離しました。両親が植えた果樹で残っているのは、渋柿(1本)とかりん(1本)だけとなりました。その代わり、同じく平成20年の初夏に、プラムの若木1本、プルーンの若木1本、小梅の若木1本をホームセンターから購入し、それぞれ屋敷に植えました。今のところ順調に若枝が伸び、若葉が茂っています。
秋と言えば「実りの秋」という言葉が思い浮かびます。平成20年の10月下旬から11月上旬にかけて、渋柿から干し柿づくりに初めて挑戦してみました。渋柿の木が一生懸命に渋柿を枝に実らせたのに、それを無駄に放置したら、それこそ渋柿の木に申し訳ないからです。両親がまだ生きていた頃は、専ら両親が干し柿づくりをやっていました。今回は、ホームセンターから屋内用の洗濯物干しスタンドを3台購入し、皮剥きした渋柿を紐で吊り下げました。127個×3台=381個です。
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右の写真は、平成20年11月中旬、自宅の南側に晒した干し柿を私がデジタルカメラ(Nikon CoolPix5200)で撮影したものです。実は、まだまだ個数に余裕があったので、10月下旬、112個の渋柿を親しい旧友に宅配便で送りました。それでも、渋柿の木1本に実っている渋柿の半分も消費していません。いろいろ考えた結果、結局、残りの渋柿は自然に還元することにしました。すなわち、梯子を使って取れる分は他の樹木の肥料にし、それでも木に残った渋柿は野鳥の餌にするか、または、熟して地面に落ちるに任せることにしました。 |
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渋柿の木には、その労をねぎらって、しばらくは残飯(仏壇から下ろした米粒、果物の皮、卵の殻、魚の骨、精米したときの糠など)を肥料として与えることにしました。春までの栄養補給になるでしょう。ただし、野良猫も割り込んで来て、残飯を漁っています。
(続く)