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「ジュリアスさま、そろそろご準備されませんと」 光の執務室で、炎の守護聖オスカーがジュリアスに声をかける。ジュリアスは待ちあぐねたオスカーをしり目に、なかなか執務室の椅子を離れようとはしなかった。よほど重要なのか、手元の書類に視線を落としたまま「わかっている」と、少々うるさげな声で答えるばかりだ。 オスカーは幾度めかのため息をついた。 オスカーが光の守護聖をようやく執務室から追い出すのに成功したのは、それから一時間余りも経ってからだ。彼はさすがに疲れ切った様子で、ジュリアスに付き添うこともなく、光の執務室で後ろ姿を見送った。 一方、ジュリアスは廊下に出てからも、しばらくは意味もなく自室の前をうろうろしていた。まるでそれは闇の執務室前を通るのを厭うかのように見えた。ようやく彼は決意したように馬車が用意された宮殿正面玄関へ向かったが、それでも、その歩みは牛のようにのろかった。 ジュリアスが馬車で向かったのは聖地の外門。時の流れが内と外では異なる、その境目だ。 光の守護聖が馬車から降りると、外門の衛兵の一人が近づいてきた。他の衛兵と上着の色が異なり責任者のようだった。 「ジュリアスさま、お待ちしておりました」 その者に案内されて、光の守護聖は外門施設の外れに設けられた建物へ向かう。衛兵は扉を開け、ジュリアスを中へいざなうと己は外で待機した。 こぢんまりした建物だが、内部は調度品も整ったVIPも迎えられる休息室だ。ホールを抜けた先にある風通しの良い部屋には、豪華なリビングセットが備えられ、そのゆったりしたソファのひとつに男が腰掛けていた。後ろ向きであるため顔は見えなかったが、それはジュリアスがよく知る人物だった。クラヴィスという名を持つ黒髪の――――――。 咳払いをひとつするとジュリアスは、ゆっくりそちらへ近づいていった。それが聞こえたのか、男もこちらを振り向き立ち上がる。ジュリアスは思わず足を止めてしまった。きっと、表情も隠しようなくこわばっていたに違いない。 クラヴィスはいつもの服装ではなかった。それは、ジュリアスがこれまで一度も見たことのない種類の、一風変わったエスニック風デザインのものだった。 予想していなかったが、落ち着いて考えれば当然のことだった。それはきっと、これからこの男が生涯を過ごすことになる惑星の衣装に違いないのだ。ジュリアスは自分の膝がガクガクと震え始めるのを抑えられなかった。もはや、目をそらすことも逃げることも出来ぬ、覆い隠せない現実がそこにあった。 ふらふらとジュリアスは歩みを進めた。 「待たせたな」 頭の中で繰り返したシミュレーションは、一片のかけらもなく霧散して、ひと言口に出すのが精一杯であった。そして、己の言葉の弱々しい響きがさらにジュリアスを消耗させた。クラヴィスの退任が近づいたことを知り、この数週間で、その事実を受け止めることに慣れたはずであった、が。 クラヴィスは、ジュリアスを見つけると微笑み、 「お前だったのか」と、素直に喜びをあらわした。 「クラヴィス…」 ジュリアスは己の声がうわずって掠れるのを聞いた。 何と言おうと、この二人は対の存在であったのだから。 クラヴィスは再びソファへ腰掛け、ジュリアスも近くにあった椅子に腰を下ろした。ジュリアスにとっての寒々とした現実とはちぐはぐなほど、心地よい風が部屋に吹き込んできた。 黒髪もその深い瞳の色も薄く整った唇も、何と艶やかで確かな輝きを放っていることだろう。 守護聖でなくなったクラヴィス――――――。 いまや、クラヴィスという名と、その生身の身体だけが、彼の存在のあかしなのだ。だが、それで十分なのだとジュリアスは知る。 彼は新しい地でも、十分に己を生かして暮らしてゆけるだろう。その予感は確信に近かった。この男は、どこにいても幾ら当人が厭世を託つていても、結局のところ、人から求められる存在なのだ。ジュリアスが彼を求めているように。 「送別の宴に出席せずに悪かったな」 「ふ…そこまで嫌われているのかと思ったが」 「何を言う。こうしてちゃんと最後の見送りに来たではないか」 「ああ」 「…」 「オスカーがここで待つように伝言をくれたとき、もしや…とかすかに思った」 「わたしが、来ると?」 「まぁ、わたしはどちらでも良かったが」 「ならば、来るのではなかった」 「くく…。お前には本当に心配ばかりかけてきたからな。できれば、最後に礼を言いたかった」 「礼などいらぬ」 「そうだな。お前は首座として当然の義務を果たしただけだからな」 「…」 「どうした」 「いや。そなたの憎まれ口を聞くのもこれが最後だと思うと、うれしくてな」 「お前こそ、その減らず口、これから聞けぬかと思うと寂しいくらいだ」 ジュリアスは言葉に詰まった。 寂しい…。 本当にそう思っていたら、そんな言葉は恐ろしくて口にはできぬぞ、クラヴィス――――――。 「新しい地においても、達者で暮らすがよい」 「ああ、お前もな」 クラヴィスは立ち上がった。その様子に微塵の未練も感じられず、それがジュリアスをひどく悲しませた。荷物はすでに生活の拠点であるあの惑星にすべて用意されている。彼は身ひとつで向かえばそれで済むのだ。窓越しの夕映えの中でクラヴィスがシルエットになる。 ジュリアスは座ったままぼんやりとそれを眺めていた。 何か、何か。とても大切だった時代がひとつ手の中をすり抜けてゆく。 「外門まで送ってくれぬのか」 クラヴィスの言葉に、ジュリアスは無意識のうちに立ち上がっていた。 「待て。待ってくれ」 己が何を言い出すのか、ジュリアス自身にもわからなかった。 クラヴィスが振り返り、こちらを見つめるのを感じた。 「――――――(わ・た・し・も・つ・れ・て・い・っ・て・く・れ)――――――」 「ジュリアス?」 それは言葉になろうはずがなかった。 「いや、いやなんでもない」 クラヴィスが、ジュリアスの顔にその長い指先で触た。 「ジュリアス。お前らしくないな」 「何でもないと言っていよう」 「そうか」 クラヴィスはひと呼吸おくと続けた。 「かりそめにともにあったにしては、ここでの暮らしは重いものだったからな、ジュリアス」 クラヴィスはジュリアスの涙を指先ですくった。 「お前が先か、私が先か。私はある時から決めていたのだ。決してこの聖地で心のすべてをかけるものをつくらないとな」 「クラヴィス」 「だが――――――」 「…」 「もう行かねば」 クラヴィスは再びは振り返らなかった。 「お前、その顔で外には出られぬぞ。だから、ここで見送ってくれ」 ドアが開いて、無情に閉まった。 あとには、かすかな白檀の薫りが残るばかりだった。 |
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