マンション・アパティア・8
☆
「クラヴィス、思ったよりここは広そうですが」
帰蝶の衣装は風に巻き上げられひらひらと舞った。
「大丈夫だ。私に付いてくるがいい」
「足手まといでなければ私も。何かのお役に立つかも知れません」
オリヴィエもいつもに似ぬ気丈さをみせた。
帰蝶は携帯ビデオホンを繋ごうと躍起になっていたが、
やがてあきらめた。
「所詮こんな場所ではおもちゃは役に立たないようですね」
帰蝶はそう言うと、ビデオホンを懐にしまい、先ほどの得物・斧を握りしめた。
リキは一人きりで、真っ暗な廃坑の一室に閉じこめられていた。
上層なのか、地下なのか光の射さぬここでは何も分からなかったが、
彼を拉致した集団は首尾良くことが運んだらしく、
とうにこの廃墟から脱出しているようだった。
「このまま、ここで腐っちまうのか。そんなのはいやだ、イアソンっ」
リキには、もう一つの不安があった。
自分を拉致した者の目的があのタナグラのアイスマンであることは疑いなかったからだ。
「イアソン、まさか、あんたも罠にはまったりしていないよな」
リキはもう一度さびの匂いが鼻を突く頑丈な扉を何とか動かそうと試みる。
わずかな扉の隙間に指をかけ全身に力を込めた。

☆
そのとき、
金属製の扉が大きな音をたてた。
誰かが何かを打ち下ろしたような激しい音だった。
振動がこちらにも伝わる
「誰かいるのか?」
リキが震える声でつぶやいた。
☆
怯えるリキの視界に明るい照明とともにあの3人が現れた。
「リキくん、無事だったんだね」
帰蝶が駆け寄る。
「帰蝶、クラヴィス、それにあんたはあの宝石屋じゃないか」
「ふ、無事で良かった。次はあの男だな」
クラヴィスが言う。
「あの、男って・・・」
帰蝶が気の毒そうにリキを見つめる。
「イアソンは行方不明なんですよ」
クラヴィスはその部屋の作りと配管の方向をチェックし、
イアソンが閉じこめられている部屋を予測した。
水晶球はイアソンの居場所をさらにこの地下の方向だと指し示していた。
「危険な状態のようだ。すぐに向かわねば、間に合わぬ」
そのときだった、大音響と共に廃坑全体が大きく揺らいだのは。
4人は立っていられず、次々に倒れた。
あちこちでひび割れる壁の音、
ぶつかって軋む金属柱の音が聞こえた。
相手が時限装置の爆発物を仕掛けて退散したのは明らかだった。
「まあ、当然といえば、当然のこと」
帰蝶はいまだゆらぐ足場の中で何とか立ち上がった。
「急がなければ、私たち全員の命も危ないですよッ」
☆
イアソンは、地下の奥深くに閉じこめられていた。
爆発は至近距離であった。
爆風でその部屋の扉は吹き飛ばされ、床にも天井にも亀裂が走っていた。
イアソンが何とか無事であったのは奇跡といえたが
落ちてきた廃材に火が付き、一見脱出は不可能のように見えた。
吹き飛ばされた扉のお陰で、出口は視界の中にあった。
しかし、その前の床には大きな奈落が口を開けていた。
リキは無事脱出できただろうか。
イアソンは思いのほか冷静であった。
死とは無縁の存在であったはずの自分が死に瀕している状況。
どのように理解してよいのか、とまどっているという方が正解だろう。
「リキ・・・」
そのとき、天井の方から声が聞こえた。
「イアソン、オレだ。助けにきたぜ」
ゆっくり見上げるイアソンの瞳に天井の亀裂から
こちらへ降りてこようとするリキの姿が映った。
「リキ」
☆
「リキ、やめろ!」
次の瞬間、イアソンは叫んだが、遅かった。
リキはそのしなやかな身体で、4、5メートルはあろうかという高さから
飛んでいた。
床に転がるリキ。
受け止めようと飛び出したはずのイアソンの身体は前にのめり、がくりと跪く。
「リキ!」
「へへ、大丈夫だ。このぐらいなんてことはねぇ」
リキはよろよろと起きあがった。
ジャラリと音がした。
炎が灯りとなってイアソンを映す。
イアソンの手には鎖がうたれ、鉄骨の柱と結ばれていた。
「イアソン・・」
「お前が来てくれるとは」
イアソンは喋りにくそうだった。よく見るとくちびるの端から赤銅色の液体がこぼれている。
まるで、血のようだった。
「そ、それはどうしたんだ」
化学薬品の異臭がリキの鼻を突く。
イアソンの唇からこぼれた液体は、したたり床を溶かした。
「酸・・・・?」
「大丈夫。私の身体はこの程度では侵されない」
「うそだ。あんたの唇、こんなにひび割れているじゃないか」
「トレーサーを手っ取り早く壊すには、これが一番だったらしい」
イアソンが自嘲的に言った。
そのとき、上から声がした。
「今、ロープを下ろすからね」
帰蝶だった。
「リキ、ぐずぐずするな。火が回るぞ」
クラヴィスの声が上から響く。
「斧を投げてくれ!」
リキは叫ぶ。
☆
近くで小さな爆発が起こった。
周辺の炎が勢いを増す。ともかく急いで、鎖を断ち切らねばならない。
いくらブロンディの身体が特別製でも、このまま酸に侵されたら。
リキはぞっとした。
上から落とされた斧が大きな音をたてて転がる。
リキはこれを掴むとイアソンの鎖を滅法打ち据えて、何とか戒めを解くことに成功した。
出口の方向には奈落と炎で進むことが出来ない。
唯一の頼みの綱であるのはあのロープだ。
リキはイアソンを支えるようにして、ロープに近づく。
しかし、すでにロープには真っ赤な炎が移っていた。
☆