99/03/02
ビリー・ホリデイ 〜奇妙な果実〜
コモドアレコード 発売元:キングレコード
奇妙な果実/ビリーホリデイ
解説 大和明 ライナーノーツより
奇妙な果実(1939年4月20日録音)
Strange Fruit (take1)
ビリーが”Cafe Society”で歌い始めたころ、彼女は詩人のルイス・アレンから一遍の詩をみせられ心を動かされた。それはリンチに遭った黒人が木から吊されている南部における悲惨な光景を描いた詩であるが、ビリーはその詩の中に父親クレランス・ホリデイを殺したもののすべてが歌い出されているような気がしたのであった。彼女の父はフレッチャー・ヘンダーソン楽団などに在団したことのあるギター演奏者であるが、(中略)南部を巡業している間に風邪から肺炎を併発し、遂に3月1日に死亡した。(中略)ビリーの父は治療を受けるための病院をいくつも歩き回った。しかしどの病院も黒人である彼を冷たく閉め出した。そこは南部の中でももっとも人種差別の厳しい町、テキサス州ダラスだったのだ。
このアレンの詩に心を打たれたビリーはソニー・ホワイトと共に3週間を費やしてその詩に曲をつけ、ダニー・メンデルスゾーンが編曲に力を貸してくれ、しかもビリーが得心ゆくまで練習をつけてくれた。
彼女が初めてこの歌をクラブで披露した時のことをビリーは次のように書いている。
「私には遊び半分で集まるナイト・クラブの客に、私の歌の精神を感じとってもらえるかどうか、全く自信がなかったのである。私は客がこの歌を嫌うのではないかと心配した。最初に私が歌った時、ああやっぱり歌ったのは間違いだった、心配していた通りのことが起こった、と思った。歌い終わっても、一つの拍手さえ起こらなかった。そのうち一人の人が気の狂ったような拍手をはじめた。次に全部の人が手を叩いた。(中略)今もって私はこの歌を歌うたびに沈痛な気持ちになる。パパの死にざまが瞼に浮かんでくるのだ。しかし私は歌いつづけよう。リクエストしてくれる人々のためばかりでなく、20年を過ぎた今でも南部では、パパを殺した時と同じようなことが起こっているからだ。」(晶文社刊「奇妙な果実」油井正一・大橋巨泉共訳)
かくしてコモドア・レコードに吹き込んだこの歌は、ビリーの最大のベスト・セラーとなった。
黒人の地位が向上し、多くの”闘うニグロ”が輩出している現在ならいざ知らず、1939年という時点で白人への抗議をこめたこの曲を録音するということは大きな冒険であった。事実ビリーが当時専属契約を結んでいたコロンビアはこの曲を吹き込みたいと主張したビリーの要望を断った。結局大会社が恐れをなした<奇妙な果実>はマイナー・レーベルのコモドア・レコードの手によってようやく録音が実現したのである。それだけにこのような時代にビリーが人種差別に対する悲しみと怒りをこめて、この作品を歌ったことは大きな意味を持つ。
☆
ここでのビリーには、(中略)プロテスト・ナンバーのような激しさはない。ビリーの<Strange Fruit>は、(中略)最初から人種差別に対する激しい抗議を目的として作られた作品ではない。この悲惨な詩の中に言い知れぬ感動が込められているのを自らビリーは感じとり、その結果としてこの傑作が生まれたのである。それだけに大上段からふりかぶった激しさや気負いは微塵も感じられない。ここでのビリーの表現は黒人としての激しい怒りや悲しみをあくまでもうちに秘めている。そのため心の中の怨念として、余計聞き手の心の奥底を揺さぶる感動となっていることを否定することは出来ぬであろう。この表現力こそ、ビリーのもつ最高の音楽芸術なのである。そしてこのことはビリーが素材を特定の意図をもって歌うためにとりあげたのではなく、自然の感動から歌いたいとという気持ちになったからこそ、真の芸術となったのではないだろうか。
☆
南部の木々に奇妙な果実がむごたらしくぶらさがっている
その葉は血に染まり、根元にまで血潮はしたたり落ちている
黒い遺体は南部の微風に揺れそよぎ、
まるでポプラの木から垂れさがっている奇妙な果実のようだ
美しい南部の田園風景の中に思いもかけずみられる
腫れあがった眼や苦痛にゆがんだ口、
そして甘く新鮮に漂う木蓮の香りも、突然肉が焦げる匂いとなる
群がるカラスにその実をついばまれた果実に雨は降り注ぐ
風になぶられ、太陽に腐り、遂に朽ち落ちる果実
奇妙な、むごい果実がここにある
注:20年前に購入したレコードのライナーノーツです。
現在とは状況もいろいろ異なると思います。
私のおぼろげな記憶では、ビリー・ホリデイは淡々と気だるげに
この曲を歌っていた・・・という感じでした。
それなのに重くて「奇妙な」感動があったような
そんな気がします。
ああ、もう一度聞かねば・・・。
プレイヤーよ、カムバ〜ック!!