by 飛鳥さん
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(1)
その想いはいつからあったのでしょうか?その想いにいつ気がついたのでしょうか? いつということがそれほど重要か? それははじめからそこにあり、俺ははじめから知っていた。 聖地はひっそりと眠っている。 翳りのない陽射しも、梢をわたる風も、宮殿中庭の泉水にさえ何かを思んばかって声をひそめるような、そんな静けさが満ちている。 聖地の存在を揺るがすソリテアの事件は、守護聖全員の協力によりなんとか解決するに至った。それはこの事件に関わった者すべてに精神的成長と強い共感を与えている。ただソリテアが明らかにしていった問題の多くは、それぞれの胸の内に残されたままである。早晩その問題に向き合わざるを得ないだろうが、今はとりあえず精神的・肉体的な疲労を回復しなければならない。 聖地はより壮大な、死と再生の儀式にむけて静かに眠る時であった。 守護聖の執務は、立ち直りの早かった若手とルヴァ、オリヴィエがすべてをとりしきっていた。 ジュリアスもクラヴィスも、その身のソリテアを押さえるため、想像を絶する消耗をしいられていたのだろう。未だ視力の快復しないクラヴィスは当然ながら、ジュリアスもまた過労による発熱によって病臥している。 リュミエールは午前中執務を行い、午後からは自身の安静と看病のために、クラヴィスの館ですごしていた。 オスカーだけは、女王補佐官ディアの命令により自宅療養を強制されている。そうでもしなければこの男は、腹の傷がふさがらないままふらふら出歩くに決まっている。ちなみにこの命令は病床のジュリアスからも念が押されている。これにはさすがのオスカーも従わざるを得なかった。 その日もリュミエールは、食の進まないクラヴィスの夕食の世話をしてから館へと戻った。 クラヴィスは元来から食事にも興味を示さなかったのだが、ソリテアの事件以来放っておけばまったく食事をしなくなってしまった。このままではいっかな体力が回復しない。リュミエールがなだめすかして、やっと夕食だけは人並みの3割ほどを食べている。リュミエールはクラヴィスのそばにいるのが好きだ。この厭世観の固まりのような人物が、実はとても広く深い包容力を持つことを知っている。あまりに広く深いため、それに気づく者がいないだけだ。また他人を、いや一切を拒絶するかのような言動のその奥に、安らぎをもたらす闇のサクリアそのもののような深い優しさを隠し持っているのだが、その優しさをかいま見るのも、現在のところリュミエールただ一人である。一方確かにクラヴィスの心は、氷の欠片を抱いて彷徨う孤独な旅人でもあった。それがリュミエールには痛々しい。ついみかねて世話をやいてしまう。 館へ戻ると、出迎えた執事から注文の品が届いていると報告があった。 ワインが1ケース。私室のテーブルには、その中から抜き取った1本が検品用に置かれていた。それは、リュミエールが特別に手配したものである。ワインとしての出来もさることながら、原材料の持つ特殊な成分による薬効に優れている。外傷に対して顕著な効果があるらしい。 リュミエールは着替えもせず、しばらくぼんやりとそのワインを眺めていた。 ソリテアの事件以来、リュミエールは個人的にある想いを抱え込んでいた。そのことを思い悩み、眠りの浅い夜が続いている。ソリテアの一連については、迷いにけりをつけたつもりであったが、ある人に対して贖罪しきれない罪をおかしたような思いを拭えない。 今度またあの状況に追い込まれたなら、やはり自分は同じ事をするだろう。それは信念だ。だが、あの時自分の目の前に飛び出し、自らを傷つけてそれを止めた男の事は…。 リュミエールの手にあった短剣は一瞬のうちに奪われていた。そして、短剣を奪い返そうとしてつかんだオスカーの左手。必死で掴みかかったリュミエールのその手を、片身はなさず持ち歩く家宝の長剣を投げ捨てた右手で包み込み、短剣はオスカーの脇腹に突き刺さっていた。オスカーの両手に挟まれたまま、刃が肉体を貫いていく感触をリュミエールの両手は忘れられない。それは、その後に流された大量の血液の色とともに、凍えそうな恐怖を運んでくる。 「なぜあんなことをしたんです?」リュミエールは、夜毎同じ問いを繰り返す。リュミエールを止めるだけなら、他にもやりようはあったはずだ。それだけの技量をオスカーは持っている。守護聖同士、仲間だからというだけでは説明がつかないように思われる。それとも、それだけのことだろうか。他人の行動基準を詮索してもむなしいのだが、リュミエールは問わずにいられない。 リュミエールが守護聖として聖地にやって来た時から、オスカーには何かとからかわれている。その態度には、リュミエールを女性扱いするようなところがあり、彼をいつも不快にさせていた。 初対面の時からしてそうだ。オスカーはリュミエールの事を宮殿の新しい女官とでも思ったのだろう。ナンパの末に、なれないリュミエールがおろおろする間に、キスまで奪っている。リュミエールが守護聖だと知ったときのオスカーの狼狽ぶりは見物であったが、それでリュミエールの溜飲が下がるものでもない。 また、それとは別にジュリアスとクラヴィスの確執の事もある。この二人の対立は時としてオスカーとリュミエールによる代理戦争になることがあった。 「私とクラヴィス様のことは、放っておいてくださればよろしいのに。」 リュミエールはずっとそう思っているのだが、オスカーはあきる様子もなく絡んでくる。 オスカーのことが嫌いなわけではない。 オスカーが常にリュミエールの気にさわる態度をとっているのかといえば、そんなこともないのだ。どうやら、オスカーなりに気を使ってくれているのがわかる。しかし、どうにもリュミエールはオスカーを拒絶してしまう。 このところたて続けにおこった事件のさなか、リュミエールはオスカーが自分を見つめる視線を感じてとまどうことが幾度もあった。アイスブルーの瞳が、まるでその視線で人を射殺すかのように自分を見つめていた。 そんな時、オスカーのことを怖いと思う。 恐ろしくて、なぜか惹かれた。 気がつけば、オスカーのことを考えている。 あの度を超えたナンパ癖がせめて半分になったら、クラヴィス様のことをもう少し理解してもらえたら、ジュリアスの忠実すぎる部下であることに疑問を感じてくれたら…。そうしたら…。 「どうするのだろう?私は」 それから先を明確に言語化してしまえば、それをきっかけに感情が堰を切って流れ出し、暴走する自分を止められなくなりそうで自分自身が恐ろしく、リュミエールはさすがにそれからは逃げ出した。 幾夜も続く狂おしい想いに悩まされ続けるぐらいならと、ワインを持参がてら、せめて謝罪と感謝を伝えに行こうと考えていたのだ。けれどいざワインを前にするとそれを届ける勇気が萎えてしまう。 「今日はもうやめておこう。」と思うそばから、今夜も眠れずにすごすのかという恐怖が心を締めつける。 「でも、話をしてそれでどうなるのか?」今度は、立ち上がりかけた体をまた椅子に沈める。 「今夜またあの想いを繰り返すぐらいなら、行って来ましょう。オスカーを傷つけたのは私なのだから。それはきちんと謝らなければ。」 幾度もの逡巡の末に、リュミエールはそう決心して馬車の支度を命じた。それからさっとシャワーを使い、私服に着替える。命じてからの行動が早いのは、ぐずぐずしいてるとまた決心を翻しそうだったからに違いない。 館を出るときリュミエールの銀青色の髪はまだしっとりと濡れていた。行く道の風に吹かれれば乾くだろうと思う。リュミエールの館から、聖地の反対側に建つオスカーの館までは少し時間がかかる。 夜の聖地はひっそりと、ただ冴えわたる幾千万の星の輝きの中にあった。 リュミエールは馬車から身を乗り出さんばかりにして星々を見つめていた。そうして星の海を見ていると、あまり考え込まずにすむようだ。風が芳しい木々の香りを運んでくる。 オスカーの館では、玄関先をはじめまだほとんどの部屋に明かりが灯り、暗い崖を背景に重厚な館の全景を浮かび上がらせていた。 結局髪は思っていたほど乾いてはいないが、訪問先に失礼というほどでもない。 馬車の近づく音を聞きつけていたのだろう、玄関には執事がすでに待ちかまえていた。 夜分それも突然の訪問に詫びを入れ、とりつぎを願う。客人の顔を意外に思っただろうが、執事は驚きを見せることなくリュミエールを招き入れてくれた。 玄関横の客間で待つ間、お茶をだしにあらわれたメイドに、持参したワインをワインセラーに入れておいてくれと頼む。この館の主の趣味らしく婉然とした微笑みの似合うメイドは、簡潔な返事を残して去ったが、さすがに執事とは違って珍しい客人に興味があるようだった。視線にかすかな詮索の意図がうかがえる。それともリュミエールの美しい容貌に見とれていただけかも知れない。 リュミエールは落ち着かなかった。自分は僚友のところに謝罪に来たのだ。それだけのことだと思うのに、先ほどから鼓動が早くなっている。ティーカップを持つ手が小刻みに震えているのに我ながら驚く。落ち着こうと深く息を吐き出したとき、執事が主人の私室に案内する旨を告げた。 私室に通すということは、オスカーはリュミエールをよそよそしく扱うつもりはないということだろう。オスカーの館は初めてではないが、私室に入ったことはなかった。それだけに、私室へ案内されるということが、少しうれしかった。けれどまたそれはいっそうリュミエールの心を波立たせることになっていた。執事に遅れて歩く廊下で、リュミエールは幾度か両手で持っているはずのワインを落としかけている。 |