桜花艶乱

BY飛鳥さん



 寺町と呼ばれる寺院ばかりが建ち並ぶ高台のはずれ、弥生の春たけなわであるにもかかわらず、まばらな木立が冬の寂寥感を残すような、荒廃した一角があった。高台のそこだけが奇妙に入り組んだ谷間の底地にあって、聖なる所からすれば、いかにも地獄へと通じるかのような陰鬱な場所。うち捨てられた寺の小さな本堂あたりに、今はかすかな人の気配があるのだが、それ以外はなにやら異界のものどもが、そこここにとぐろを巻いていそうな妖しさがある。
 弁天、沙門そして鉄の三人が、そこにいた。
 沙門は明け方近くまで弁天を苛み、組み敷しいたそのままに眠っていたのだが、午の上刻を過ぎた頃、いったん立ち戻った鉄とともにふらりと出かけていった。
 「仕事」が、はいったのだろう。
 少なくとも今夜は「美人局」をさせられることはなさそうだと、弁天は安堵した。
 正気のままでは怜悧すぎると二人ながらに嬲られて街に放たれ、首尾よく金子をせしめた後も、男を誘った仕置きだと謂わんばかりにまたその躰を貪られた。
 鉄と沙門が他にどのようなことをして少なからぬ金子を調達しているのか、気にかからぬこともないが、自身を餌に稼ぐおぞましさに比べればよほどましだった。
 割があわぬとの算術なのか、それとも未だ心に残る矜持のゆえか…。
 二人が出かけてより一刻余り、春とも思えぬじんと身に滲みる冷たさに耐えきれず、弁天は荒廃した本堂脇の住居らしき小屋より滑り出た。陽の射し込まぬ底地から獣道のごとき細道をたどり、斜面を少し登ると人界に続く小道へと到る。
 そこに、まるで人界と異界との境界を示すがごとき一本の山桜があった。
 老木と呼ぶにはまだ早く、堂々たる大樹のすんなりとのびた幹は艶やかだった。小さな五つの花弁は芽生えはじめた若葉を映して清冽なまでに白い。今が盛りと、花を一杯に咲かせているが、どこにもその重さを感じさせない。魅入られるほどに美しく、何者にも侵されることのない硬質で孤高な桜であった。
 そのあたりだけが、弥生空の陽光をうけて暖かい。弁天は幹に躰をあずけるように、その場にすわりこんだ。
 白羽二重の襦袢に深蘇芳の半襟をかけ、裏を紅絹にした白綸子地に桜の扇面を描いた小袖、銀鼠の帯をゆるく吉弥に結んだ弁天の出で立ちは、そこに咲く山桜とは対称に匂い立つ樺桜を思わせる。
 明け方までの陵辱の残り火が微かな体温として残ってはいるが、弁天の身は凍えそうなほど冷たくなっている。暫くじっとしていると、柔々とした陽射しが優しく躰を暖めていった。
 急激に昴ぶらされるのではない、穏やかさがあった。
 頭上を仰げば清浄な花が、弁天を覆い隠すがごとく連なっている。
 (なんと清しい。ああ、私をも清めてくれるような。)
 久々に思考が明確になっていく。
 (いや、もはや魔道に堕ちたこの身になんの救いがあるというのか。)
 貶められ、すでにそれを自ら望むようになった弁天ではあるが、こうして清浄な気に触れていると、我が身の受ける屈辱の日々から抜け出したくなる。
 (ここは、心地よいな。)
 独りでいることが不安でない、心を裏切る渇望感がそこにはなかった。
 しかし、静穏なその時は永くはなかった。
 がさがさと無粋な音をたてて人が近づく気配に、弁天は身を隠くす場所をさぐって、桜木の後ろに廻った。
 いかにも牢人ふぜいの男が五人ばかり、あたりを睥睨しつつ現れた。
 荒んだ男どもであっても、そこに立つ桜木の美しさに足を止めずにはいられなかった。しばし魅とれるように突っ立っていたのだが、内の一人が弁天の気配を嗅ぎつけた。
 「そこの女。出てこい。」
 身じろぎもせず隠れていた弁天は、すぐに男達の手にかかって連れ出された。
 桜花の化身かとさえおもわせるその姿に、男達は一瞬たじろいだようだったが、弁天の気配を感じ取った男が続ける。
 「お前だな。このところ勝手なまねをしてくれているのは。」
 どうやら「美人局」で、ショバを荒らされた報復を目論む男達であった。
 「お仲間はどうした。」
 「知らない。私は何も知らない。離して…。」
 つかまれた腕を振りほどこうとして、後ろ手にねじりあげられた。
 「ああっ。」弁天が苦痛の、だが艶麗な声をあげる。
 被虐の声に雄を刺激されたのだろう、男達の間に獣じみた気色がたちのぼった。
 このままでは男達の欲望を受け入れさせられることは朗かであった。恐怖に身がすくみそうになる。
 (厭だ…。厭だ。)だがすぐさま嫌悪感が恐怖を凌駕した。
 「まずはその躰にきいて欲しいか。」
 弁天を後ろ手に押さえていた男の手が、脇から胸元に進入していた。が、そこにあるはずの柔らかな乳房をさぐれず、弁天の乳首に穿たれているあるはずのない金属の輪をその手に感じて、男は驚愕して力をゆるめた。
 弁天は男からすりぬけると同時に、男の帯刀を抜きはなっていた。
 「こ奴、男だ。」
 男達に、一瞬ぎょっとした間が走る。だが、見るからにひ弱そうな弁天をあなどる様子はぬぐえないようだ。
 「これは面白い。たいそう上物の獲物じゃないか。やめておけ、そんな細身で俺達の相手にはならん。きれいな顔に傷がつくぞ。」
 男達はのんびりと抜刀した。
 「寄るな。命が惜しくば、このまま引け。」
 玲瓏とした男の声であった。
 「お前一人でこの場を切り抜けられると思っているのか。」
 男達が勧告の言葉に従わないとみた弁天は、正眼に構えた刃に殺気をみなぎらせた。
 男達の余裕があせりに変わる。青白い炎のような気を弁天が纏ったことを、男達は感じた。
 それでも、男達は弁天に向かって間合いを詰めることをやめなかった。
 「たいしたものではないが、雑魚を切るほどには役立とうな。」
 「よくもぬけぬけと…。」
 脇差しで斬りつける、刀を奪われた男の言葉を、弁天が終わらせることはなかった。弁天の躰が沈み込んだ瞬間、閃光がきらめき白い腕が中空高く振り上げられている。
 動脈を切断された男の躰から血が吹き上がり、一面に雨となって降り注いだ。
 弁天はその血の雨を嫌うかの様に飛びすさり、正面に対峙した男が力任せに刃を振り下ろすのをそれより早く薙払う。
 恐怖におののく二人を死の淵に突き落とすのは、もっと容易かった。
 桜の花弁の舞い散るがように、弁天の袖や裾がふわりと靡いたその後には、血が霞のように漂っていた。
 桜木の後ろに隠れた弁天の気配を感じ取った男だけが、その場に残っていた。どうやら他の男達よりは腕がたつとみてとれる。
 弁天は全身を返り血に染めて、下段に刀をおろしたままその男を一瞥した。その壮絶な姿さえもが美しいと形容せざるを得ない。
 「何奴だ。」
 男は乾いた声で云った。
 「人ならぬ者。」そこにあるのは、美しい魔物であった。
 じりっと間を詰める弁天に、男は後ずさった。なおも詰め寄る弁天から逃れようとするかにして、しかし男は弁天の懐深くに飛び込んでいた。
 弁天の刃を封じ込める算段であったのだろう。が、男の動きはそこで止まった。目前に弁天の白い顔がある。弁天は形のよい赫い口唇に微かな笑みを浮かべて、男の躰から身を離した。男は下方より心の臓あたりの胸と背を貫かれていた。
 「常人であらば生きられはすまいな。」
 仰げば清雅に咲いていた山桜の花弁が、血に染まって色づいていた。
 枯れ枝を踏みつぶすにぶい音がして振り返ると、そこには沙門と鉄が立っていた。
 「こいつぁ、凄げぇや。」
 鉄はにやにやと笑っていたが、沙門の表情は堅く闇い。
 「計ったな。」
 その時になって、男達の襲撃が偶然でないことを知る。
 きりりと睨む弁天を鉄は一向にせず、山桜の根元まで歩み寄った。
 「おう、桜の花まで染まってやがる。」
 「酷いまねをさせる。」
 「へっ。色気付いた華はな、こうするんだよ。」
 鉄の怪力が山桜の幹を乱暴に揺さぶった。と、それまで散ることがあるのかと気丈に咲いていた花が、三人の頭上に無惨にも舞い散った。
 血を浴びた弁天の躰は、淫らに赤い花弁を纏う。
 「ほうら、お前と一緒だぜ弁天。毎日狂い咲いては散り果てる…。きれいじゃねぇか。」
 「夜毎、散るのか…私も。」
 (では、この二人も夜毎果てるのだ。私の中で…。)
 二度とは死ぬことの叶わぬ、魔道に堕ちた身なればこそ、そうして果てねば生きていけぬとでもいうのだろうか。
 (それとも、散らねば生きていけぬなら、我が身はまだ人なのだろうか。)
 沙門の無表情なその口唇に皮肉な含み笑いが浮かんだ。
 「人を斬っても咲くのか、お前は。」
 弁天の白い肌が微かに上気している。
 「では、散らせてやろう。」
 生臭い血の匂いのする接吻にもかかわらず、弁天の躰の深くで熱いものが滾っていった。蕩けるような陶酔に、また心があやふやになっていく。
 鉄が子供のように桜花を散らせて、面白がっていた。



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