黎明のささやき

<1>

「クラヴィスさま、あれは・・・」
パスハが闇の守護聖に声をかける。
「子供のようだな」
二人の視線の先に、もみ合っている数人の少年がいた。
よく見ると一人の子供を四、五人が寄ってたかって、袋叩きにしている。

中心にいる子供は、年の頃は八、九歳。
容赦なく殴られたのだろう、幼い顔は傷つき表情は苦痛にゆがんでいる。
「パスハ」
「は!」
パスハは音もなくその輪に近づくと、子供のまわりにいた少年たちを一瞬のうちに薙払った。
何が起こったか分からずに当惑する少年たち。
そう、彼らの目にはパスハも闇の守護聖の姿もいっさい映らぬのだ。
一陣の風が吹いたと思うと、土くれにまみれて地面に突っ伏している自分がいる。
「お、おい。ど、どうしたんだ」
当惑する少年たち。
すると、さらに風が吹いた。
土煙を巻き上げ、少年たちの横面を容赦なく張り、再び地面に投げ倒した。
しばらくは言葉を失った少年たちが、引き上げ始めるのに時間はかからなかった。

涙で汚れた顔を拭きながら立ち上がり、子供は二人の方を恐る恐る見た。
「あ、ありがとう」消え入るような小さな声が夜明け前の冴えた空気に溶ける。
二人の背の高い男は少し驚いた表情で子供を見返した。
「そなた・・・。我々が見えるのか」
何やら調べていたらしい猛々しい龍に似た姿の男が、もう一人の闇のごとき衣装をまとう男に言う。
「時空装置は正常に作動しています」
「ほお・・・。と言うことは」
ジジッ、とわずかな音がして、二人の男の姿がそれまでよりもしっかりと視界に現れた。
「そなたは、何か特殊な能力を持ち合わせているということか」
紫色の瞳がこちらを見つめてそう言った。
「だから、だから何だって言うんだ」
大人しそうな子供の瞳に一瞬獣のような光が走る。
「心配するな。我々はただの通りすがりの者だ。決してそなたに手荒なことはしない」
「・・・」横の男が何か言いたげな顔をする。
「そなた、何歳だ」
思いのほか優しい目で背の高い男が問った。
「・・・十歳・・」

「十歳・・・だと、とてもそうは見えぬな」
やせて小柄な子供の体つきを見て、暗い衣装の男は心持ち哀しそうな目をした。
「このような早朝に、あのような事態。親はどうしているのだ」
「親は・・・親はいない。あいつらは兄弟だ。といっても育てられた家が同じというだけの・・・」
「・・・」
「だけど、もう耐えられない。ボクは今日から家を出るんだ」
よく見ると辺りに子供の荷物らしきものが散らばっている。
わずかな衣服、そして破れかけた紙包みにパンが見える。
「でも、あいつらに見つかって・・・」
二人の大人と少年は散らばった荷物を一つ一つ集めた。
といえど、薄い衣服のほかにはほとんどなにもない・・・それが少年のすべてだった。
紫の瞳の主は少年に大切そうに荷物を渡す。
「そうか。では、これから一人で生きてゆくというのだな。しっかり頑張るがよい。そなたも十歳なら一人前だ」
そう言うとかがめた身体を起こし、立ち去るように衣服をひるがえした。
龍の男も後に従う。
「ま、待って!」
「なんだ」
「あなたは誰。この惑星の人じゃないね。・・・きっと身分の高い人なんだろうね」
少年は一体何故、その男を引き留めたのか自分でも分からなかった。
「・・・人に名を尋ねるときは、まず自分から名乗るものだ」
「・・・」龍の姿の男がイライラとしているのが少年にも読みとれた。
「名前・・・ボクには・・・名前はない」
少年はいくぶん吐き捨てるように言った。
「・・・と、いうのは」
「ボクは産み捨てられたと同じ。誰からも名前をつけてもらっていない」
二人の男の表情がさすがに変わった。
「そなたには、親も・・・名もないと言うのか」
「ああ。兄弟たちはボクのことをオマエとかチビとしか呼ばない」
「・・・」
背の高い男は立ち止まった。
「十年間、名前もなく過ごしてきた・・・というのか」
そうして、ゆっくりと向き直ると少年に近づいた。
そして、膝を折り少年の手をとる。
ひび割れた指先からは血がにじんで、それが澱のように固まっていた。
「・・・つらかったか・・・」
少年は両手を男に預けたまま思わず素直にうなづいていた。
紫の瞳を持つ天成の麗質は一瞬その無表情をくずし、ニコリと笑いかけたように見えた。
男が少年の手を握り返すと静かにオーラが少年の両手を包んだ。
「わたしが・・・そなたに名前を贈ろう」
「えっ・・・」
突然のなりゆきに少年はとまどいの表情を見せた。
「受け取ってくれるか・・・」
しかし、冗談や酔狂とは思えぬゆらぎのない男のまなざし。
その静謐な瞳に魅入られ再び少年はうなづいた。

ゆるやかに時が流れる・・・。
「明けぬ夜はない。そなたには、いかなる未来も開ける。・・・そういう名だ」
そして男は少年の耳もとに顔を近づけるとなにごとかささやいた。
少年の目から思いもかけぬ一筋の涙が流れた。

少年の手には見事な紫水晶が握られていた。
もう、あれから何時間経っただろう、明け方の光が裏さびれた路地にも射し込んでいる。
『わたしの名はクラヴィス。もう二度と会うこともないだろう』
そう言って、この世のものとは思えぬ男は再び立ち上がった。
そして、ふと気づいたように、己の右耳を彩っていた紫の輝きに手を当てた。
『そうだ。これをそなたに。守りとするもよし、また困ったときには糧とするもよし』
シャラ・・・。深い輝きを帯びた紫水晶は小さな音をたてて少年の掌に落ちた。

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