「リュミエール」
クラヴィスは、今日も執務室へ訪れた水の守護聖に問う。
「昨夜もわたしは、同じ夢を見た」
「クラヴィスさま、また、あの空を飛ぶ夢をですか」
「それが、毎晩、日を追うごとに鮮明になる。これは何かの前兆なのだろうか」
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「もうすぐだ」そう自分を励ますように言って、大きく翼を羽ばたかせたのは一人の精霊。
宇宙を統べる女王のおわす聖地において、あらゆる文の配信を司っているものであった。
先端の情報通信網が敷設された聖地において、文が用いられるのはおもに私信である。
精霊は聖地に交わされる心の交流を、人知れず静かに見守ってきた一人であった。
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精霊の視界に、輝く摩天楼の群が姿を現した。
「ここに、前女王陛下が・・・」
この宇宙はアンジェリークという名を持つ金の髪の女王が統べる。
精霊はその先代である255代女王、もう一人のアンジェリークのもとへ向かおうとしていた。
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先代女王は、明るく近代的な女性だった。
それまで、女王を多数輩出する名門より選ばれることが多かったが、
アンジェリークは宇宙に新たな道筋を開くものとして、
普通の暮らしを営む庶民から誕生した初めての女王であった。
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女王候補であったあの時代、アンジェリークがよく木登りをしていたのを精霊は知っていた。
木の上から見る風景が故郷のものと似ている・・・それが理由だったことも。
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前女王アンジェリークの部屋は、この摩天楼の最上階にあった。
きらめく光の海を見おろし、アンジェリークは静かな暮らしを送っていた。
聖地を離れて、すでに1年あまりの月日が経とうとしていた。
「あの方は、お元気でいらっしゃるだろうか」
そう、考えてアンジェリークはため息をついた。
こちらで、たとえ1年の歳月が流れていようとも、聖地では数日のできごとにしかすぎない。
何の変化があろう。
「哀しく寂しいのは私なのだ、あの方ではなく」
そのとき、窓の外に白い翼のようなものが見えた気がした。
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アンジェリークは窓に近づくと、それをわずかばかり開いた。
ひんやりとした空気が部屋に流れ込む。
「ここは最上階なのですから、くれぐれもお気をつけて。たとえ、下に防護柵はあってもですよ」
いつもディアがそう注意する。
それでも最上階を望んだのはアンジェリークだった。
アンジェリークがこの地を選んだのは、ここが北にあり日照の短い、そして、夜の長い街だったからだ。
この街では1日のうちのおよそ3分の2がしっとりとした闇の中に過ぎていく。
そして、この部屋は、
この街できっと一番聖地に近く、闇の帳をいちばんに迎える場所・・・そんな気がしたからだ。
ここでなら暮らしていける。
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精霊はアンジェリークを探し当てた。
しかし、これは現女王であるアンジェリーク・リモージュにとっては与り知らぬことだった。
精霊は誰にも知られることなく次元回廊を渡り、星の街道を通ってこの惑星に到達したのだ。
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精霊はあらかじめ考えていたとおり、人の姿となった。
この街ではそれがもっとも違和感のない存在と思えたからだ。
精霊には特定の姿はない。
ときには大天使のように大きな翼を広げ、ときにはエンジェルのように、
ときには霧のように姿を変えることも可能であった。
中でも霧のように透明であることは精霊にとって望ましい姿であった。
なぜなら具現化すると生身と同様の束縛も受ける。
普通の人間になると、大空を飛ぶことはできないのだ。
しかし、もはや今のアンジェリークには姿のない精霊の存在は髪の毛ほども感ずることはできないのだ。
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精霊は礼儀正しく、アンジェリークのドアをノックした。
しばらくするとジジッと音がしてドアの遙か高いところにあるカメラが自分を映しだしているのを感じた。
「どなたですか?」
思いがけぬ時間の訪問者に少しとまどったアンジェリークの声が答えた。
「前女王陛下・・・わたくしでございます。手紙の精霊でございます」
周辺に気配りしながら、できるだけ声を低くして精霊は言った。
扉の向こうで沈黙が支配した。
「無理もない・・・」
しかし、しばらくしてドアは開いた。
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精霊が久しぶりに見るアンジェリークは、あの女王候補時代を彷彿とさせた。
金の髪がほっそりとした肩に豊かに波打ち、その笑顔はまわりを明るくさせる天性の輝きを持っていた。
それでいながら、くっきりと結ばれた口元はかつての女王にふさわしい英知と経験を物語っている。
「アンジェリークさま」
精霊は片膝をつき、懐から一通の手紙を取り出しアンジェリークにうやうやしく差し出した。
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精霊は大切な一つの仕事を全うし、その建物の屋上から飛び立った。
まるで、大天使のように優雅な姿で。
「前女王陛下アンジェリーク」
そして、名残を惜しむかのように振り返った。
摩天楼の最上階の窓からアンジェリークの姿がのぞいていた。
まるで、身を乗り出すかのように見えたのは気のせいか・・・。
次の瞬間、思いがけないことが起こった。
アンジェリークの身体が傾き、窓を乗り越え、宙に舞ったのだ。
精霊の反応は素早かった。
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クラヴィスはハッと目を覚ました。
体中にじっとりと汗をかいている。
いまの夢は・・・。
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数日後、姿がみえぬと心配されていた手紙の精霊がふいと聖地に現れた。
精霊は傷ついた翼をかばうように、次元回廊から現れ、
まっすぐにクラヴィスの執務室へと向かった。
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「お前だったのだな」
突然の精霊の訪れにさして驚く風でもなくクラヴィスは言った。
「以前の文をお届けして参りました」
闇が支配する執務室の中で、端正な横顔をみせるクラヴィス。
闇の守護聖はいつもに増して昏い深淵へと視線を漂わせているようだった。
「・・・。以前の・・・というと」
クラヴィスはそう言いながらゆっくりと向き直り、
ところどころ羽がちぎれ痛々しいほどの精霊の姿を眺めた。
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精霊は先代のアンジェリークが女王候補だったころ
この闇の守護聖と心通わせていると知っていた。
互いに文も何度か交わしあっていた。
・・・しかし、あるときこの二人の間に行き違いが生じ
その解決はなされぬまま、アンジェリークは女王となったのだ。
このときから闇の守護聖の笑顔は闇の帳の向こうに封じられたままだった。
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しかし・・・精霊はいまだ差し出されぬ一通の文の存在を知っていた。
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それはアンジェリークが女王に任命される前夜に
闇の守護聖が書きしたためたアンジェリークへの文だった。
そこには、森の湖での哀しいできごとと深く傷ついた心情、
それにも勝る愛が率直に記されていた。
女王就任によって渡されずじまいとなったその文・・・。
精霊はあの夜ようやくアンジェリークへ届けることができたのだ。
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あのときアンジェリークはしばらく顔をあげなかった。
手紙を持つ手がかすかに震えていた。
「よく届けてくれましたね・・・」
「いまの、私にはこれしか申し上げることができません・・・」
精一杯努力してアンジェリークはそれだけ言った。
精霊は、静かに頭を下げるとアンジェリークの部屋を退出した。
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「その翼はアンジェリークを助けてくれたときに傷ついたものか」
クラヴィスは静かに言った。
感謝の気持ちがこもっているように精霊には聞こえた。
「それにしても・・・なぜ・・・」
「クラヴィスさま・・・アンジェリークさまは私を引き留めようとなさったのです」
そしてくしゃくしゃの小さな紙切れを差し出した。
「お急ぎになられたのでしょう」
精霊はあのとき窓から身を乗り出し自分を見つめるせっぱ詰まったようなアンジェリークの表情を思い出していた。
部屋の中からメモ帳らしきものをさがし、
ペンのキャップをとり、
急いで書き取るアンジェリークの姿が
精霊の目の前に浮かぶようであった。
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クラヴィスはその紙を受け取り目を通した。
少しの後、闇の守護聖の時間が止まったように見えた。
そして、緩慢な仕草で立ち上がると、
目をふせたまま精霊の方へ向かって手で合図をした。
退出せよ・・・との。
そのまま長身の闇の守護聖は後ろを向いた。
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二度とあいまみえることのない二人。
木の上のアンジェリークが、森の湖が、そして女王即位の瞬間が・・・
走馬燈のように流れていく。
文にはたった一行が、万感あふれる一行が記されていた。
クラヴィスが忘れることのないあの懐かしい筆跡で
「ありがとう」と・・・。
★
完