例えば私が公衆トイレで用を足した時、隣りのおっさんのイチモツが見えてしまったとしましょう。
言うまでもなく、あまり気分のよろしいものではございません。
女性であるなら、人通りのない夜の道で、向うから歩いてきたおっさんがコートの前をはだけたら、
彼のイチモツが丸見えだったというような状況。これまた、気分のよろしいものではないでしょう。
この気分のよろしくなさについて、物理学的に考察してみたいと思うのであります。
モノが見えるということは、太陽や照明器具から発せられた光が、
途中で様々な物体に反射することもありますが、最終的にはそのモノに反射して、
その光が我々の目に届くということです。
光は電磁波の一種です。波として伝わる性質を持ちます。
池の真中に石ころを投げた時のことを想像して下さい。石がポチャンと水面に落下すると、
波が発生して、その波が周囲に広がります。それは、水面の上下の動きが伝わっているだけで、
石の落下点の水が周囲に動いているわけではありません。波というのはそういうものです。
イチモツに反射した光が我々の目に届くことに関しても同様です。
イチモツ表面における電磁場の揺らぎが周囲に伝わるだけでして、
何かしらのモノが我々の目に届くわけではないのです。波というのはそういうものなのです。
しかしながら、量子力学の本の最初の方に書いてあるように、
そしてイチモツが見えるということに関連してはとても不幸なことに、
光は波の性質と粒子の性質を併せ持つということになっているのです。
これを光の二重性などと呼びます。
つまり、光を波として捉えた、上記の電磁波の伝わり方に関する解釈は間違ってはいないのですが、
同時に、光を粒子として捉えた解釈もまた成立するのです。
光は粒子の流れだと想定します。太陽や照明器具からは光の粒子が飛び散っています。
パチンコ玉のもっともっと小さい奴が飛び散っている様を想像して下さい。
で、あれやこれらに反射することもありますが、最終的にはイチモツ表面で反射した光の粒子が
我々の目の中にまで入って来て、それで、我々はイチモツが見えたと感じるわけです。
この場合、我々の目に届く光の粒子はイチモツの表面との相互作用の結果、反射されて、
それから我々の目に届くのです。相互作用というのは難しいですね。
面倒だから、パチンコ玉が何かにぶつかって跳ね返る様を想像しましょう。
つまり、光の粒子はイチモツの表面に触ってから跳ね返されたのです。
ね、不幸なことになるでしょ?
光を波として考えた場合は、我々の目とイチモツの間には、直接的な関係は存在しないのですが、
光を粒子として考えると、我々の目に届く光の粒子は、
きっちりとイチモツに触っているのでございますですよ。きたねーのですよ。
だから、イチモツを見るとあまり気分がよろしくないのですよ。
この解釈に文句がある人はアインシュタインに文句を言いましょう。
光の粒子性を言い出したのは彼ですからね。