「ごまっとう」なる三人組はまだ三人で活動しているのでしょうか?
後藤真希、松浦亜弥、藤本美貴の三人で間違いないですよね。で、それぞれにゴマキ、
あやや、ミキティなる愛称がございます。後藤真希については「ごっちん」とも呼ばれていますが、
私としてはゴマキを支持します。私が支持しても何がどうなるものでもございませんけど。
そもそも、私には彼女たちと同じ歳の娘がいてもおかしくないわけで、
それは微妙に悲しい事実ですし、
娘のような歳の女の子に対して女を意識するのはいかがなものかとも思うのですが、
私が50歳になったときに、例えば25歳の女性とお付き合いするのと同じようなものと考えれば、
俗に言う「犯罪」ではありますが、そこはそれ、魚心あれば水心、
などと訳の分からない論理で自分を正当化してしまうのです。
さてさて、私が日常会話において「ゴマキ」と口にすることは比較的普通に出来ることです。
ところが、「あやや」と口にするのはちょいと恥ずかしいと思ってしまいます。
「ミキティ」に至っては、「ティ」とは何ぞやなどという本質的な考察を脇に置いといたとしても、
口に出す時は言ってね、ではなくて、口に出すのがかなり恥ずかしい単語なのです。
誤解のないように申し上げますが、私はなにも藤本美貴ちゃんに対して
「そんな愛称で恥ずかしくないのか?」と言っているわけではないのです。
私自身が「ミキティ」と発声することが恥ずかしいだけなのです。
ミキティには罪はありません(これを書くだけでもちょいと恥ずかしかった)。
「ゴマキ」「あやや」「ミキティ」に対して、こういった恥ずかしさの違いがあるのは、
何に依存しているものなのか、非常に興味深いところではありますが、
私には恥ずかしさの理由がはっきりとはわかりません。
私の彼女達に対する愛情の深さには無関係かと思います。
私の魚心は三人に対して平等でございます。
あえて恥ずかしさの理由を考察してみましょう。「ゴマキ」という言葉の響きは、
男性的、江戸っ子的なものを感じます。口語における男口調に近いものでしょう。
だから、普通に口に出すことができるのでしょう。
「あやや」に関しては「あや」に「や」を付け加えただけではありますが、
「や」が重なってしまうことで、赤ちゃん言葉的な響きになっています。
それが「あやや」を発声することの恥ずかしさに繋がっているのではないかと思われます。
「ミキティ」は、「ミキ」という日本人の名前に「ティ」
という英語を連想させる語尾を強引に問答無用で付加しています。この強引な日英混合具合と、
問答無用でカワイイ系単語を創作していることによって、
恥ずかしさが醸し出されるのではないかと思うのです。
アイドルの愛称には、しばしば「あやや」「ミキティ」のような恥ずかしさがつきまといます。
芸名や歌詞やキャッチにも、この種の恥ずかしさが見られることもあります。
恥ずかしいと思うこと自体、私が歳をとっていることの証明なのかもしれませんが、
そもそもアイドルというものは、可愛さを恥ずかし風味のギミックで包むことによって
成立するのだとすれば、この種の恥ずかしさを乗り越えた時、あるいは全面的に受け入れた時に、
初めてファンたりうるのかもしれません。一種の踏み絵みたいなものかもしれません。
ライブの会場で大声で「ミキティ!」と叫ぶことが出来ないとファンとは認めてもらえないなら、
私は一生ファンにはなれそうもありません。
ところで、私と同世代かちょいと上の世代の男なら、
「藤本美貴ってキャンディーズのミキちゃんのことか?」
などと思ったことがある人がかなりいるはずです。私も一瞬だけそう思ったことがありました。
念のため、元キャンディーズのミキちゃんは「藤村美樹」さんでございます。
さらにところで、「ミキティ」という愛称はサンリオから訴えられたりしないのでしょうか?