2003年4月3日


100 の愛


人には愛のエネルギーが 100 あるとしましょう。ここで言う愛とは男女間の愛のことです。 いつも定常的に 100 全てを愛のエネルギーとして使っているとは限りません。 最大値で 100 ということです。愛する人が誰もいないときは、全然使ってないことになります。

例えば山田太郎君の場合、恋人の田中花子さんに対して 50 の愛を使っています。 恋人なのにたった半分なのか、と思われるかもしれません。残りの 50 のうち、 30 位は未使用で、20 は職場の同僚の女性とか、某グラビアアイドルだとか、 今朝電車で見かけた美人 OL さんとかに使っているなんていう状態だとしましょう。

どんなに恋人のことを愛していたとしても、多少なりとも他の女性に対しても愛があるものです。 これは男女を問わずそうだと思うのです。芸能人のファンだったり、 日常的に会う人の中にもちょっと気になる異性がいたりして、 100 を全て一人の異性に使うことは皆無に近いのではないかと思います。

山田太郎君が田中花子さんに対して 50 だということは、男としては「恋人一筋」 と言っても良いのではないかと思うのです。ご存知のように、男なんていい加減なものでして、 色々な女性にすぐに目移りしてしまうのです。そして、同時に複数の女性に対して、 それなりに高いレベルの愛のエネルギーを使うことが出来るのです。その良し悪しは別にして、 私の感覚としては、一人の女性に対して 50 という数字は、かなり高いと思うのです。

二股かけているような場合、二人それぞれに 30 位でしょう。 残りの 40 は芸能人その他の女性に使われたり、未使用もあることでしょう。

三股四股なんている豪の者もいますが、そういう場合は、ある日はA子に 40、B子に 20、 C子に 10、その他に 30 なんている割合で、別の日には三人への愛の比率が変化するんでしょう。 で、平均すると三人がほぼ同じような値になるのでしょう。

このように、愛のエネルギーは時々刻々変化します。 山田太郎君が田中花子さんを初めてホテルに誘って、彼女が恥ずかしげに「うん」 と頷いた瞬間にはエネルギーは 95 位を記録すると思われます。

それは愛ではなく「やりたい」だろ、との指摘があると思われますが、 男にとっては愛とやりたいは近いというか切り離せないというか、 イコールではないと思うのですが、きっぱりとイコールと言い切ったほうが潔いというか、 そういうものでございます。

話を戻しますが、例えば一ヶ月の平均で山田太郎君が田中花子さんに対して 50 だとしたら、 私としては「恋人一筋なんだなぁ」と思います。つまり、男にとっての「一筋」 のボーダーラインは 50 かもしくはもっと低いと思うのです。

ところが、女性の場合はちょっと違うような気がします。女性にとっての「一筋」 のボーダーラインは、70 とか 80 とかではないかと想像しています。 数字を厳密に定義している訳じゃないので、ちょっといい加減な論理ですが、 私の主張の主旨は理解して頂けるでしょう。

こういう違いは、男と女が相互理解に達しにくい点だと思われます。

因みに、男は 10 の相手とも喜んでセックスします。5 でも喜んで。1 でも。 もちろん、セックスの直前にはその数字がいきなり極端に高くなることは珍しいことではありません。

女性の場合のボーダーラインは 50 位でしょうか、あるいはもっと上でしょうか? もちろん、 20 でも出来る人もいるとは思いますが、平均したら、セックスに対するバリアの高さは、 男の何倍にもなることでしょう。

これもまた、男と女が相互理解に達しにくい点でしょう。

「男なんて、愛してなくても誰とでもやっちゃうのよね」などと言う女性がいます。 つまり、5 とか 10 とかは「愛」ではないとの主張です。まあ実際、5 とか 10 を「愛」 と呼ぶのはいかがなものかとも思いますが、だからといって愛でないとも言えませんで、 やはり同質なものの程度とか強さの差なんだと思うのです。

仮に、ある程度の期間の平均で最低でも 30 位ないと愛ではない、とするならば、 男は愛がなくてもセックスは出来る、という表現に間違いはありませんが、 私としては、男は 5 の愛でもセックス出来る、という表現のほうがより正確だと思います。

愛というモノを生真面目に考えると、上記のような主張には頷けないかもしれませんが、 「愛」などという後付けの概念に人の実態を当てはめようとして、あまりに生真面目に考えて、 あーだこーだと悩むのは、私としてはあまり意味がないと思っています。 愛という概念があろうがなかろうが、人の人としての実態に変わりがあるわけでもありませんし、 人の人としての価値に変わりがあるわけでもありません。

人の実態の中から色々な要素を探してきて、それらを総称して「愛」と呼ぶことは結構ですが、 それはあくまでも後付けの概念ですから、始めに愛ありき的に考えてしまうのは、 思考の(あるいは感情の)ワナにはまる可能性を秘めていると思うのでした。

ということで、ある種思考実験的に、でも半分以上は本音でお送りしました。




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