朝の通勤電車でのことです。
ある駅からシスターさんが二人乗ってきました。二人とも 50 歳は越えていると思います。
もしかしたら 60 歳も越えているかもしれません。
電車の中に空席はなく、吊革につかまって立てる場所も 8 割がた埋まっていました。
座れるのが一番良いのは当然ですが、それが無理なら、
楽に立っていられる場所を求めるのは人間として当たり前です。
二人のシスターさんも考えることは同じです。
ということでその二人、電車に乗り込むないなや、空いている吊革にダッシュして来たのです。
ダッシュという表現が当たっていると思います。彼女達の目指した場所は私の隣りでして、
1.5 人分位のスペースが空いていました。
そこに二人でダッシュして来たのです。体当たりというほどひどくはありませんが、
かなり強引に、1.5 人分のスペースに二人が体を入れたのです。私は押されて、
ちょっとよろけてしまいました。
通勤電車の中では、その程度の体のふれあいは日常茶飯事ですから、
それ自体に文句を言うつもりはありません。ただ、あのダッシュはあまり上品とは言えません。
シスターさんというと、慈悲深くて慎み深いようなイメージがあります。日常生活においても、
慈悲深い言動であろうと思われます。しかしながら、空きスペースにダッシュするさまは、
私が勝手に想定しているシスターさんのイメージとはかけ離れたものでした。
いわゆる普通の「おばちゃん」のノリです。おばちゃんはそういう場合、
軽いパニックにとらわれたかのように周囲が見えなくなって、
going my way となってしまいがちです。そのシスターさん二人もまた、
その瞬間は going my way でした。
おばちゃん化現象は恐るべきものです。シスターさんの信仰心にも勝つのです。
一般に信仰心とは極めて強固なものだと考えられております。特に歪んだ信仰心ほど強固です。
そのシスターさん達の信仰心が歪んでいるとは思いませんが、
シスターとして生きる道を選んだのですから、おそらくとても信仰心が厚いのだと思われます。
でも、おばちゃん化現象のパワーはその信仰心をも凌ぐのです。
我々はよく、おばちゃん化現象について文句を言ったり、茶化したり、怒ったり、
嘆いたりします。しかし、道徳とか倫理とかマナーとかいう観点で、
おばちゃん化現象を語るのは間違いであることは明らかです。シスターさんですら、
おばちゃん化現象には勝てないのですから。
おばちゃん化現象は、ヒトという生物のメスにおける生理的な現象として考察しなければなりません。
お腹が空いたり、排泄したりといったことと同列の現象なのです、きっと。
おばちゃん化現象は信仰心にすら勝つのです。ですから、
怪しげな新興宗教にどっぷりはまってしまっているおばちゃんですら、
立派におばちゃんなのです。わけのわからんことを言っていても、
ことある毎におばちゃんが顔を出すはずです。宗教人である以前におばちゃんなのです。
もちろん、それは教祖様であっても例外ではないでしょう。仮に「ミカエル大王」
(ミカエルって大天使だったはずだけど、いつから大王になったのやら)
を自称する女性教祖がいたとしても、彼女は「ミカエル大王」である以前に、
立派におばちゃんであるはずなのです。
ミカエル大王とおばちゃんでは、間違いなくおばちゃんが勝つのです。