男は時々「下半身は別人格」などと申します。
倫理的、道徳的にはいけないこととは知りつつ、ついついヤッテしまったような、
そういう事態に対する言い訳です。
女性の場合も「下半身は別人格」ということがあるのかもしれませんが、
男よりはずっと少ないでしょう。女性の場合はむしろ、「デザートは別腹」でしょう。
「デザートは別腹」とは言っても、胃がふたつあるとか、
腹がふたつあるとかいう話は聞いたことがありませんので、
「別腹」であるはずはありません。
同様に、「下半身は別人格」とは言っても、ムスコに人格などあるはずもないし、
ムスコの制御も脳みそがやっていることでして、「別人格」なんかではありません。
もちろん、「下半身は別人格」と言う人もそれを聞く人も、そんなことは百も承知でしょう。
ただ、それはそれとして、「下半身は別人格」には居直りにも似た「しゃーないもんね」
という意味があるように思われます。
例えば私の前に吉岡美穂ちゃんが現れて、「お願い、抱いて」と言ったとしましょう。
既婚でありながら、吉岡美穂ちゃんを抱いてしまうのは、
倫理的には決して誉められたことではありません。しかしながら、私は断言してしまいますが、
もしそんなことになったとしたら、私は「お願い、抱いて」を最大限に尊重することでしょう。
そんな時、人によっては「下半身は別人格」などと言うかもしれません。
しかし、それは吉岡美穂ちゃんに失礼というものです。彼女の「お願い、抱いて」
という真摯な気持ちに答えたのは、下半身の別人格なのですから、失礼極まりません。
私は、冗談話として「下半身は別人格」と言うことはあっても、「下半身は別人格」
という言い訳はしたくありません。実際、「下半身は別人格」というのは、
私の実感からはかけはなれています。
上半身と下半身というのは、理性と本能と言い換えてもよいでしょう。
本能はヤリまくりたいわけです。ですから、吉岡美穂ちゃんの「お願い、抱いて」
に真っ先に反応するのは本能です。理性がいくら「それはまずいよ」と言ったところで、
本能はそんなものは無視して暴れまくります。
で、最終的に「お願い、抱いて」を尊重したとすると、
それは本能が理性に勝ったことを意味するのでしょうか?
私にはそうは思えないのです。本能が理性に勝ったと言うと、理性は最後の最後まで抵抗したけど、
本能の圧倒的な力で押しつぶされたかのようなイメージです。でも、実際はそうではないと思います。
理性が本能にOKを出している、というのが正しいと思うのです。少なくとも私はそう感じます。
理性はそれなりに損得勘定をしているはずなんです。損得の計算が甘いことはあるでしょうが、
基本的には損得勘定の結果、OKを出しているのです。
「下半身は別人格」と言う時には、「理性と本能の対決で本能が勝った」
を意味することがありますが、その他人事モードが好きにはなれないのでした。
下半身とか本能とかのせいにしてるけど、実際は上半身とか理性とかがOK出してるくせに、
などと思うのですよ。
理性的という言葉のイメージは人それぞれかもしれません。
本能の対立概念として理性を位置付けているのが一般的なイメージかもしれません。
でも、私は少し違います。私は自分を理性的だと思ってますが、
私の理性は本能の欲求に寛容であるような、そんな理性なのです。