その男の名前を仮に渋沢君としておきましょう。私の会社の社員です。
正確な年齢は知りませんが、おそらく 40 歳前後でしょう。
渋沢君とは仕事上の付き合いはほとんどありませんので、何の仕事をしているのかも良く知りません。
時々、彼を喫煙室で見かけます。喫煙室は四畳半位のスペースで、
テーブルが一つ、椅子が四脚あります。灰皿はテーブルの上にいくつか。
渋沢君は決して椅子には座りません。喫煙室ではいつも立ったままタバコを吸います。
いや、立ったままではありません。歩き回りながらです。
四畳半位のスペースにテーブルと椅子が置いてあるので、残りのスペースはそんなに広くありませんが、
そこを歩き回るのです。時々は立ち止まりますが、2 秒とは止まったままではいません。
喫煙室では常に歩き回っているのです。
動物園の熊、という例えがありますが、渋沢君はまさに動物園の熊です。
この例えがこれだけぴったりと当てはまる人を、私は他に知りません。
喫煙室は休憩室でもあるわけですが、彼は狭い部屋を歩き回りながら休憩しているわけです。
はっきり言って鬱陶しいです。
歩き回っているだけでも鬱陶しいのですが、渋沢君はさらにせわしないことをします。
タバコの吸い方がヘンなのです。ウロウロと歩き回りながら、タバコを吸って煙を吐くという行為を、
全ての呼吸で行うのです。タバコを吸う人ならわかると思いますが、通常は、
タバコを吸って煙を吐いたあと、次にタバコを吸うまでに、
何回かタバコなしの普通の呼吸が入ります。でも、渋沢君の場合はそれがありません。
すーーー、はーーーという呼吸全てが、タバコを吸って吐くことになっているのです。
ですから、彼のタバコはあっという間に根元まで灰になります。彼の喫煙室滞在時間は、
平均的な人の滞在時間の半分以下でしょう。いや、1/4 以下かもしれません。
何人かが喫煙室で喋っていると、彼が入ってきて、歩き回りつつ超特急ペースでタバコを吸って、
あれよあれよという間に吸い終わって、さっさかと喫煙室から出て行きます。
どうでもいいと言えばどうでもいいのですが、ウロウロと歩き回りながら、
せかせかとタバコを吸うのですから、鬱陶しさは倍増なのです。
何かとても大切な懸案事項を抱えていて、それに関する重要な結論が今にも出される、
というような切羽詰った状況であるなら、渋沢君の喫煙マナーも納得出来なくはないのですが、
彼はいつもこの調子なのです。
いつも喫煙室に入り浸りで、雑談ばかり延々としている奴も困ったものですが、
渋沢君のようなパターンもまた、あまり歓迎されないのは言うまでもありません。
仕事が一段落して、ゆったりとした気持ちで一服しているところに渋沢君が入って来ると、
ゆったり感が台無しになってしまうのです。
こういうのを喫煙マナー違反と呼ぶのは違うようにも思いますが、少なくとも、
喫煙室にいる他の人にとっては、心地よい経験ではありません。
何よりも、そんなにせわしない渋沢君本人が、ただでさえ体に良くない喫煙の、
唯一とも言ってよい利点を放棄しているようで、ヘンな奴、という評価をせざるを得ないのです。
そういえば、渋沢君が喫煙室で誰かと雑談している光景は見たことがありません。
全ての呼吸でタバコを吸って吐いてしているのですから、雑談なんて出来ないわけですが、
彼は誰にも話しかけず、そして誰も彼には話しかけない、ということなんですね。