私はここで、「男とは〜〜というものだ」的なことをしばしば書いています。
主に女性やセックスに関してのことです。私は男ですから、男の気持ちは分かります。
それを隠し立てせずに書いてしまうことの是非はおいといて、
基本的には正しいことを書いているつもりです。
例えば、ある男女が付き合い始めの頃、ただし性的な関係はまだだとすると、
その男女の会話において、男の全てのセリフの後には常に、(やりてー)
が付いていると見なすべきであります。
「今度のデートだけどさあ、六本木ヒルズに美味しいイタリアンの店があるんだけど、どう?」
(やりてー)
「じゃあ次の店に行こうか。恵比寿にちょっといい感じのバーがあるよ」(やりてー)
「このカクテルがオススメだよ」(やりてー)
とまあ、こんな感じなわけです。
医学的に見ても、男の脳からは性欲に大きな影響を持つホルモンが、
女性の 30 倍も分泌されているわけでして、女性が想像するよりもずっと、
男は日常的に(やりてー)状態になっているのです。
それこそ、電車でたまたま隣に座った見ず知らずの美人 OL さんに対しても(やりてー)なわけでして、
でも、その(やりてー)が実現するはずはありません。100 回(やりてー)と思っても、
それが実現するのは一回にも満たない確率なのです。どんなにモテるイケメン男でも、
どんなにさえないオヤジでも、1/100 以下という意味では同じです。男は日常が挫折なのです。
こんな話をすると、一部の女性は、男に失望したり、男性不信になったりするかもしれません。
「そんなにいつでも誰にでも(やりてー)なのはさいてー!」という感じでしょう。
男が常に(やりてー)なのは、医学的事実であって動かしがたいものです。
でも、男の立場から弁解するならば、(やりてー)には違いありませんが、
それはあくまでもベースとしてそうなだけでして、そのベースの上に、
どんな個性をかぶせるかで、男としての価値が決まってくると思うのです。
どんな男でも基本は(やりてー)です。ただし、
それをいつでも無条件にストレートに言動で表わしてしまう男もいますし、
(やりてー)という気持ちを単に押さえ込んでいるだけで、上手く表現できない人もいます。
時と場合と(やりてー)以外の自分の気持ちと、もちろん相手の気持ちも見計らって、
女性にとって受け入れやすい形で表現する人もいます。
何かの勘違いに基づいて、女性に嫌がられる表現ばかりをしてしまう人もいます。
この違いが個性です。
私は自分なりの基準において紳士でありたいと思っていますが、紳士たるもの、
(やりてー)という気持ちをどう扱うかが重要です。(やりてー)は否定できません。
私は(やりてー)の存在を見て見ぬ振りも出来ません。ただし、
のべつまくなしにそれをストレートに表現したいとも思いません。
制御された(やりてー)の表現でありたいと思います。問題はどういう制御が最適なのかですが、
相手や状況によって見かけ上の制御ロジックが変わって来ます。
それらの条件を全て網羅した法則のようなものは、残念ながら見出すには至っていません。
ですから、紳士かどうかも大いに疑わしいのは事実です。
ちなみに、ここで男の(やりてー)について書いているのは、(やりてー)の表現ではありません。
表現するのは特定の女性に対して、ということです。