女性と話をしていて、「女心は分からない」というようなことを言うと、
「男心だって全然分からないわよ」などと切り返されることがしばしばあります。
男女は両方ともお互いのことを「分からない」と感じているのですが、
その構造にはいささかの違いがあるように思います。
以下は想像も含む私の個人的見解でございます。はずしている点もあるかもしれませんし、
あてはまらないケースもあるかもしれませんし、乱暴にまとめていますが、そこはご容赦の程を。
まず、「女心は分からない」というのはどういうことかと言うと、女性の表面的言動と本音について、
1. 表面的言動と本音が一致していないことが多い
2. 表面的言動と本音を繋ぐ原理原則が多種多様で、本音を特定できない
こんなところではないかと思います。男から見たら、女性の表面的言動から、
「・・・・という言動をとったということは、本音は〜〜である」というように、
本音を知る術がないのです。ですから、「女心は分からない」です。もっとも、女性にとっても、
女性の表面的言動から本音を知る術はないと思われます。両者を繋ぐ原理原則が多種多様だからです。
実際、女性に対して他の女性の表面的言動を示して、「本音は何?」と尋ねても、
いくつかの選択肢は示したり、推定は教えてくれますが、
なかなか断定的には言ってくれないことが多いです。つまり、本音は分からないのです。
ただし、仮に本音が分かったとすると、その表面的言動をとった心情は「分かる」のでしょう。
そういう意味では、女は女心が分かる、と言えますが、男はそれすらも「分からない」です。
一方、男心に関しては、
1. 表面的言動と本音が一致していないことは少ない
2. 一致しない場合でも、表面的言動と本音を繋ぐ原理原則はひとつあるいは少数であり、
本音を特定しやすい
だと思います。基本的には本音の言動であり、本音を隠していたとしても、
隠し方がワンパターンなので、ひじょーに分かりやすいわけです。
私は男ですから、男の立場で書いてます。そうすると、「女心は分からない」けど
「男心は分かりやすい」になってしまいました。ところが、「男心だって全然分からないわよ」
とおっしゃる女性は少なくありません。この理由を以下に説明します。
男の表面的言動と本音の関係は、かなり論理学的だと思います。
「A ならば X」「B ならば Y」「C ならば Z」という感じで演繹可能なのです。
それも、ひじょーに単純な原理原則、あるいは法則に基づいて。男女関係で言うなら、
例えば「やりてーの法則」です。
ですから、男同士では「男ほど単純で分かりやすいものはない」くらいに思ってます。
女性の場合、男に比べて論理学的ではありません。
「A ならば X かもしれないし Y かもしれないし Z かもしれない」ですし、
「B ならば X かもしれないし Y かもしれないし Z かもしれない」ですし、
「C ならば X かもしれないし Y かもしれないし Z かもしれない」です。
ABC と XYZ の組み合わせは何でもありで、一対一対応するような原理原則や法則はないのです。
女性に「男心は単純だよ。原理原則があるんだから、それを当てはめればすぐに分かるから。
その原理原則は〜〜だよ」などと説明すると、その時は「なるほどねぇ」と聞いています。
「目からウロコです」などと言われることもあります。
ところが実際に、その彼女が周囲の男の言動を目の当たりにすると、
「原理原則は〜〜」ということは覚えているんですが、必ずと言ってよいほど、
「でも、この場合は原理原則が当てはまらないかも・・・」と考えてしまうんですよ。
で、「男心は分からない」になってしまいます。
当てはまります。原理原則なんですから、ごくまれに当てはまらないことはありますが、
ほとんどは当てはまるんです。で、原理原則は実際に多くの女性たちは知識として知っています。
男心は論理学的なんですが、女心がそうではないため、女性は男心を「A ならば X」
のように論理学的に結論付けすることを心地よく思わないようです。それで、
「でも・・・」と原理原則の適用を避けてしまう傾向があるように感じます。
原理原則通りのことなのに、原理原則を知っているのに、それでも避けてしまいます。
「でも・・・」がなければ正解に辿り着くんですけどね。
ある女性に上記のようなことを話したら、「ああ、必ず『でも・・・』って考えるわ」
とおっしゃってました。
簡単なことを難しく考えている、というのはちょっと違うでしょう。
「A ならば X」「B ならば Y」「C ならば Z」の世界と、
「A ならば X かもしれないし Y かもしれないし Z かもしれない」
「B ならば X かもしれないし Y かもしれないし Z かもしれない」
「C ならば X かもしれないし Y かもしれないし Z かもしれない」
の世界とのギャップなのかもしれませんね。