尼崎の脱線事故のニュースを見聞きしていると、どうにもすっきりしない点があります。
それは制限速度の概念についてです。「制限速度を何キロ超過して・・・」
なんていう言われ方をしています。
尼崎の事故は置いといて、一般的に列車の運行を考えてみましょう。
列車をダイヤ通りに運行するにあたって、想定してる速度というのがあると思います。
もちろん、その想定速度は場所場所で異なるでしょう。駅と駅の間隔が長くて線路が直線なら、
想定速度は高くなるかもしれませんし、カーブでは低くなるかもしれません。
その想定速度というのは、「制限速度」ではなく「標準運行速度」とでも呼ぶべきものでしょう。
標準的な運行を行う上での基準となる速度、というような意味です。
「制限速度」という言葉には、本来は別の意味があると思います。
列車や線路の構造上、これ以上のスピードは危険である、というようなスピードが
「制限速度」と呼ばれるべきものではないかと思います。危険をどう評価して、
マージンをどの程度見て、どこに「制限速度」を設定するかという問題はありますが、
それは置いといて、大雑把に言うなら、「制限速度」の意味としては、これ以上は危険、
ということだと思うのです。
もちろん、用語は上記と異なっていてもかまいません。通常運行のための速度を「制限速度」、
これ以上は危険なのを「危険速度」などと呼んでも良いのですが、私の言いたいことは、
二種類の速度は違った概念であり、それらを混同してはならない、というものです。
ここでは仮に、「標準運行速度」と「制限速度」という呼称を用いましょう。
一般的には「標準運行速度 ≦ 制限速度」という関係が成り立つでしょう。
「標準運行速度 < 制限速度」でも良いかもしれませんね。
安全ギリギリのスピードが通常運行というのはあり得ないことだと思いますから。
もしある列車の運行が遅れたとして、それを取り戻すため、「標準運行速度」は超えたけど
「制限速度」の範囲内のスピードで走行したとしたら、それは(鉄道会社の運行規則は知りませんが)
さほど非難されるべきことではないと思います。もし、「制限速度」を超えて走行したら、
それは非難されて当然でしょう。
尼崎事故の一連の報道を見ていると、「標準運行速度」と「制限速度」の区別が全然分からないのです。
JR 側ですら、そういう区別をきちんとしているかどうか、報道からは伝わってきません。
仮にあの事故の時、列車が「制限速度」を超えて走っていたとしたら、運転士は
「制限速度」の意味を理解していなかったんじゃないかと勘ぐってしまうわけです。
「制限速度」という用語は使っていたとしても、運転士の意識は「標準運行速度」的なもので、
「多少オーバーしても安全性には問題ない。それよりも、遅れを取り戻すことが重要」
といった考えになっていたのかもしれません。
私は鉄道の運行については全くの素人ですが、素人なりに考えても、「標準運行速度」と
「制限速度」といった二つの概念と、その区別の重要性に思い至るわけです。
あくまでも報道を通じての印象ではありますが、
この二つがきっちり使い分けられているようにはみえません。あるいは、本来は使い分けられていても、
運転士一人一人のレベルには充分に浸透していないか。
ここで思い至るのは、道路の「制限速度」です。
道路の「制限速度」について、行政側の意図はともかく、我々一般ドライバーの平均的な意識としては、
これ以上出すと危険、という速度ではなく、「標準運行速度」的なものとして捉えているはずです。
実際、「制限速度」をそれ以上は危険な速度として考えるには、「制限速度」
の実態は低すぎるわけです。あまりにも交通実態に即さない「制限速度」
を見直す動きは出てきていますが、それでもまだ、危険ギリギリの速度ではなく、
「標準運行速度」であることには違いありません。
そういう実態の是非を論じているのではありません。問題は、我々が「制限速度」という名の
「多少オーバーしても危険じゃない速度」に慣らされていることです。
用語の使い方の問題かもしれませんが、道路交通の「制限速度」には、
安全上のリミットといったイメージは微塵もなく、「ネズミ捕りや覆面パトカーに捕まるかも。
でも 10Km オーバー程度なら絶対に大丈夫だよな」というイメージの方が圧倒的に大きいわけです。
もし、鉄道運行上で「制限速度」という言葉が使われていて、
それが安全ギリギリを示す速度だとしたら、充分な教育を行わない限り、
道路交通の「制限速度」からの連想で、「制限速度」を甘く見る結果になるんじゃないかと思います。
鉄道会社は運行のプロなわけですから、私がここで書いたような二種類の速度について知らない、
なんてことはあり得ないと思うのですが、運行規定において、適切な用語を選んでいるかとか、
運転士、車掌等への教育は充分なのか、という観点では不充分な点があるように思えてなりません。